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2011.06.01

資料 古墳 箸墓古墳 (5)  倭迹迹姫命は誰だ(2)

日本書紀の崇神天皇の10年の所に、書かれている〔倭迹迹姫命〕は、先代の開化天皇にもみることはできませんでした。
 しかし、その前の孝元天皇には、どのような子供が生まれたかは書いてあります。

皇后:欝色謎命との間には、
 第一皇子—大彦命。
 第二皇子--稚日本根子彦大日日尊 (開化天皇)
第三子--- 倭迹迹姫命 です。

倭迹迹姫命の名前は、古事記には、書いてありません。
と言うことは、日本書紀の編集者は書きたかったことになります。


 現在は宮内庁により第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)として管理されています。
倭迹迹日百襲姫命とは、『日本書紀』では崇神天皇の祖父孝元天皇の姉妹である。

古事記  --夜麻登登母母曾毘売命  第7代孝霊天皇の皇女(宮内庁) 
と言うことは、孝元天皇と兄弟(姉妹)です。
日本書紀  倭迹迹日百襲姫命 崇神天皇の祖父孝元天皇の姉妹。

上に書きましたように、日本書紀の崇神天皇の10年の所には、倭迹迹日百襲姫命の名前は書いて無くて、第三子として、--- 倭迹迹姫命 が書いてあります。

 倭迹迹日百襲姫命は、天皇の系図ではなくて、三輪山の宿る神、すなわち、大物主神の妻と言うことにして、紹介してあります。その大物主神は、実は蛇だったのです。(と日本書紀に書いてあるのですが、それは、あくまで神話であって、ご神体は三輪山であると、歴史家は書いておられます。)
 と言うことで、現在、大神神社がありますが、ご神体は三輪山、其のものであるということになっています。その証拠に、普通の神社には、神殿があるのですが、大神神社には、神殿がありません。 これが不思議なことに、このような形態が、神社の本来姿のだということになっています。
 どして、本来の姿なのか、説明できる人はおられないと思います。

 どうして、このようなことになっているかと云いますと、日本書紀に書いてあることは正しいという所から、日本史は出発しているからだと思います。

日本書紀の孝元天皇の子供には、どのような人がいたかと云いますと、第三子--- 倭迹迹姫命 がいます。別の所では、倭迹迹日百襲姫命がいることになっています。
 これはどうして、このようなことになっているかと云いますと、三輪山の話を挿入しているからです。
 三輪山は、伯耆の国にあったのに、伯耆の国に関係するものは、日本書紀では極力、排除しようとしました。
 一番に、消し去ろうとしたものは、神武天皇のことです。神武天皇の皇后の名前は、無くしました。大物主神は、神武天皇の岳父です。本当は、名前はあったのでしょうが、大物主と言うような名前にしました。
 三輪神社も大神神社に名前を変えてしまいました。

 現在の大神神社の所に、神社はなにもなかったと思っています。
ウィキペディアの「大神神社」をご覧ください。
 御神体は、山だとしながら、祭神は、
〔主祭神とし大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)を配祀する〕
と書いています。主祭神とは、どういうことでしょう。大己貴神と少彦名神を配祀するとは、どういうことでしよう。
大己貴神とは、日本書紀に書かれている神の名前です。古事記では、大国主神です。この神は、出雲大社の祭神です。 これが不思議なことに、日本書紀では、大己貴神が出雲大社に行かれてからは、一切、日本書紀には登場しません。
 どうして、大神神社の祭神として、祀られているのでしょう。

 いくら、神話と云え、神話なりに、ストーリに筋が通っていませんと、神話とは言えません。神話には、それなりに、歴史が読み取れませんと、創作になります。

 もっと、詳細を知りたい方は、調べれば、直ぐに分ると思います。
倭迹迹日百襲姫命を祭神にしている神社が、全国に、どれぐらいあるか調べることです。同じく、倭迹迹姫命を祭神にしている神社も探すことです。
 一社も無かったら、それほど、重要視する人物ではなかったことになります。

倭迹迹姫命は誰だ の結論です。
 日本書紀の編集者が、苦心して作りだした架空の人物と考えるしかありません。

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