« June 2011 | Main | August 2011 »

2011.07.20

日本民族と隠岐

日本民族が最初のコロニーを、築いたのは隠岐の島後だと、述べて来た。これは地名のパターンが理由の一つである。
 次には本土の一画に基地を作って、拡大して行くことは、云はば敵前上陸で、これこそ無謀と考えられたからである。
 同時に日本語も隠岐で形成されたと、述べて来た。本土の一部から全国に普及すれば、方言が主にならざるを得ない。
 数詞の読み方は、ユダヤ人がもたらしたと考え直ししたい。しかし隠岐が先づ日本語をしゃべればよかった。
 隠岐支庁が出版した〝隠岐島誌〟は、内容は大正4年で、古本屋で入手したてである。
 隠岐の神社リストが載せてあった。これこそ、神々の訪問者の名簿と考えたいのである。
 イサナギの命も、天照大神も、スサノオの命も月読命も、ここからヒルゼン高天原に、移られたと考えてよかった。
 わたしの隠岐が日本民族の、最初のコロニーの推理の実証である。同時に応神天皇の謎も、解ける、いと口が見付かった。


第13話 建国の日は正しかった  128ページ より


私よりの一言----第13話 建国の日は正しかった 
この冊子は、本日で、最終回です。
田村氏が最後に書かれた〔わたしの隠岐が日本民族の、最初のコロニーの推理の実証である。同時に応神天皇の謎も、解ける、いと口が見付かった〕の意味が理解できましたか。

二つに分かれています。
①隠岐が日本民族の発祥地である。
②応神天皇の謎。
 これだけで、一冊の本を書くことが出来ます。
 これが判らない人は、ヒルゼン高天原も分らないですし、伊弉諾神の最後も分らないし、天照大神、卑弥呼、神武天皇の歴史も判りません。
前回の http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2011/07/post-c769.htmlだけでも、保存して頂ければとおもいます。
 
 そして、謎が解けましたら、下記のタイトルで発表してください。
①隠岐が日本民族の発祥地である。
②応神天皇の謎。

|

2011.07.17

隠岐島総説

Photo_2


田村氏の本の113ページから127ページは、上のページから始まって、隠岐島の神社のすべてが掲載されています。 全部、写真で掲載しますと、読むことはできますが、利用することはできませんので、すべて、入力しなおしました。

狭い隠岐島にどうして、これほどの神社があるのか、考えてください。 このデータと、現在、蓄積している鳥取県の神社誌のデータとを比べてください。

 田村氏は、次のように考えられました。
①大陸から、多くの人が、隠岐島にやってきた。
②そして、その人たちは、鳥取県に上陸した。
③その人たちは、ヒルゼン高原で、新しい国を作ろうとした。
④国の建設はうまくいかないので、高千穂に移動しました。
⑤アマテラスとツキヨミは、福知山に移動しました。

 その証拠として、それぞれの土地では、現在でも、神社において、同じような、神さんが祀られています。

隠岐島の神社は http://homepage1.nifty.com/o-mino/page211.html に掲載しています。
上に書きましたことが本当かどうか、確認してください。ただし、何年かかるかわかりません。

鳥取県の神社誌は、http://asilka.blog61.fc2.com/ に掲載しているところです。
まだ、全部は掲載していません。

|

2011.07.14

記紀(26)

昭和ツ子は、天照大神や神武天皇が、2000年前に居られたことは、教えられていない。
 そして弥生期とか、縄文期、古墳時代の、出来事にすりかえられた。これは、古代史の、進歩的学者と文部省の企てた、謀略と云えないだろうか。
 720年に中国偏向の、日本書紀を書いて天皇制打倒を企てたのと、全く同じことを、現在の教育は行っている。
 国民一人一人が、日本の古代史を解いて見て欲しい。これには町村合併前の地名が分る地図、例えば毎日新聞が、出された、大正から昭和にかけての、分県地図が役立つ。
 更に出来れば昭和10年に出版された〝大日本読史地図〟(富山房の復刻版あり)を見られることだ。
 分県地図は町村名の一覧表が付いた、出来ればなるべく古いものも、有効である。
 毎日新聞から出版された、奥野著〝邪馬台国はここだ〟の末尾にある、銅鏡出土地のリストは、中国が占領した地域を知るのに、便利である。


第13話 建国の日は正しかった  112ページ より

|

2011.07.12

記紀(25)

日本書紀が中国人の書いた、偽書だったことが、分らなかったために、日本書紀を太平洋戦争に、かりたてたのである。
 古事記は正史で、神話は天照大神以後には書かれてなかった。
 神話らしい所には、重要な秘密がかくされている。例えば八岐の大蛇がよい例で、玉はがねの産地を天皇は知られたくなかったのである。
 神武天皇が第一代の天皇だと教えてもらえない、現代人は不幸である。
 外国人から、日本は何時出来たかと、聞かれ返事ができない位、おかしな話があるだろうか。
 大手をふって、西暦元年1月1日に、建国されたと発表出来る様に、政府は、調査すべきである。
 地名の何十%かは、地名を必要とした時期がたまたま、古代史のブランクの時代だった。
 地名で歴史が解けた由縁である。地名は古墳以上に大切にすべきものである。


第13話 建国の日は正しかった  111ページ より

|

2011.07.10

記紀(24)

銅鏡と剣か矛と玉を副葬品に使用することは、漢民族の風習だった。更に315年までは、中国は北朝鮮までが、テリトリーだったと考えれば、古代史のブランクは、国民一人一人で、解ける問題である。
 そして科学的に古墳の年代が、絶対値で公表されるまでは、学者の説を信用しないことだ。古墳年代が4世紀から7世紀の、学者の説を信じては、古代史は分らない。
 むしろ分からなくした罪は、この古墳の年代である。
 イザナギの命を襲ったのは、1500人の中国人である。
 大国主命を謀殺しようとしたのも、80人の中国人だった。
 天照大神は中国人に襲われたと考える外ない。最初に祭られたのは、丹波の伊勢大神宮でこれも古事記に書かれていた。
 魏志倭人伝の難升米は卑弥呼を人質にし、最後は自殺を命令した。
 これも日本書紀のウラを読めば分かる問題である。


第13話 建国の日は正しかった  110ページ より

|

2011.07.08

記紀(23)

古事記と日本書紀には、一致した記述が、全くなかった。
 それなのに「記紀」なる、不可解な、合成語が作られた。
 その上両者の記述が時に、くい違いが見付かると、古事記は天皇の利益のために、事実を、敢えて曲げて書いたのだと、学者は天皇を悪者に仕立てたのである。
 しかし日本書紀こそは偽書で、国民を欺くために書かれた本であった。
 漢の様な強烈な侵略主義の国が、日本の目と鼻の先にあった。しかも漢は西域にまで、数千キロ離れていても、20万の大軍を出兵させた国である。
 天馬を求めるための出兵は、軍備拡張ではないか。時刻を護るのでなしに、他国を攻撃する目的だった。
 現在丹後の峰山町で古代遺跡の発掘が行われ、ここに紀元前3世紀の集落があったことが明らかになった。しかも外敵の攻撃に備えた跡があった。しかも隣りが大宮人の居った、大身や町で、天照大神を襲ったらしい根拠である。


第13話 建国の日は正しかった  109ページ より

|

2011.07.06

記紀(22)

天照大神に高天原を治めよと命令された。これはヒルゼンの高原のことだった。
 スサノオの命は、海原を治めよと命令そされ、これは倉吉平野だったことは、わたしに理由を説明しておいた。
 月読命は丹波の天田郡で、食糧生産である。この天のつく天田郡の、夜久野を治めよと、命令されたのである。
 いざなぎの命は、近江八幡市に移られ、ここに中山王国の亡命者を、呼寄せて、銅たく圏を瀬戸内海の東部から、尾張に基いた。
 倉吉平野を平定し、大国主命から、国譲りで米子平野を、天照大神は入手すると、ヒルゼン高天原から、倉吉平野の高千穂に政府機関を移した。
 これ以降の天照大神の消息が、古事記には全く書かれていない。
 こじきとして書きたくても、書けない、重大事が天照大神の身辺に起きたと考えるべきである。
 中国の鬼が天照大神を襲ったとすれば、納得行くことになる。


第13話 建国の日は正しかった  108ページ より

|

2011.07.04

記紀(21)

黄泉国、鳥取県西伯郡溝口町の、御墓原だと述べた。この東隣りの山が、鬼住山である。
 黄泉国軍とは、やはり鬼であり、鬼とは、わたしは中国人だと述べてきた。この推理に狂いはなかった様だ。
 中国人がイザナギの命の時に、すでにここに1500人も、居ったのである。
 大国主命を謀殺しようと企てた、八十神も中国人だった。神と書かれたが、実際は、鬼と書くべきだったのである。
 今まで神と鬼が、アベコベになっていた例を、いくつか指摘して来た。魏志倭人伝までが、神道を鬼道と書いていたのである。
 イザナギの命が、天照大神、月読命とスサノオの命の、三貴子が現れて喜ばれた理由があったのである。
 中国の占領軍が、すでに溝口町だけで、1500人に達していたことを、古事記は教えてくれた。 
 イザナギの命と、天照大神、月読命とスサノオの命が、分散して布陣したのだった。


第13話 建国の日は正しかった  107ページ より

|

2011.07.02

記紀(20)

古事記は天皇に都合のよい様に、ゆがめられて書かれたと云われている。
 はたして崇神天皇の御世までの、出来事に具体的な事実があるだろうか。
 崇神天皇のみよに、中国は全国各地占領した。この中国人が帰化を許されて、しかも権力を持った。他方天皇は現在に至るまで、無力である。
 記紀と一言で云われることに、不信の念をわたしは持つ根拠である。天皇には、近衛兵がなかったのである。
反対に近衛兵を持たなかったから、皇統は連綿と継いたと考えてよい様だ。
 ここで古事記のイザナギの命の記述に、もどりたい。
 イザナミの命を黄泉国に尋ねた時に、黄泉国軍が1500人で、イザナギの命を襲った。
 これが話の本すじである。尾ヒレがなぜつけられたか、これもカムフラージのためと、考えて見ることだ。
 この時にはイザナギの命が勝った。勝ったレポートには、尾ヒレがつき易いものだ。


第13話 建国の日は正しかった  106ページ より

|

« June 2011 | Main | August 2011 »