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2011.10.05

第19話 壬申の乱は日唐戦争   大宰府に進駐軍政府誕生

 667年3月中大兄皇子は近江の大津京に島流しにされた。この同じ年の11月には百済の占領軍司令官劉仁願が使者を派遣し九州の大宰府に唐の進駐軍の政府が樹立されたと考えられる。この時の大宰府の長官は大山下坂境部連石積と考えてよい。この人物は665年に唐の本国からの国史劉徳高が来朝したときの決定に基いて唐に派遣され、教育指導を受けた人物である。唐の進駐軍の政府が樹立されたと考える理由はここにあった。
 668年7月には近江で軍事訓練が行われ軍馬が集められている。これこそは百済人が戦闘力を増強し、唐の本国軍の進駐の準備だ。
 この年に唐は700年続いた高麗を滅ぼして、朝鮮半島を完全に収めてしまった。高麗や百済が滅んでも皇国史観の学者は唐が我が国に進駐してくるとは考えなかった。
 全くお人好と云わざるを得ないのだ。物事を全アジアの視野で考えることこそ必要である。この年に大宰府には唐の日本支配のための政府がもうけられたと、学者は理解することすら出来ないのだろうか。

第19話 壬申の乱は日唐戦争  33ページより、転載


私より一言----ここに書いてあることは、正しいような気がします。 仮に、正しいという人が増えたとしても、九州の歴史の先生は、認めることはしないでしょう。 認めますと、地元の人から叱られることになって、九州には住んでいることが出来なくなると思います。
 それは別にかまわないのですが、中国の人は、九州全域は、中国人が支配していたという歴史を子供のときから教育しますから、彼らが大きくなったときは、自分たちの国で住もうということになると思います。気が付いたときは、九州の大部分の土地は、中国の人の名義になっていると思います。

 この話の小型のものが、竹島問題だと思います。
 尖閣諸島は、堂々と中国のものだ発言していますから、もう、日本が防衛することは無理だと思います。現在の中国の力であれば、九州を買い占めることは訳がないと思います。

 2000年前に、中国人が住んでいたことと、中国人が、大宰府に進駐し、軍政府誕生したこととは、全く違うことです。
2000年前に、ソウルのまわりを中国が支配していたから、朝鮮半島は中国のものだと発言し、韓国と北朝鮮は、抗議していますが、中国はそのようなことはお構いなく、朝鮮半島を支配すると思います。当時、支配されなかったのは、朝鮮半島の新羅だけです。 倭国と新羅は、同じ、苗族ですから、支配はされましたが、乗っ取られることはありませんでした。 

 このような歴史は馬鹿げていると思われるでしょうが、半分以上乗っ取られても、取り戻したのは、日本です。最初に抵抗したのは、神武天皇です。

 私のコメントは、無視して頂いても結構ですが、
〔第19話 壬申の乱は日唐戦争〕 の最初から、読み直してください。 そして、私のようなバカもいるものだと思っていただければいいと思います。

中国が、日本に対して、日本の馬鹿どもは、日本の歴史をもっと、勉強しなさいと公言したのが、6年前です。小泉首相に云いました。
 私か゛腹を立てることはありませんが、それなら日本の歴史を勉強しようと思って、書き出したのが、「新しい日本の歴史」です。
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/
タイトルの下に、『中国は、「日本人は、日本史の勉強をしなさい」と忠告してくれました。日本は、感謝して忠告を聞き、お返しをすべきです。」』と書いてあります。中身は、つまらないですから、誰も読みませんが、
〔日本は、感謝して忠告を聞き、お返しをすべきです〕の意味は、中国人よ、貴方たちも、2000年以来、ずっと、世界の人をやっつけることで、生きて来た人間であることを知るべきですよ   のつもりで書きました。

〔大宰府〕の府は、重要であった所に、付けられたところだと考えています。
〔大宰府〕の外には、大阪府、京都府があります。これは、誰が付けた名前か、調べてください。

こんなことでも、歴史の解明に役立ちます。


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