壬申の乱は日唐戦争(5)
大海人皇子が先づ先制攻撃をかけたのは東国である。ここには百済の鎮将すなはち唐の将軍が進駐させた百済人が二千余もおった。更にここに唐の本国軍が本拠地を置いたと考えてよい。この事実をみとめれば、中国の鉄剣等が出土する謎も解ける。従って古墳も倭人以外のものが多くあって当然である。
近江や河内は中国系の藤原の本拠地だったし、ここに唐や敵国としての百済が進駐して来た。又九州は長期にわたって漢族に占領されていた。従って遺跡は敵国人のものが主だ。
魏志倭人伝で15万戸もあった倭人は海南島系だとの記述を認めるならば、海南島人に取っては漢族は紀元前からの宿敵である。しかるにこの記述を多くの学者は黙殺し、自説に都合のよい箇所だけを取上げて論じている。
壬申の乱は天皇の官軍と唐との戦いで、漢軍は僅か2ヶ月で撃退したと述べられないような例史学者に、大学教育用テキストの編集を任せておいてよいのだろうか。文部省としての方針を国民は知りたいのである。
第19話 壬申の乱は日唐戦争 52ページより、転載
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