107年に始った日漢戦争
吉備の古墳はデラックスなもの程年代が古くて不思議ではない。漢が107年にわが国に進駐を開始した。これは
倭の面土国王の帥升等が倭人を160人も捕虜にして連行した年である。九州から漢の銅鏡が大量に出土したことは漢族が占拠していた証拠で、面土国は九州にあった漢族の国と考えたい。漢が大軍を進駐させるために大量の通訳や地理が分かる倭人を捕虜にして連行したのだ。
漢族に圧迫された倭人が、倭人を捕虜にして連行する位、矛盾した話があるだろか。107年に漢は大軍を日本に進駐させた。しかし漢軍は食糧等一切を、本土から運ぶ外ないので長期戦となった。ガダルカナルの戦と同じで渡洋作戦は至難である。従って何れ多数の将軍が戦死した。この場合は初期に戦死した将軍程デラックスな古墳が築かれるのが長期戦における常識である。漢は何れ戦争のため疲弊し184年には黄巾の乱の内乱まで生じ、漢の本国からの補給は一切途絶した。将軍の古墳は貧弱になり、銅鏡まで国産化する外なくなった。
第19話 壬申の乱は日唐戦争 71ページより、転載


Comments
北朝鮮からの漂流船、島根沖で発見され、境港に着いたみたいです。やはり、出雲に着くんですね。
Posted by: スポック | 2012.01.09 at 05:05 PM
北朝鮮からの漂流船、島根沖で発見され、境港に着いたみたいです。やはり、出雲に着くんですね。 嬉しいお知らせです。頭の中では、隠岐と出雲ですが、どうやら、古代もそうであったようです。魏志倭人伝には、一大国の次は、末廬国ですが、末廬国は、境港の向かいの日向だと考えています。〔新しい日本の歴史〕にもう直ぐ書くつもりでいます。
Posted by: 開設者 | 2012.02.03 at 11:37 AM