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2012.02.04

倭の五王(4)

関東の稲荷山から鉄剣が出土し、これには百十五文字が刻まれていた。この鉄剣の作られた年代は辛亥で471年と解読されている。しかもこの鉄剣の主は「シキ宮のワカタケル」に仕えたと書かれている。これこそは古事記の河内の「志紀宮の大県主」で天皇の敵だ。
 九州熊本の江田船山の鉄剣の主も「シキ宮のワカタケル」に仕えたと刻まれていた。九州の挙点が筑紫でなくて熊本だったことは南宋と往来していた証拠である。更に鉄剣は中国の鉄を鍛えて作られ武器まで支給された。
 雄略天皇は長谷の朝倉宮におられたので、この天皇に仕えたのであればアサクラ宮のスメラミコトと刻むべきだ。倭王武と学者が断定した根拠は雄略天皇の本名が幼武とあって倭王武と、武の一字が共通だったことだけが理由ではなかった。しかし477年に倭王興が死んだので、雄略天皇の時代は倭王興であり、ワカタケルと呼ばれていた。天皇と倭王を比定する根拠が皆無の場合には、中国文献を日本史は優先的に採用すべきなのか。文部省の教科書の編集方針を伺いたいのである。


第19話 壬申の乱は日唐戦争  82ページより、転載

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