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2012.03.10

魏志倭人伝の謎解き   執筆 田村邦夫

魏志倭人伝を理解するためには、編者:陳寿(233~297)の生育時の環境だけでなく時代の変化も知る必要があります。 さらに魏書東夷伝に著わされている文章の内容は、著された順序に従って陳寿の頭の中に鮮明な記憶として残っていると考えねばなりません。

1.まず陳寿の生育時の環境ですが、蜀で生まれ最後は西晋で終えたということは華北人であり、華北弁(漢音)をしゃべっており、魏の度量衡に慣れ親しんでいたと考える必要があります。 次に時代の変化ですが、魏(220~265、洛陽)、蜀(221~263、成都)、呉(222~280、建業)、の三国は著作完成時には全て滅亡していました。 魏が滅亡して20年後ぐらいに三国志は著わされていますので、前時代のことは明瞭に記憶しているでしょう。 風俗、地理の部分はほぼ正確だと思われますが、魏と倭の外交について述べている部分には陳寿及び報告者の誤解や偽装報告も含まれていると思われます。 呉に対しては、華南人の国、即ち華南弁(呉音)でしゃべっていることでもあり、魏の敵国として好悪の感情もあったでしょう。 魏の滅んだ理由も重要ですが、滅亡に向かう10年程前から30年間位は、陳寿が生活をしていた地域も相当荒廃していたと思われます。

2.上記前提の下に謎解きを進めてみます。 魏書東夷伝には高句麗伝、馬韓伝などの後に倭人伝が書かれています。 即ち、陳寿の頭の中では、魏志倭人伝における文章の内容や用語の用法も、高句麗伝等に繋がっていると考える必要があります。 先ず高句麗伝をご覧頂きますと、高句麗在遼東之東千里、という文章が最初に出てきます。 この文章を解読するためには魏の距離単位、千里=約430Kmを採用する必要があります。 即ち、陳寿が慣れ親しんだ魏の距離単位を使っているわけです。 魏志倭人伝の謎解きをするためには、文章中において何処の距離単位を採用しているかを知ることは重要です。 このことを知った上で、倭人伝の初めの部分に出てくる、到其北岸狗邪韓国七千余里、という文章の解読を要求されるわけです。 朝鮮半島の地理に対しては、陳寿は情報を持っておらず、帯方郡で生活をしている報告者の述べたままを転記していると考えれば理解できます。 即ち、報告者が現地で使用している朝鮮半島での当時の距離単位は、千里=約75Kmとなります。 続けて、報告者は対馬を対海国、壱岐を一大国と呼び、面積まですらすらと述べられるぐらいに詳しい情報を持っているのが解ります。 ところが次の到着地点である末盧国に対して、距離は解っているのですが、方角と面積の情報を持っていないことになります。 もし、壱岐よりすぐ南に見えている松浦を、末盧国と決めるなら、方角を書かなかった理由が必要になります。 さらに、又渡一海千余里至末盧国、と記されていますが、壱岐より松浦までは朝鮮半島の距離単位で五百里と言ってもいい位の距離です。 ということは、この報告者も育ちは華北人とすれば、詳しく知っている領域を外れると慣れ親しんだ魏の距離単位を採用してしまうわけです。 即ち、末盧国は、壱岐から千里=約430Kmの所に見つける必要があります。 又、以降に記されている距離数字も、魏の距離単位を採用していると考えなければなりません。 筆者は末盧国の候補地として現在の境港の対岸を選んでみました。 現地は岩浜であり、魏志倭人伝に書かれている土地を説明する文章、浜山海居草木茂盛行不見前人好捕魚鰒水無深浅皆沈没取之、にぴったりした山影にある風の影響を受けにくい良港です。 方角が書かれていないのは報告者が知らなかったからです。 面白いのは、倭人伝の中程に書かれている、参問倭地絶在海中中洲島之上或絶或連周旋可五千余里、という表現です。 陳寿も、日本列島の本州は島であり一周が2000Km余りと知っていたということです。

3.次は末盧国の名称について検討したいと思います。 馬韓伝には末盧国のように盧の文字の付く国名、速盧不斯国、莫盧国、離牟盧国、狗盧国、駟盧国、萬盧国、捷盧国、牟盧卑離国、が記されています。 弁辰伝には、瀆盧国、斯盧国が出てきます。 陳寿もしくは報告者は何らかの意図を持って盧の字を使っていると考えられないでしょうか。 日本列島における地名、人名には漢字に意味を持たせない呉音表記の文字が引き当てられています。 倭人は文字を使用していなかったのであり、これほど普遍的に呉音表記の漢字が使われているということは、地名、人名の文字表記を必要とした非常に多くの華南弁をしゃべる華南人(呉人、越人、苗族等)が日本列島に来ていたということです。 彼らは一体何をしていたのでしょうか。 また、朝鮮半島には呉音表記の地名は残っているのでしょうか。 ここで末盧国に戻りますと「末」の字は2音で発声されます。 ということは、朝鮮半島からみて命名された、もしくは報告者が情報として知っていた「末盧国」であると考えられます。 斯盧国と組になった末盧国と考えられないでしょうか。 斯盧国から船を出しますと容易に末盧国に到着できるのです。 

この後、邪馬台国に行き着くわけですが、「末盧国」がここにあったとして皆様でルートを考えてみてください。

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