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2012.04.24

「卑弥呼の宮殿」エリアの南端か 奈良・纒向遺跡 大型建物南側で溝出土

「卑弥呼の宮殿」エリアの南端か 奈良・纒向遺跡 大型建物南側で溝出土
このタイトルは、産経新聞が、2月17日に掲載した記事のタイトルです。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/546181/

歴史に興味のある方ですと、このようなニュースを見ますと、直ぐに行きたくなり、現地説明会には、長蛇の列が作られることになります。

記事を少し、転載して見ます。
 邪馬台国の最有力候補地とされる「纒向(まきむく)遺跡」(奈良県桜井市)で、「女王卑弥呼(ひみこ)の宮殿」との指摘もある大型建物跡(3世紀前半)の南側から溝が出土し、市教委が16日、発表した。建物跡南側ではこれまで柵跡も確認されているが、今回見つかった溝はさらに南側にあり、宮殿エリア南端の境界線だった可能性もある。

 (中略)

現地説明会は18日午前10時~午後3時。JR桜井線巻向駅の西約100メートル。雨天時は19日に延期。問い合わせは市立埋蔵文化財センター

 この報道から、この報道を発表したのは、桜井市教育委員会であることが判ります。
ただ、新聞掲載が、2月17日で、現地説明会は18日とは、新聞を読んでも、説明会に行くことは出来ない方は多かったと思います。特に、遠方の方は、無理だったと思います。
 ところが、主催者は市立埋蔵文化財センターであることが判ります。

 私は、読売新聞を読んでいますが、このニュースは知りませんでした。しかし、後日、行く機会があって、見てきました。JR桜井線巻向駅の西に在ります。この駅は、無人駅ですから、駅に入って、前に拡がる草の生えている空き地がそうです。
 この日は、「卑弥呼の宮殿」の周りの遺跡を一日掛けて回ってきました。

纒向矢塚古墳、東田大塚古墳、ホケノ山古墳、箸墓古墳、茅原狐塚古墳、慶運寺裏古墳などです。

 この辺りには、邪馬台国があったような雰囲気はなかった様に思いました。しかし、私の様な考えは、間違っていたことが判りました。

2012年4月5日の読売新聞の夕刊に掲載されたものです。

 【纒向研究拠点が開所】
 邪馬台国の有力候補地とされる纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)を調査・研究する「桜井市纒向学研究センター」が同市東田(ひがいだ)で開所し、5日、式典が行われた。
同センターを拠点に発掘調査を進め、遺物の展示、大型建物跡の復元などを行う。
 大和王権発祥地の地ともされる同遺跡は3~4世紀の都市とされ、2009年に宮殿とみられる大型建物跡(3世紀中頃)が出土。しかし調査を終えたのは東西2キロ、南北1.5キロのうちまだ5%で、同センターは、調査範囲の拡大にも取り組む。  17行  4月5日 夕刊

全部で、17行の記事でした。
他の新聞社は、どの様に報道しているかと、調べて見ました。朝日新聞、産経新聞などです。
 一番、報道積極的なのが、産経新聞であることが判ります。写真を組み込んであるものは、報道したい意欲があることになります。

こんなことを考えていますと、以前は、どの様に報道されていたのかを知りたくなり、ブログのトップの「卑弥呼の宮殿」エリアの南端か 奈良・纒向遺跡 大型建物南側で溝出土の記事が見付かりました。

2月17日の報道は、この様に眺めてきますと、この時点で、【纒向研究拠点が開所】の計画が決まっていたことが判ります。

 2月17日の報道の次の日に、現地説明会が行われた意味が判るように思いました。

外に、見付かったものは

纏向遺跡は邪馬台国なのだろうか?/やまとの謎(26)
http://mugentoyugen.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-6a24.html
 この記事を読みますと、NHKも認めていることが判ります。
 どんどん、調べていきますと、「卑弥呼の宮殿」の事は、2008年にも語られています。
 私は、卑弥呼は岡山県と京都市福知山の間を行き来していたと考えていましたから、あまり「卑弥呼の宮殿」には興味がありませんでした。

 でも、今回の報道を見ますと、「卑弥呼の宮殿」のことは、略、確定したことになり、桜井市の事業としてスタートしたことが判ります。

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