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2012.06.30

健康・医療(9) ガンにならないように(7) 低酸素細胞(3)

低酸素細胞であるガンは、酸素の少ないところで、ひっそり生きているのかと云いますと、そうでもないのですね。放射線で叩かれると、一層、元気がなくなり、酸素が不足して、酸素の多い、血管の傍に移動して、生き延びたというのが、京大の先生の実験でした。

 頭が悪いのであれば、この辺で諦めればいいのですが、やはり、私としては、納得いかないのです。血管の傍に転移して生き残ったのであれば、益々、元気になって、癌は増えるのですが、増えたとは書いてありません。
 これは、新聞記事が良くないのでしょう。

 前回、悪性腫瘍研究センターが山形大学のように思われましたので、検索をしましたら、次の記事が見付かりました。
がん増殖の謎解明 無酸素で代謝細胞死防ぐ=山形大学
http://blog.goo.ne.jp/cinogi/e/ecb323bb50037a140bc4c213b901fad4

 一部を転載しますと、
 がん細胞はなぜ、細胞死(アポトーシス)せずに増殖するのか―。山形大医学部の北中千史教授=腫瘍(しゅよう)分子医科学=らのグループは24日、がん細胞がエネルギーを生み出す際、あえて酸素を利用しないことでアポトーシスを防いでいるメカニズムを発見したと発表した。研究は、米国立がん研究所刊行の世界的ながん専門誌(18日付)に掲載された。

 酸素を使わず、ブドウ糖でエネルギーをつくるがん細胞の性質は約80年前、ノーベル賞受賞者のオットー・ワールブルグ博士(ドイツ)が突き止めている。だが、増殖に多量のエネルギーが必要ながん細胞がなぜ、効率の悪い方法を行うのかは、長年の謎だった。

 
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2012.06.28

第17話 古事記が解いた古代史  式内社(3)

田四町について、絹一匹は如何に膨大な量か想像に絶する。この一部が式内社に配られ氏子が受取ったのである。藤原の軍隊は、実は式内社の氏子だと考えてよい。
 壬申の乱のクーデタを後で操ったのが鎌足の次男の不比等であり、天皇勢力の一掃を計るのが目的だった。
 この不比等が創作したのが正実と異なった帝紀と虚偽を加えた本辞である。天皇はこの内容はうわさで知る外なかった。古事記の序文はこの間の事情を詳しく述べてあった。
 古事記が出来たことは、何れの書物にも書かれなくて当然で、天皇家の機密書類だったのである。程なく完成したのが日本書紀でこれは正実と違った帝紀や虚偽を加えた本辞をもとに創作されたと考えてよい。 
式内社の謎を解くことが古代史を解くのに最も重要である。更に藤原の影響を受けた一切の資料は、真実を伝えてないものとして再検討が必要である。
先づ左記に式内社の全国分布状態を示しておいた。異常に多い所と少ないところがあった。
第17話 古事記が解いた古代史 33ページより転載

私よりの一言---<左記に式内社の全国分布状態を示しておいた>は、32ページにありますが、つぎの所にあるページも同じ内容ですので、参考にしてください。
<歴史の不思議>  http://www21.atpages.jp/skeikas/page006.html

両方とも未完成ですが、こちらにも、掲載しています。
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page257.html

後者の方が、やや充実しています。

最初に書いてある 「田四町について、絹一匹は如何に膨大な量か想像に絶する」
の絹一匹の意味が良くわかりません。

次のところで、考えたことを書きました。
http://asilka.blog61.fc2.com/blog-entry-966.html

*******------********------******------*******
式内社の神社名と祭神を毎日書換えています。
【歴史の不思議】  http://www21.atpages.jp/skeikas/index.html
 式内社の祭神名や神社名にどのような漢字が使われているかを確認してください。

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2012.06.25

健康・医療(8) ガンにならないように(6) 低酸素細胞(2)

ガンが低酸素細胞であるという事は、知っていました。 なんでも、疑うことの好きな私は、間違いではないかと思っていました。

 癌と低酸素 http://www.mc.pref.osaka.jp/omc2/general_biochemistry.html
 次の様に書いてあります。
 「人間の体内にできる癌は低酸素であることが知られています。血管から届けられる酸素が少なくなったり、癌細胞が消費したりすることによって癌は低酸素になります(図 2 )。」
 癌が低酸素であるという云い方は、日本語になっていますか。
「人間の体内にできる癌は低酸素でも生きて行くことができます」と云う意味ではないでしょうか。
 続きは、ご自分で読んでください。
 こんな苦しい日本語を書かれるという事は、書いた人が理解しておられないか、私の頭が悪いのかも知れません。

 検索していましたら、「低酸素誘導因子」が有りました。ガンは、低酸素誘導因子を持っていて、ガン細胞に対する酸素供給が不足状態に陥った際に誘導されてくるタンパク質であるらしい。
 次の所に低酸素誘導因子の説明が書いてありますから、読んでください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8E%E9%85%B8%E7%B4%A0%E8%AA%98%E5%B0%8E%E5%9B%A0%E5%AD%90

 お解りになりましたか。 私は、癌が低酸素細胞であることをまだ、疑っていましたら、
次の「悪性腫瘍研究センター」 http://gcoe.id.yamagata-u.ac.jp/jp/research/research03.html
に書いてありましたから、読んでください。

 一部を抜粋すると、
「がん細胞は、酸素が充分にある環境でも嫌気的にエネルギー(ATP)を生産す傾向があり、ワールブルグ効果と呼ばれています。」・・・・・「ノーベル賞科学者オットー・ワールブルグ博士によるワールブルグ効果の発見後、約80年もの間謎でした。」と書いてあります。

 という事は、癌は低酸素細胞であることは、ワールブルグ博士が発見されて、医学を志す者は、誰でも、知っていたことになります。
 知らないという事は、恐ろしいことですね。癌は低酸素細胞であることを知らないだけでなく、私は疑っていたことになります。

 前回、紹介しました新聞記事は、放射線で叩かれた癌は、どのような行動とるか、それを顕微鏡下で見つけたというのが、京都大学の先生らの実験報告です。

 この実験は、元気のなくなった癌が、自分から、血管の傍に移動して行った様子を捉えたと書いてあります。 これを読んで、又もや、本当かなと考えています。
 癌は、放射線でやられましたから、一時的に酸素が必要になって、血管の傍に転移しましたが、酸素があっても、それ程の酸素を必要としないので、生き返ります。そうすると、その血管から、又、逃げ出すのでしょうか。 これは人間の体とガンの戦ですから、人間の方は、血管を増強して、血液を大量に送ることになります。 酸素が多すぎますと、癌は、死ななくても、増殖はしなくなるのではないでしょうか。 そうしますと、癌をやっつける兵隊であるリンパ球に遣られてしまうのではないでしょうか。

 ワールブルグ効果のことは、悪性腫瘍研究センターが書かれた記事です。
 
 内容が難しすぎますね。悪性腫瘍研究センターは、どうやら、山形大学の施設のようです。

 少し、休憩して次回です。

 時間ありましたら、次のページを見てください。

温熱療法 http://www.gsic.jp/other/ot_03/bsc/index.html

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2012.06.23

第17話 古事記が解いた古代史  式内社(2)

藤原は単に専政政治を行ったと考えて来たのは百%間違いだった。藤原はマッカーサと同じ占領行政を行った、天皇の敵だったのである。
 先づ鎌足がクーデターを起こして、中大兄皇子を脅迫して、蘇我を滅ぼした。この翌年大化の改新の詔書を出したのである。これが鎌足の占領下の新憲法で、聖徳太子の17条の憲法を廃止してしまった。
 鎌足が始めて中大兄皇子に、けまりの席で近づいて、この翌年には鎌足は左大臣や右大臣より上の、特別職の内臣になって大化の改新をおこなったのに、今までの学者は鎌足が中国系のゲリラだったとは気付かなかったのである。中国系のゲリラだったことは後に解明することにしたい。
 この大化の改新の詔書の第四項に、今までの賦役をやめて、田四町歩について絹一匹(四丈、広さ二尺五寸) の徴発を定めたのである。国造を出雲と河内以外は全員鎌足の一族に交替させて、この国造が徴発を行ったのである。


第17話 古事記が解いた古代史 31ページより転載


私より一言---「歴史各論 見付かった国内最古 戸籍関連の木簡」 http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2012-06-20と、次の回に、戸籍関連の木簡のことを書きました。このような出土物は、大切にしなければいけないという事を、その次の回にも、書きました。土器を使って、年代を決めたために、実際の年代よりも、1000年も間違っていたという例を書きました。

 折角見付かった木簡も読み方を間違えますと、とんでも無い結果が導かれることになります。
 大化の改新の詔書の第四項に、今までの賦役をやめて、田四町歩について絹一匹 ( 四丈、広さ二尺五寸) 
 は間違いなく書いてあります。これは、645年の事です。歴史家であれば、誰でも、無視されるはずです。無視するのであれば、まだ、被害は少ないですが、今回、見付かった木簡は、九州の方は、大いに、元気付けられたと思いますが、木簡は、700年より少し前のものです。田村氏が書かれた鎌足の時代よりも一層、藤原氏の勢力が高まった時代で、朝廷が、どのようにして、徴兵などのシステムなどが、つくられて朝廷が組織化されていった様子が、判るというコメントを掲載した新聞社は、もう一度、勉強をし直すべきです。

 例えば、持統天皇は、どうして、30回以上も吉野へいかれたか。聖武天皇は、どうして、なんども、住まいを変えられたか など、歴史家が誰も答えていないことを仮説にしても、述べるべきです。私は、天皇は、力が無くなって行ったと考えています。

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2012.06.22

健康・医療(7) ガンにならないように(5) 低酸素細胞

低酸素細胞という言葉は、H24.4.24 読売新聞の夕刊に掲載された 『がん再発 低酸素細胞の影』という記事にあったものです。変な言葉ですね。
 この記事は、私には、意味が解りませんでした。

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インターネットで検索していましたら、次のページが見付かりました。

がんと低酸素
http://www.mc.pref.osaka.jp/omc2/general/general-biochemistry/index.html

 現在、外科的に癌を取り除く以外の癌の治療法としては、放射線治療法や化学療法があります。残念ながら、これらの治療法が効果を発揮しないことがあるのですが、癌細胞が低酸素環境(酸素濃度が低い環境)にいることもその原因の一つです(図1)。これまでに、これらの治療効果に酸素分子が必要であること、低酸素下の癌細胞は細胞死しにくいことなどがわかっています。このように低酸素は癌の治療にとって大きなバリアーとなっていることから、低酸素環境下の癌細胞について研究することは、より良い癌治療の開発に必要です。
 記事はまだまだありますから、読んでください。

 そうしますと、上に紹介した新聞記事の意味がよく判ります。
 ガンは、低酸素の状態にあったので、ガンは、酸素の多い血管の近くに移動していたのを目で見えるように工夫して確かめたという事です。ガンは、酸素が不足すると、活性化する遺伝子HIF-1を持っているので、これが、転移のメカニズムです。
 そこで、ガンが元気にならないように、活性化する遺伝子HIF-1の活動を抑える物質を使った上に、放射線を照射したら、15匹の内、6匹は再発しなかったのですが、9匹は再発したという実験です。
 言葉を言い換えますと、ガンは低酸素の状態でも生きていける細胞ですから、放射線に抵抗できるのだと、実験は、「活性化する遺伝子HIF-1の活動を抑える物質を使った」のに、60%は、再発したという事です。

 『がんと低酸素』に書いてあることは、正しいことになります。続きに、次のように書いてあります。
人間の体内にできる癌は低酸素であることが知られています。
 本当かなと調べました。
 長くなりますので、次回にします。

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2012.06.21

第17話 古事記が解いた古代史  式内社(1)

古事記が正史だったことは、取敢えず神武天皇の皇后選びだけの関連事象を取上げて、証拠が全てであることを、〝鳥取県神社誌〟と国土地理院の地図で証明しておいた。
 次に日本書紀がそもそも如何なる内容の書であるかを知っていただくために、先づ藤原忠平関白が927年に定めた、延喜式と称する法律の一部である、式内社について、認識していただきたい。
 式内社とは
延喜式に定められた格式高い神社のことである。戦前には官幣社、国弊社があって、この神社には国から幣帛料が贈られていた。新憲法で、この様な国が神社をコントロールすることは禁止されたのである。
 藤原が定めた国から幣帛料が贈られる神社すなはち式内社については志賀 剛氏の〝式内社の研究〟が第5巻まで出版され、極めて労作である。
 これによれば式内社3132社の神社の祭神に天皇一族を祀ったのが一社も含まれてなかったのである。本来ならこの神社が最も多い筈なのに、少いどころか皆無である。


第17話 古事記が解いた古代史 30ページより転載


私よりの一言---全部ではありませんが、式内社に掲載されている神社の名前と、現在の神社に比定すると、何所の神社になるかの一覧表を作りました。
 
 インターネットやその外に書かれている資料を拝借して掲載しています。
①式内社と祭神
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page257.html

②全国別式内社一覧 http://www21.atpages.jp/skeikas/page006.html

式内社の数が少ない国は、天皇家の勢力が強かったところと考えていますが、そのような国にある式内社でも、天皇家一族や天照大御神は祀られていません。少しずつ、追加するつもりですが、完成は程遠いなと思っています。

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2012.06.19

健康・医療(6) ガンにならないように(4)  治療

ガンにならないようにするには、どうしたら良いかは、多くの本に書いてありましたが、どれも、実行不可能な話ばかり書いてありました。それと、本に書いてある通りしますと、ガンにはならないのかといますと、どうやらそうでもなさそうです。

 それに比して、治療の方針は、ハッキリしています。現在の所は、
①早期発見・早期治療
②外科的にガンを取り除く。(ガンだけが無理なときは、臓器ごと取る)
③手術で残ったガンを放射線で殺す。
④それでも、残ったガンや転移したガンを抗癌剤(科学療法)で叩く。
 そして、最近、増えて来たのは、免疫療法(身体が本来持っている病気を治す力をふやす)

①~④が主流です。
 どれもこれも、駄目だから、日本では、ガンは減るどころか、増えるのだ。
だから、①はしてはいけない。①をしなければ、治療をすることはありません。治療をすることによって、副作用で苦しむことなく、死ぬことができるという主張の本が、出たそうです。
 このような本がでることが、大いに問題だと思います。見方に拠れば、そのようなこともあるかもしれませんが、医学を否定するような考え方は、間違っています。
 
 やはり、何年かかっても、真正面から、立ち向かって、ガンに打ち勝たねばと思います。

そのためには、ガンになる前に、ガンに関する本を読んで、自分で考える力をつけておかねばと思います。

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2012.06.17

魏志倭人伝の謎解き Ⅲ

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画像は、画像のうえで、ダブルクリックしますと大きくなります。

今までに三編の報告書を書きましたが、距離基準という根本問題の理解をしていただけないようですので再度書き改めてみます。 過去に数多く出版された魏志倭人伝に関する著書、レポート群では、倭人伝が著された当時の日本列島に関する情報だけを利用するのではなく、以降に知り得た知識を加えた視点で著述されています。 三国志はAD290年頃に晋の陳寿により著された書物です。 魏志倭人伝は、その中に含まれているほんの一部分なのです。 ということは、三国志に著されている内容は、恐らく当時洛陽にいた陳寿が、司馬遷により著された「史記」を見習って、各地の情報を集めて書き残したものでしょう。 洛陽で書かれたことを前提にしますと、三国志では一部の例外部分を除き、全編にわたり魏の距離基準が採用されていると考えなければなりません。 
 例えばアメリカで発行された日本への旅行書を考えてみます。 ニューヨークからロサンジェルスまでは当然マイルが距離基準として使われています。 多分、東京までの距離もマイルが使用されているでしょう。 ところが東京に到着した後、横浜とか大阪までの記述ではKm単位になっていると思います。 何故だか理由はお判りでしょうか。 距離などは現地の単位を採用しないと道を尋ねることもできません。 この例の場合にはマイルとKmという距離基準の表記が異なっていますので誤解を生じません。 しかし魏の「里」と朝鮮半島の「里」では、文字は同じですが距離基準が異なっているのです。 又、同一の場所の地名でも、見る人の立場により表記が変わってきます。 上記旅行書では、国名にしても日本(NIHON、NIPPON)ではなくて、JAPANになっているはずです。 何故問題にしないのでしょうか。 最近韓国ではありとあらゆる方法で、世界地図上の日本海(SEA OF JAPAN)を、東海(TONHE)に書き替えようと画策しているのをご存知でしょうか。 地名はどうでもいいというものではないのです。 
 再び三国志に戻ります。 三国志東夷伝にはまず、高句麗の条があり、高句麗在遼東之東千里、で文章が始まっています。 高句麗は遼東半島の東、千里に有りますということで、ここでは魏の距離基準、一里=約430mを採用しても千里=約430Kmとなり異論は出ないと思います。 続いて表された数値では、高句麗の面積に関して、方可二千里、と書かれており約850Km四方と考えても違和感はありません。 ところが次の東夷伝馬韓の条を見ますと、韓在帯方之南東西以海為限南与倭接方可四千里、と書かれています。
もし同じ魏の距離基準を採用しているとすれば、馬韓の面積は高句麗の面積の4倍ということになります。 ここで重要なことは、朝鮮半島の情報に関しては、陳寿が採用した魏の距離基準ではなくて、現地に詳しい役人の報告通りに記載しているわけです。 従って東夷伝馬韓の条では朝鮮半島の距離基準、一里=約75mを採用する必要が生じます。 上記に引用した馬韓の条に記された、方可四千里は、約300Km四方となり朝鮮半島南部の現状に適合する大きさです。 
 続いて東夷伝倭人の条を読んでみます。 距離の表現を持った最初に出る文章は、従郡至倭循海岸水行歴韓国乍南乍東到其北岸狗邪韓国七千余里、です。 千里=約75Kmで計算すると、帯方郡より現在の釜山の南にある巨済島の辺りまで海岸沿いに約520Kmとなり適合するのではないでしょうか。 さらに続いて、始度一海千余里至対海国・・・・方可四百余里、・・・・又南渡一海千余里・・・・至一大国・・・・方三百里、という文章がありますが、75Km余り・・・30Km四方・・・75Km余り・・・22Km四方となり不都合は生じません。 ここで注意が必要なのは対海国(たいかいこく)、一大国(いちだいこく)という名称です。 朝鮮半島ではこのように呼んでいたわけであり、間違いではありません。 対馬)、壹岐は日本列島に居り、地名を必要とした人々(いわゆる弥生人)が使用した名称であり、うまく該当すると思った方がいいわけです。 一大国ですが壹岐には長崎県で最大の平野があるのです。 一応ここまでが帯方郡にいる役人の管轄領域と考えられます。 何故かと云いますと、続いて書かれている文章、又渡一海千余里至末盧国、には距離は書かれていますが方位は書かれていません。 ここからは自分の知っているのは距離だけですと言っている感じがあります。 目の前に見えている場所までの距離(しかも間違っている)は書きながら、方位は未記入ということがあるでしょうか。 即ち、以降の文章では再び魏の距離基準に戻っていると考えれば辻褄が合います。
現在では全ての文献において、末盧国は松浦に確定ということになっています。 しかし、松浦は壹岐の南約40Kmに位置します。 比定するには、はっきりと南に見えている松浦を何故、南と書かなかったのか、わずか40Km位の距離を何故、千余里と書いたのか、末盧がどのような変遷を経て、麻都良⇒松浦と書かれるようになったのか、答える必要があります。 なお、日本書紀、古事記を見る限り、「都」は「つ」と読まれています。
白紙地図に戻って、末盧国を現在の境港の北岸にあったとすれば、末盧国以降の文章を説明するのに都合が良くなります。 一大国より末盧国までの距離は約400Km(千余里)ぐらいです。 魏志倭人伝の謎解きに記したとおり、現地は砂浜ではなく岩浜なので人影も無かったでしょうし、上陸するのには良港があります。 末盧国等、魏志倭人伝に記された国名は、邪馬壹国を含めて全て魏、もしくは朝鮮半島で呼び慣わされた呼称だと考えます。 さらに末盧国の名称に対する疑問については、魏志倭人伝の謎解きに書いた通りです。 誰が何の目的のために国名、地名を必要としたかということを説明する必要があるのです。 私は朝鮮半島から日本列島に何らかの物資を求めて人々が訪れていたと考えます。 魏志倭人伝には、帯方郡より女王国(岡山の西大寺近辺、古都)まで萬二千余里と書かれています。 ここでは帯方郡からの距離を論じられていますので、朝鮮半島の距離基準を用いますと約900Kmとなり、正しく知っていたことになります。 日本列島の情報として、本州が周囲約五千余里(2000Km余り)の島であるのを知っていたのも驚くべきことです。 あと一つ付け加えますと、魏志倭人伝の最後の方に、大作塚径百余歩、という文章が有りますが、ほとんどの専門家は魏の距離基準(一里=三百歩=約430m)を暗黙のうちに採用して、直径約150mと云っています。 何故、ここの説明には理由なしに魏の距離基準を採用するのでしょうか。

 ここからは私の独り言です。 
 魏志倭人伝は、後漢が滅んだ後に魏が日本列島の征服を企てていた証拠の情報記事であり、単に邪馬壹国を目的地とした旅行記事ではないと考えます。 日本列島にはまず苗族が気候寒冷化によりBC1000年ごろに移動してきました(初期弥生人)。 続いて晋、前漢の中国統一により追われた人々が、BC200年頃に水稲、養蚕技術を携えてやって来ました(中期弥生人)。 主に越人であり、天照大御神の一群と考えます。 朝鮮半島からも移住して来たでしょう(須佐之男命)。 水稲とか養蚕に関連のある地名は本州全域で大量に見出すことができます。 その後に来たのが、環濠集落に住んだ人々=渡来人(占領軍)=後期弥生人(後漢人)と考えれば、当時の情勢を説明しやすくなります。 例えば、華南弁(呉音)が日本列島に行き渡った理由も、苗族、越人、呉人(後漢の人々)が日常に使っていたと考えれば納得できます。 絹の集積をしていた呉人は、越人とは仲が悪かったために環濠集落に住まざるを得なかったわけですし、日本各地の土器が環濠集落で発掘されるのも当然です。 船はBC2000年頃には相当の進歩を遂げていたようです。 魏は内陸国であり船に関しては相当遅れていたのではないでしょうか。 後から日本の占領を狙った魏と、吉野ケ里等日本の各地に環濠集落を作り住んでいた後漢と、水田稲作をしていた中期弥生人が、日本列島で戦争をしていたと考えればどうでしょう。 魏志倭人伝には、官、副官の名前が書かれていますが、進軍の際の交渉すべき担当者名として必要な情報です。 女王国と伊都国との関係など、何故旅行記に必要なのでしょうか。 日本列島で呼び慣わされた地名とか、とりあえず書く必要のあった人名に用いられた文字、例えば、邪またいこく、卑みこ等 見下していると思いませんか。 これ等の文字が使われていれば、魏にとって敵国、あるいは敵国人だと考えれば納得できます。 もし友好的であればこのような文字は採用しなかったと思います。 征服する目的ですから、各地の戸数、風俗、それに軍隊の上陸地である末盧国を起点としての距離、方位が必要なのは言うまでもありません。 特に侵攻目的国への距離ですが、軍隊を末盧国に上陸させた後での必要日数等を示しています。 例えば投馬国には、軍事物資を持って日野川を遡り、高梁川を下るために水行二十日必要なのです。 金印とか銅鏡百枚とか記されていますが、卑弥呼を買収できると考え、各地で卑弥呼の軍の大将に与えるための戦略物資だったのでしょう。 しかし卑弥呼は買収されなかったために殺されました。 卑弥呼しか開くことの出来ない封印付の書類の内容を、使者が知っていたのはおかしなことです。 魏志倭人伝の後ろの方に、 詔賜倭難升米黄幢付郡假授、 黄幢という文字が出てきますが、黄色の旗を意味します。 これは皇帝が与えた軍旗のことであり、難升米を大将としての戦争開始を意味しています。


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2012.06.16

第17話 古事記が解いた古代史 神武天皇の皇后選び(5)

日本書紀では神武天皇が52才で橿原に即位した時に皇后を選んだことになっている。これは不自然でやはり、もっと若い年令の時に皇后を迎えるのが常識だ。
 神武天皇の皇后選びを先に述べたが、神武天皇が東征を五瀬命と相談して決意した高千穂は天皇の御所の宮内の真東20粁の東伯郡栄村にあり、国土地理院の地図にこの地名は載せてある。ここに天孫降臨のニニギ命を祀った大宮神社があり、神社名も大宮だ。記にも高千穂は日向とあり、日向国でなかった。学者が勝手に拡大解釈していたのだ。
 神武天皇が東征に船出した港は日向浦で、この地名も境港有料大橋の真下に残っている。
日本海随一の良港を神武天皇は確保していたのであり、古代に港が自由に選択出来た時代に最良地点を選んでなかったらむしろ矛盾していると考えてよい。
 古事記の神武東征までの古事記だけしか登場しない地名すべて、例外なしに、あるべき所にあった以上、古事記を偽書扱いにすることも、神話扱いにすることも許されない。


第17話 古事記が解いた古代史 29ページより転載


私からの一言---田村氏は、古事記の神武天皇の皇后選びだけに注目して、古事記は、偽書ではないことと神話でもないことを結論付けておられます。
 いくら、このように書いても、反対される方は山とおられるでしょう。そのようにして、大化の改新以前から、天皇家と中国人の人が、戦ってきたことになります。


 この競争から離れて、私なりに、神武天皇の皇后選びを眺めて見ます。
 (1)で判る様に、神武天皇は、伯耆国の西伯郡の辺りは、馬などを使って走り回っていたのでしょう。 少し東へ移動しますと、大殿が有ります。ここには、后になった伊須気余理姫のお母さんの溝咋姫命が祀られていますから、小さい頃は、この辺りに住んで居られたのでしょう。少し、離れた所に久古神社が有ります。大きくなられてからは、大殿の近くから久古に移られたことになります。
 神武天皇は、久古の家を訪問されたことでしょう。天皇はと云いますと、三輪神社の東にある宮内に宮城を構えておられ、伊須気余理姫は最後に、宮内に行かれたことになります。宮内の近くには、<葦原の しけしき小屋> があって、デートを重ねられたことでしょう。
 通い婚という言葉がありますが、太安万侶は、そのようなことを知ってか知らずか、伊須気余理姫は、最後に、宮内を訪れたストーリーにしています。

 伯耆の国は、神武天皇から始まって、ずっと、天武天皇の時代まで、天皇家の故郷であった証拠を、数少ない式内社が表しています。
伯耆国の式内社
 http://homepage1.nifty.com/o-mino/page279.html

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2012.06.15

健康・医療(5) ガンにならないように(3)

ここ半年間は、図書館に通い、タイトルに「ガン」の字の付く本を、読みました。古い本から新しい本まで読みましたから、日本の医学界におけるガン治療というものの歴史?
が判りました。
 何万人というお医者さんと基礎医学の先生が、がっぷりとガンと取り組んでこられましたのに、日本では、ガンで亡くなられる方は、増える一方です。では、日本の病院では、ガンの治療をしても良くならないのでしょうか。
 そのようなことはありません。インターネットで、どれぐらい治るかを調べて見ますと、ガンが出来ている場所によって、100%近く治るガンが有るかと思えば、70%程の成績もあります。
 しかし、70%以上治療に成功しているのであれば、ガンによる死亡者は減っても良い筈ですが、増えています。
 勿論、100%近く治るガンとはいうものの、5年間生存した成績も入っているようです。資料として挙げられてある統計は、素人には、判断しにくいものとなっています。

 ガンの治療が難しいのであれば、ガンにならないようにするにはどうしたらよいかと考えて、始めに書きましたタイトルとなりました。

そこへ、「三笠宮寬仁さま ご逝去 66才 がん手術・治療16回」とのタイトルの記事が、飛びこんできました。
  みなさんも新聞記事は読まれたと思います。どうして、66才の若さでお亡くなりになられたのだろうと思われたと思います。
 
 どの新聞記事も、テレビ報道も、死亡原因は、「多臓器不全」と発表されました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E8%87%93%E5%99%A8%E4%B8%8D%E5%85%A8

タイトルを見た国民は、だれでも、三笠宮寬仁さまは ガンで亡くなられたと思いますが、医学界も、メディアも、そのようなとらえ方をされていないことが判ります。
ガンで、何年治療されたかは 新聞の本文を読みませんと分かりません。この発表であれば、病院の先生は、ガンの治療は成功していたが、次々と臓器が不全の状態になったから、亡くなられたとの見解だと思われます。

 ガンだけで死亡することはないのでしょう。出来た癌が、いろいろの臓器に負担をかけるから、臓器が疲弊して、亡くなるのが、正しい様にも思いますが、このような判断であれば、ガンは治癒したが、亡くなる方は多いということで、統計に表れている数字に近づくと思われます。
 そうしますと、心不全で亡くなる人ばかりになります。
本当は、「心不全で亡くなる、」という表現はおかしいのかも知れません。心不全とは、心臓が、全く機能していないという状態を表す言葉ですから、やはり、ガンで亡くなられたという表現の方が、良いのではと思います。

言葉にばかりこだわっても、意味の無いことです。

やはり、ガンにならないようにするには、どうすれば良いかを考えた方がよさそうです。

大切なことは、日本では、ガンの治療が、殆ど成功しているのに、ガンで亡くなられる人が多いという事です。ところが、アメリカでは、ガンは減少しているようです。

 という事は、ガンにならないようにするには、アメリカでは、ガンは、どの様なものであるか、どの様な治療をしているかを知って、対処すればいいことになります。

 インターネットで、調べて見ました。
 ガンに関連する記事は、英語ばかりです。悔しいことに、英語が解りません。 別の方法で考えるしかありません。

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2012.06.14

第17話 古事記が解いた古代史 神武天皇の皇后選び(4)

古事記では神武天皇の義父は大物主神である。しかし日本書紀では神武天皇の義父は、高句麗系の事代主神にしてあった。記では大物主神だけが「神」と呼ばれる氏族である。従ってこの大物主神の子に限って、神の子と書かれている。今日流の神父である。
 古事記の序文で帝紀と違っていたと書かれた証拠の一つがこれで、今一つは崇神天皇一族の系図が変えられていた。
 この大物主神が古事記で始めて渡来した時の記述には、大物主神の名前が脱落している。これこそ藤原朝臣がわざと抹殺したとしか考えられない事実である。
 大国主神がパートナーの少名彦名命を四国の大洲で失ってこまっている時に渡来した神が大物主神である。この時に、わたしを倭の青垣の東の山の上に祀れば、万事うまく行くと云われた。そして御諸の山の上にまします神だと書かれている。この倭とは大国村倭であり御崎(三崎) ⑨と諸木⑩の地点を一直線に延長した山上に大神山があって、大物主神を祀ってある。(〝式内社の研究〟 第4巻)


第17話 古事記が解いた古代史 28ページより転載

上の地図は、 神武天皇の皇后選び(1)に掲載しています。地図が少し小さくて、見にくいですが、ご自分の地図に印を入れてください。
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/06/171-eb30.html

御崎(三崎) ⑨と諸木⑩の地点を一直線に延長した山上に大神山の部分は、出来れば、現地へ行ってください。

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2012.06.13

健康・医療(4) ガンにならないように(2)

前回の記事の訂正をしなければならない様な新聞報道がありましたので、その話題です。
読売新聞 2012年6月7日号です。
 ①人口減少本格化------社説
 ②三笠宮寬仁さま ご逝去 66才 がん手術・治療16回―--一面記事

 先ず、①よりです。
 記事の全文は http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20120607-OYT1T00002.htm
にあります。 私の興味があるのは、次の部分です。

厚生労働省が2011年の人口動態統計を公表した。昨年は、生まれた赤ちゃんが105万人で戦後最少となる一方、125万人が亡くなった。

 私は、生れた赤ちゃんは、100万人を切ったように記憶していたつもりですが、間違っていたようです。亡くなられた人は、100万人を少し超えた人数と思っていましたが、これも間違っていました。125万人も増えています。
 医療技術が向上しているのに、どうして、亡くなられる方が増えるのでしょうか。


健康・医療(3) ガンにならないように
 えらいタイトルを選びました。 どうして、選んだかと云いますと、以前は、心臓の悪い人(血管も含む)が多かったのですが、最近は、ガンがトップだそうです。
 病気の統計は、作るのは難しいらしいです。正確なことは分りません。
 大雑把に云いますと、日本人の二人に一人はガンになるそうです。(ガンになるの表現はおかしいかも知れません) その内の3分の1の人は、亡くなられるそうです。亡くなられる方の数は、昨年は、33万人と、どこかに書いてありました。

 最近は、生れる人数は、100万人を切っているらしいです。 ですから、人口は減っているらしいです。と云うことは、死ぬ人は、一年に100万人を超えているから、人口は減っていきます。そのうち、33万人が、ガンでなくなっています。この33万人が、ガンになった人の3分の1と書いた人は、おかしいと思わなくてはいけません。
 逆算すると、ガンになる人は、100万人になってしまいます。
 
 これでは、死ぬ人は、全てガンで死ぬことになります。人口の統計は、割と正しいですから、二人に一人は、ガンになるという話は、間違っているかもしれません。3分の1が死ぬというのも、間違っているかも知れません。

 おかしいと思いましたら、いろいろ自分で調べて見ることです。手っ取りばやぃのは、図書館に行って、ガンとタイトルにある本を全て読んでみると、わけが解らないということが判ります。すべて、ガンのプロの方が書いておられますが、すべて、書いてあることが違います。

 そこで、私が書きました。二人に一人が死ぬという数字は本当かどうか、調べて見ます。
 全がん協生存率(1997年~2000年)
 http://www.gunma-cc.jp/sarukihan/seizonritu/seizonritu.html
 
 ざっと、見ただけですが、大半の癌は、手術をされています。ガンが治ったのではありませんが、生存率は、驚くほど、高い数字が書いてあります。日本では、ガンの治療は成功していると云っていいと思います。

いつであったか忘れましたが、ガンの治癒率は、48%だという数字が頭に残っています。ところが、先に書きましたように、ガン患者の3分の1の方が亡くなるというのは、現在の数値です。と云うことは、3分の2のかたは、治るか延命しておられることになります。
 
 私の頭の中には、ガンの治癒率は、48%から、66%に良くなっていることになります。

 ところが、日本では、ガンで亡くなられる方は、増える一方だと思います。
 上手く書くことは出来ませんが、統計の何所かが間違っています。

  たくさんの本を読んでいて、判ることは、どなたも、ガンとは どのようなものなのかを未だに、手探り状態で、治療しておられるように思えてなりません。

 今日の新聞に、ガンに関する記事が書いてありましたので、次回は、そのことを書きます。
 読売新聞 2012年6月7日号です。
 ①人口減少本格化------社説
 ②三笠宮寬仁さま ご逝去 66才 がん手術・治療16回

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2012.06.11

第17話 古事記が解いた古代史 神武天皇の皇后選び(3)

大国村倭と久古の中間、会見町(延喜式の式内社が定められた時代は会見郡) の地名は二人の出会いにふさわしい地名である。
 このあと伊須気余理姫(イスキヨリヒメ)は天皇を宮内に訪ねて行かれた。この時天皇が歌を皇后に披露されたのである。

 葦原の しけしき小屋に 菅たたみ
 いや清敷きて 我が二人寝し

この宮内は所子村にあって7頁の地図の⑤に示されている。下記の賀茂神社に神武天皇は神日本磐余彦令と、これも紀の名前で祀られている。記は神倭伊波礼毘古で、倭がつくことは大国村倭生まれのことだ。
 この宮内の近くには神原と古御堂の地名があり、葦原が神原に、小屋が古御堂の地名になったと考えてよいのではないか。
 皇后の居られた久古の西の大殿③の三島神社(20頁)には皇后の母、三島溝咋姫が祀られている。天皇の義父にあたる大物主神は大和村小浜④の三輪神社に祀られた下記の通りである。この由緒も誰かの圧力で内容を改められたと考えられる。


第17話 古事記が解いた古代史 27ページより転載


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2012.06.09

健康・医療(3) ガンにならないように

えらいタイトルを選びました。 どうして、選んだかと云いますと、以前は、心臓の悪い人(血管も含む)が多かったのですが、最近は、ガンがトップだそうです。
 病気の統計は、作るのは難しいらしいです。正確なことは分りません。
 大雑把に云いますと、日本人の二人に一人はガンになるそうです。(ガンになるの表現はおかしいかも知れません) その内の3分の1の人は、亡くなられるそうです。亡くなられる方の数は、昨年は、33万人と、どこかに書いてありました。

 最近は、生れる人数は、100万人を切っているらしいです。 ですから、人口は減っているらしいです。と云うことは、死ぬ人は、一年に100万人を超えているから、人口は減っていきます。そのうち、33万人が、ガンでなくなっています。この33万人が、ガンになった人の3分の1と書いた人は、おかしいと思わなくてはいけません。
 逆算すると、ガンになる人は、100万人になってしまいます。
 
 これでは、死ぬ人は、全てガンで死ぬことになります。人口の統計は、割と正しいですから、二人に一人は、ガンになるという話は、間違っているかもしれません。3分の1が死ぬというのも、間違っているかも知れません。

 おかしいと思いましたら、いろいろ自分で調べて見ることです。手っ取りばやぃのは、図書館に行って、ガンとタイトルにある本を全て読んでみると、わけが解らないということが判ります。すべて、ガンのプロの方が書いておられますが、すべて、書いてあることが違います。

 そこで、私が書きました。二人に一人が死ぬという数字は本当かどうか、調べて見ます。
 全がん協生存率(1997年~2000年)
 http://www.gunma-cc.jp/sarukihan/seizonritu/seizonritu.html
 
 ざっと、見ただけですが、大半の癌は、手術をされています。ガンが治ったのではありませんが、生存率は、驚くほど、高い数字が書いてあります。日本では、ガンの治療は成功していると云っていいと思います。

いつであったか忘れましたが、ガンの治癒率は、48%だという数字が頭に残っています。ところが、先に書きましたように、ガン患者の3分の1の方が亡くなるというのは、現在の数値です。と云うことは、3分の2のかたは、治るか延命しておられることになります。
 
 私の頭の中には、ガンの治癒率は、48%から、66%に良くなっていることになります。

 ところが、日本では、ガンで亡くなられる方は、増える一方だと思います。
 上手く書くことは出来ませんが、統計の何所かが間違っています。

  たくさんの本を読んでいて、判ることは、どなたも、ガンとは どのようなものなのかを未だに、手探り状態で、治療しておられるように思えてなりません。

 今日の新聞に、ガンに関する記事が書いてありましたので、次回は、そのことを書きます。
 読売新聞 2012年6月7日号です。
 ①人口減少本格化------社説
 ②三笠宮寬仁さま ご逝去 66才 がん手術・治療16回---一面記事

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2012.06.08

第17話 古事記が解いた古代史 神武天皇の皇后選び(2)

この時伊須気余理姫が住んで居られた所は狭井河のほとりと書かれている。下記の地図で大山の西麓の久古②には現地を訪れると川があり、川幅が極めて狭くて、井戸の様に深く水量が僅かで、文字通り狭井河である
 この久古に久古神社があって下記の様に姫踏鞴五十鈴姫が祀られている。実は日本書紀は古事記を偽書とするために、皇后の名前を変えていたのである。
 下記の資料は昭和9年の〝鳥取県神社誌〟から引用したものである。この書物には鳥取県の全神社、831社が祭神、由緒まで詳しく載せてある。しかも神社の祭神が因幡は古事記の記載通りだが、伯耆は誰かの指導で、日本書紀の神名に変えて述べられている。伯耆と因幡の二国間で何故差別があったかを読者は考えて欲しいのである。
 東大の歴史学者には偽史グループがあると書かれた本がある。(例えば新国民社〝倭人大航海の謎〟) 祭神が全て古事記と異なって居り、神名が紀にかかれたのと一致すれば、学者は古事記を早まって偽書とするだろう。

第17話 古事記が解いた古代史 24ページより転載

⑥ページの地図 
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2012.06.07

健康・医療(2) 病気にならないようにしよう

病気と云っても、その種類はいっぱいあります。本当は病気でないのに、病院で病気だと云われて、その気になる場合もあります。
 本当に病気になって、えらい目にあったために、次からは同じ様な病気にはならないでおこうと考えることもあります。
 この例は、予防注射です。昨年は、インフルエンザの予防注射を受けるように、テレビも新聞も、盛んに報道しました。特に、子供と高齢者はワクチンを接種するように言われました。
 200万人の方は接種されたと思います。
 その内に、インフルエンザの患者さんが、どんどん増えている報道がありました。これは、予防注射をしなかった人が多かった所為だと判断されたのでしょう。接種するように報道されました。
 私は別の病気でお医者さんに行きましたが、治療の人と、ワクチンを打つ人で、一杯でした。
 おかしいですね。インフルエンザに罹りたくない人が、その患者さんが一杯居る狭い待合室で自分の順番を待っているのです。 わざわざ、病気を貰いに行っているようなものです。
 テレビでは、インフルエンザにかからない様にどうしたらいいかを説明していました。
 外出する時には、マスクをするように。外出から帰った時は、うがいをする。手を洗う。

マスクをすると、インフルエンザのウィルスは入ってこないのでしょうか。うがいは良いですが、鼻から入ったウィルスは、口を通らずに気管、肺の方へ行きます。あまり、効果は期待できないと思います。手を洗うも、しないよりはいいですが、手を洗わないとどういうことになるのでしょう。ウィルスは手について身体に入ってくるのでしょうか。その指をなめたら、口、器官、肺、食道、胃と入っていきます。赤ちゃん以外は、指を舐めないでしょう。ウィルスが、口から入りますと、喉が痛くなったり、熱が出るのでしょうか。

 こうした予防方法はあまり、意味がないように思います。
 インフルエンザは、マスクをするぐらいでは防ぐことが出来ないことは、直ぐに分ります。
 では、どうしたら良いのかと云いますと、ワクチンを接種しておくことです。

 今年のインフルエンザ、報道する度に、患者数は、多くなり、300万人を超える所までは、覚えていましたが、それ以後は、興味が無くなりました。
 これはどういうことかと云いますと、人間が考えたワクチンによる予防よりも、インフルエンザウィルスの方が、一枚上であることが判ったらしいです。
 もう少し、解り易く云いますと、今年、流行するであろう、ウィルスをやっつけようと準備していたワクチンと違うウィルスが、大発生したということです。相手が違えば、準備していたワクチンは効果がありませんと、説明していました。
 それでは、ワクチンをしたが、インフルエンザに罹った人は、どうしてくれるのだと云いたいところですが、そういう方は、来年から、そのウィルスに対する免疫が出来ているから、心配ありませんと。

 幸いなことに、今年のインフルエンザは、それほど、脅威になるほど、激しいウィルスでなかったので、心配ありませんと、お医者さんはコメントをしておられました。
  そんなことなら、シーズンに入る前に、大騒ぎをすることはなかったのにと思いました。

 先日来、病気ではありませんが、カミナリに遣られないように、注意をするように報道がありました。竜巻も注意するように報道していました。これからは、毎日のように日射病で倒れる人の報道があると思います。

 こうした、親切な報道は、人間の考える力を無くすと思います。

 なんでも、かんでも、自分で考えて対処するように心がけることが大切だと思います。

次回から、ガンにならないように。もし、ガンになった場合は、病院にお願いすることになりますが、自分でも、出来ることは対処するようにと・・・書いて見ます。

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2012.06.06

第17話 古事記が解いた古代史 神武天皇の皇后選び(1)

古事記が正史だったことを先づ理解していただくために、日本書紀とは全く異なった記述内容の神武天皇の皇后選びについて、先づ述べたい。
 神武天皇は記では二人目の皇后として、大物主神と三島溝咋の女との間に生れた比売多多良伊須気余理比売を迎えられた。この前後は是非古事記の意訳本でなしに、読み下し文を読んでいただきた。
 この女を后に世話したのは、大久米命で、伯耆の西伯郡(もとは会見郡、天皇と皇后の出会いを意味する地名)会見町の高佐士野(恐らくは越敷野)を7人の乙女が行く中の、先頭の乙女がおめあての女性だと歌で知らせたのである。

  倭の 高佐士野を 七行く乙女どもを
  誰をしも 枕かむ (共に寝ようか)

 この歌にでてくる倭は伯耆の西伯郡大国主命村倭のことで、6頁の地図の①である。この倭が魏志倭人伝に書かれた「倭人」の本拠地で語源である。ここの賀茂神社に神武天皇と大国主神が祀られている。


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第17話 古事記が解いた古代史 23ページより転載

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2012.06.05

健康・医療  医療費が国家の予算に近づいていく

私の『楽しい人生』というブログに、「健康・医療」のフォルダーを設けていますから、何を書いたのだろうと思って、検索しましたら、6年前に、次のタイトルで書いています。

脳死移植に保険適用
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2006/01/post_055d.html

内容は、年金が破たんしかかっていると書いています。又、「医療費が国家の予算に近づいていく」と書いています。
 確か、此れを書いたときは、毎年、医療費は、一兆円ずつ、増加していたと思います。医療費は、27兆円ぐらいと記憶していましたが、間違っているかも知れません。
 27兆円が正しいとしますと、27+6で、33兆円になっているはずです。

<国民医療費>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E7%99%82%E8%B2%BB#.E5.9B.BD.E6.B0.91.E5.8C.BB.E7.99.82.E8.B2.Bを見ますと、驚いたことに、1006年には、33兆1,276億
となっています。
 私のいい加減な、経済の見通しは当たっていたことになります。
 それから、6年ですから、今は、同じ様に、1兆円増加しているとしますと、39兆円になっているはずです。
 今の国家予算は、確か、90兆円ほどだったと思います。足りませんので、45兆円ほど、借金をしていたと思います。
 間違っていますか?

半分借金をして、この何年間か、やってきました。その合計が、地方債も含めて1000兆円を超えたと思います。

 これを一気に解決するために、消費税を10%ほど引き上げる法案を提出しようとしています。ところが、此れでも、一気に解決できなくて、17%にすると、とんとんらしい。
 それでは、1000兆円の借金はいつまで経っても、減りません。

そこで、解決方法です。

二つあります。元々、税金は、45兆円ほどしかないのですから、借金は止めにします。その為には、全ての現在の支出を半額の45兆円にします。

 手始めに、国会議員の手当ては、現在の半分にします。または、国会議員の人数を半分にします。
一年様子を見て、公務員の手当ても半額にします。6ヶ月遅れて、地方公務員の手当ても、半額にします。
 教職員、警察官も半額です。基本的には、すべてのものを半額にします。

 しかし、自衛隊員は、今までと同じです。

このようなことをしますと、何が起こりますか。
頭の良い人材は、民間企業に集まります。

少々、荒っぽいですが、これは、単なる思い付きです。大阪市長の橋本氏と同じです。
ただ、違う所は、直ぐに、実行しないことです。

 起り得ることを徹底的に、検証するとして、見切り発車をしないことです。

 それまでに、出来ることから実行する方法があります。

 それは、国民医療費を毎年、2兆円ずつ、減らしていくことです。10年経っても、20兆円しか、減りません。 1000兆円の借金は、払い終わるまでに、50年掛ります。

誰が、減らす仕事をするかです。それは、国民が一人一人、病気にならないようにすることです。現在は、国民健康保険料を払っています。このお金を使って、病気になられた人に代って、治療費を支払っていますが、毎年、一兆円ずつ増える様では、保険料を挙げるしか方法はありません。これと同じ様なものに、介護保険料が有ります。
 これは、どんどん支払う金額が増えています。この金額は、法律で定めて、国会で承認を得なくてもいいのでしょうか。
 そうであれば、介護保険と同じ様に、国民健康保険料を値上げすればいいです。もし、値上げは嫌な人は、始めに、医療費の自分の負担を3割ではなく、4割とか、5割負担と決めておけばいいです。
 自分で、病気にならないように、注意をした人は、保険料は少なくても、病気になる率は少ないのですから、納得できるはずです。
 
 タバコは肺がんの原因と判っているのに、タバコを吸って癌になった人の治療費をタバコを吸わない人が負担をしてもいいのか、良くないのか、議論する必要があります。

 私は、タバコと肺がんは、少しは関係あるかもしれませんが、あまり関係はないから、タバコを吸っているからと云って、保険料を沢山支払う必要はないと思います。
 

 介護を保険料で賄うシステムは、直ぐに破綻すると思います。。

6年前の『楽しい人生』に於いて、国民年金は、破たんするでしょうと書いています。
もう、システムは壊れてしまいました。
 若い人たちは、年金はもらえないのを承知で掛け金は、支払っていますが、5年もすれば、支払う人はゼロになるでしょう。
 そうなりますと、財産を食いつぶすまで、年金を貰ってお仕舞だと思います。

 そうなる少し前に、始めに書きました収入を半分にすれば、国家の破たんは、少しは先に延ばすことは出来ます。

 と云うことで、
 暫くは、「健康・医療」について、時々、書こうと思います。
ブログの名前は、楽しくはありませんが、『楽しい人生』になるように、考えて見ようと思います。

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2012.06.03

今 和次郎 採集講義—考現学の今

この記事は、私の大学の同窓の人向けに書いているブログに掲載したものです。 残念ながら、殆ど、読まれることのないブログです。

大阪府吹田市にある国立民族学博物館で開催していますイベントに行った時(5月28日)のことを書いています。

歴史を学ぶには、考現学の視点も必要だなと思わせてくれました。 期間は6月19日までです。お近くの方は、どうぞ。


-----***----***---- そのまま、コピー ----***----***----

大阪府吹田市に、国立民族学博物館が有ります。少し堅苦しい感じがしますか、タイトルの特別展示会をしています。
 次のアドレスで、場所や内容を知ることが出来ます。上のタイトルでも、検索可能です。
http://www.minpaku.ac.jp/museum/exhibition/special/20120426kon/index

因みに、今 和次郎(こん わじろう、1888年(明治21年)7月10日 - 1973年(昭和48年)10月27日)は、民俗学研究者。
民家、服装研究などで業績があり、「考現学」を提唱し、建築学、住居生活や意匠研究などでも活躍した。東京美術学校出身の画家でもあった。弟の今純三は銅版画家。
 招待券とパンフレットを頂いて持っていました。パンフレットは、どこから読めばいいのか、訳の分らないシロモノでしたが、展覧会場は、丁寧に見ていますと、超オモシロイものでした。  歩き回わられた所では、なんでも、丁寧に絵を画いて、その横に、所狭しと、その絵の説明が書いてあります。
 この字が小さいので、拡大鏡というか、室内用の望遠鏡があると便利です

 学校で絵を学んだだけあって、絵はうまいですが、兎に角、観察が鋭いです。行った先の民家の屋根の形、樋の構造まで、書き残していました。

 私の好きな、絹関係では、群馬県勢多郡の養蜂農家の座繰のことや、群馬県利根糸之瀬という所の養蚕家屋など、素晴らしい物でした。
糸之瀬とは、気になる地名だと帰宅後調べましたら、明治22年に、その前にあった糸井村と貝之瀬村が合併し北勢多郡糸之瀬村となったことが分りました。
 ということは、明治22年には、養蚕が盛んになり、一層儲けようということになり、合併したと勝手に想像しています。

1時間のつもりが、早く切り上げたのですが、1時間半も経っていました。もう一度、行って、別の角度から、眺めると面白いと思っています。


日本庭園の築山にあるツツジは、少し早かったようです。 庭園も花盛りの筈です。
と云うのは、行った日は、初夏並みの暑さ、西の駐車場から歩くだけで、疲れました。庭園の入り口で、ツツジは咲いてますか、尋ねましたところ、お二人の係員が、口をモグモグでしたので、木陰で、一時間ほど寝て帰りました。

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2012.06.01

第17話 古事記が解いた古代史  先入主を捨てよ(13)

歴史学者が基本にしたのは皇国史観である。これは日本民族は土着の民族が外来文化を吸収し、稲作を朝鮮から技術導入したと主張して来たのである。日本人は中国の銅鏡にあこがれを持って、これをわざわざ中国から取寄せ、何れ日本でもまねして作ったと述べて来た。卑弥呼は銅鏡が好きだったので魏の皇帝から銅鏡を百枚も贈られたと主張して来たのである。
 そして遺跡から出土する土器の紋様は同じ土着民族が民度を高めて紋様を変えたと主張し、これを根拠に編年表を、戦前に考え出した。不都合が生じるとぼろかくしの説を立てて来たのである。これが現在も続いている。
 外国ではカーボン14とか、熱ルミネッセンス等の科学的方法で年代を較正している。
 しかし日本の学者は勇敢にも科学的な年代の決め方はあてにならないと主張している。
 そのくせ縄文時代についてはカーボン14の年代較正を採用し、主張は一貫していない。
国民はこの勝手な主張の裏を読んでほしい。


第17話 古事記が解いた古代史 22ページより転載


私からの一言---第17話 古事記が解いた古代史 まだ、22頁ですが、いかがでしたか。
 現在の日本の歴史は、略、完成しているように思われます。しかし、作者の田村誠一氏は、間違いだらけだと、 「先入主を捨てよ」のタイトルで、13回書かれました。

 このようデタラメを書いてと、思われた方も多かったと思います。
 そう思われる方は、どこが間違っているか、ご指摘いただければいいのですが、田村誠一氏は、既に、亡くなられいます。

経歴を書いておきますと、大正元年生まれ。 昭和10年京都帝学卒。田村氏は、歴史とは、無縁の生活をしておられましたが、勝山中学の英語の先生であった、佐竹先生が、昭和三年に書かれた『神代遺蹟考』の復刻版が、50年ぶりに発行され、、手にされたのが切っ掛けで、『古事記』を買ったと書いておられます。
 と云うことは、昭和53年に古事記を読まれました。

そして、いろいろ勉強されて、始めて、小冊子にまとめ、出版されたのが、
第1話 神々のふるさと ヒルゼン 昭和55年11月21日 62頁
 http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2007/12/post_4854.html
 です。
この本の1ページごとをブログに掲載しました。

田村氏は、その後、どんどん、本を出版されました。 飛ばして、記しますと、次のものがあります。

第5話 古代史と大江山 ヒルゼンの地形  昭和56年4月3日 62頁
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2009/11/1-22a2.html

第12話 河を忘れた古代史 序言---2ページ  昭和56年12月15日 112頁
 http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2009/03/12----2-9b82.html

現在は、第17話 古事記が解いた古代史を掲載している所ですが、この本は、
第17話 古事記が解いた古代史 まえがき  発行 昭和58年7月30日 256頁 
 http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/04/17-5128.html
です。

 田村氏は、古事記を手にしてから、『第17話 古事記が解いた古代史』を出版するまでに、5年半の年月が経過しています。 その5年半のあいだに、16冊の本を出版されたことになります。

 その間、古事記に出てくる地名は、地図上で確認し、実際に現地に行っておられます。
その外、全国の神社誌を読み、鳥取、福岡、静岡の神社誌を分析しておられます。
 鳥取県の神社の資料は、私のブログ『おかしな世の中』 http://asilka.blog61.fc2.com/
に保管しています。いつ始めたのか忘れましたが、まだまだ終わりそうにありません。

 田村氏が書いておられる箇所で、納得できない部分は、田村氏が読まれた本は、私も全部読み、現地へも行き、神社もどれほど行ったか記憶にありません。田村氏が書かれた部分で、弱点の部分は、自分で確かめました。始めて以来、12年になります。全国の地図は、いつでも見ることができるように、持っています。

 そのような事より、
『先入主を捨てよ』の記事は、古事記を手にしてから、5年後に、ご本人が、自信を持って書かれたものです。
 古事記を手にされたのは、66歳の時です。 田村氏にお会いしたことはありませんが、コンピューターを使用された形跡がありません。 私としては、記事の内容よりも、短期間で、これだけのことをどうして処理されたのか、感心するばかりです。

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