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2012.11.29

第17話 古事記が解いた古代史  中山王国と銅鐸(3)

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三木文雄氏の〝銅鐸〟は最新文献でこれには全国の銅鐸出土地が地図に示されてているので前頁に引用させていただいた。
 銅鐸は中部地方以西で九州までも分布していたことを示している。
 更に〝神社名鑑〟に載せられた6500社の神社からイザナギ(ミ)命を祀った神社の府県別
統計を作成して見た。神社によっては合祀した祭神は1名しか載せてないので他の神が誰だかは分らなかったのが多い。従って実際はもっと多かった筈である。
 更に鳥取県の神社は約1割しか載せてなかったので、この表の何倍かの神社にイザナギ(ミ)命は祀られていると考えるべきだ。
 府県別統計でイザナギ(ミ)命は全国に祀った資料が得られたことになる。
 記でイザナギ(ミ)命は近江八幡市の多賀に移られここでは白王と称していた事実が現われた。中山王国には白狄人が居ったので、白王とは白狄人の王と考えてよい。
 この隣り町の野洲町で中山王語句と同数のしかも非常に特定な14ヶの銅鐸が出土した。


第17話 古事記が解いた古代史 81ページより転載

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2012.11.27

健康・医療(42) ガンをやっつけよう(11) 温熱療法(9) 頭を使う

温熱療法の中で、一番、効果があるのは、42度のお風呂に入る。二番目は、歩くを書きました。二つとも効果はありますが、二つとも、長い時間は出来ません。歩く方は、日曜日に、ハイキングに行きますと、15キロほど歩きますと、結構長く思われます。一日中、働いていますと、結構、歩くことになります。
 要は、体温を上げると、血流が増えて、癌のある所へは、酸素が供給されて、癌が増えにくくなるから、癌をやっつけることができるという理屈です。
 
 タイトルに書きました「頭を使う」と、酸素が増えるかどうかです。
私はプロでありませんから、知りません。 頭を使うという事は、理屈は判りませんが、やはり、頭の細胞が使われるのでしょう。そのときに、酸素を必要とするのではないかと考えています。
 酸素の供給を増やそうとしますと、血液を送るポンプは、運動した時と同様に、フル稼働となります。そうしますと、血圧が上がるはずです。一度、本を読む前と、最中の血圧を測りますと、血圧が上がっているはずです。上がっておれば、間接的に血液の流れが増えたことを知ることになります。
 体が使われた所、例えば、声をだしますと、出した所から、声という形でエネルギーが生じますが、熱も出ていると思います。その熱は、血液によって、全身に運ばれますから、必ず、全身の体温も上昇すると思われます。
 これは、簡単です。考え事をする前と後の体温を測りますと、差が必ずあるはずです。

起きて直ぐに、血圧をはかりますと、100%高い筈です。横になっていた身体を起こしただけで、高いところまで血液を送らなければなりませんから。30分後に、血圧を測りますと、必ず、20程下がっています。 しかし、体温は上がりません。
 動きますと、動いた筋肉に応じて、その部分から熱が発生しますから、体温は上がります。
 おしゃべりをしますと、口と下が動くのと、頭を使いませんと、おしゃべりは出来ませんので、体温は上がります。
 読書も、脳を刺激します。
 このようなことも、すべて、「ガンをやっつける」ことにつながると思います。

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2012.11.21

第17話 古事記が解いた古代史  中山王国と銅鐸(2)

中山王国文物展では銅鐸は14ヶ音階順に並べてあった。我が国でも近江八幡市の隣りの野洲町と神戸市で14ヶの組で銅鐸が出土したのである。この14ヶは大きさも異なっていたし、入子にして埋めてあったのである。
 14ヶは特定だから中山王国とは無縁ではない。中山王国が滅んだ頃にイザナギ・イザナミ命が高原天にやって来ている。
 取敢えず柏書房の〝日本歴史地図〟の付属書で鳥取県での銅鐸が出土した遺跡が11ヶ所であることを知った。この11ヶ所全てについて、近くにイザナギ(ミ)命を祀った神社がないかを〝鳥取県神社誌〟で調べた。

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上記は遺跡名、住所とこの近くにあった神社名、更には神社と遺跡の距離を表にしたものである。イザナギ(ミ)命を祀った神社が多ければ当然遺跡の近くに神社が見付かってよい。しかしこの地域にはイザナギ(ミ)命を祀った神社が、32社に対して、上記の一致例があったのである。イザナギ(ミ)命と銅鐸は全く無縁とは云えない事実である。

 

第17話 古事記が解いた古代史 81ページより転載

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2012.11.20

第17話 古事記が解いた古代史  中山王国と銅鐸(1)

昭和56年に日本各地で中山王国の文物展が開かれた。これは神戸市のポートピヤのエキスポの協賛として、中国政府の好意で催されたのである。
 中山王国は北京の南にあって四国位の大きさの、史書にだけ名前が出ていて、何所にあったかも謎の国であった。この王墓が全く偶然に1971年に発見され、1万9千点の出土品があった。現代人の感覚では想像を絶する高度の技術品、芸術品が数多く展示された。伝説はあてにならないと否定する学者が外国にも日本にも居るが、トロヤの伝説も中山王国の伝説も2千年以上経って真実だったことが明らかになった。
 中山王国は紀元296年に漢族に滅ぼされた騎馬民族の国である。馬車の金の装飾品も多数出品されていた。実は素晴らしい青銅器の中に銅鐸が14ヶ大きいのから順に音階順に並べてあった。しかも踊りのための楽器で、音色までもビデオが効かせてくれたのである。
銅鐸は祭祀ようだと云われて来たが、狩猟民族が獲物があれば、これを鳴らし愉しんだ。


第17話 古事記が解いた古代史 79ページより転載


上記に書かれた中山王国の文物展の時に発行された冊子です。写真が豊富です。

中山王国文物展 中国戦国時代の雄

美本/日本経済新聞/1981年/¥420 (本体 ¥400)
 これは、どうしてこんなに安いのでしょうね。 素晴らしい本です。
中山王国の人が、銅鐸を引っ提げて日本に移住して来たと云うのが、この図録を見ていますと、中山王国の人が銅鐸をつくったとすると、こんな銅鐸など、簡単に造ったことが直ぐに判ります。
 では、どうして、銅鐸を持って逃げればいいのに、埋めて逃げ出したのでしょう。
仮に、200年後に、戻ってきても、戻って来た子孫の人が、その場所がわかるようにしていたのではと、想像しています。
http://rdr.supergenji.jp/sgenji/D1/d1.pl?val=000105241010/

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2012.11.19

健康・医療(41) ガンをやっつけよう(10) 温熱療法(8) 基本

一気に寒くなりました。癌細胞は、温かい間には、体温を上げやすいので、増加しにくい筈だ。その間に、少しでも、やっつけようとささやかな期待を抱いていましたが、寒くなりますと、血液の流れが悪くなり、癌の細胞への酸素の量が減ります。すると、癌の増え方が激しくなるはずです。でも心配要りません。
 温熱療法の基本を守ればいいことになります。

 一つは、日刊工業の新聞記事でした。普通の新聞とは、専門違いとはいえ、理屈に合った話には、理解力のある記者が書いたから信用於けると思い、何度も読みました。紹介しました記事の間に、サンケイ S59.9.18 に、 ガン細胞を〝自滅〟させる全身温熱療法の大きな活字の記事が2ページにわたって掲載されています。
紹介の記事は、其のままの大きさで掲載してあり、私も拡大しないで掲載しました。という事は、新聞では、2倍のスペースが使われていたと思われます。
ただ、記事の隅に、この治療をしている病院の名前と、電話番号が、7ヶ所も書いてありますから、宣伝の入った週刊誌かもしれません。
記事中、 Sunday familyの文字や、担当記者の釘田 寿一の名前も見えます。

 長々と書きましたが、本を探すヒントのつもりで書きました。自分が住んで居られる図書館で、調べて貰えば直ぐに、見付かります。
 5000円の中古本でも、買いますと、それが基になって、次々と自分の頭が刺激されます。 、

温熱療法の基本は、これで、治るのだと信じることだと思います。そうしますと、42度のお風呂に入っているだけで癌が治るのだ。いや、癌にはならないと思うようになり、一日たりとも、欠かさないで、実行することになります。
 私の場合は、どうして治ったか判りませんが、最近は、朝湯はしなくなりました。

 癌は、駄目だとあきらめないで、一時も気を抜かないで、継続することだと考えています。
 温熱療法と基本は、42度に拘らなくても、身体を冷やさないことが基本です。

これから冬です。目に見えるか見えないほどの癌細胞に取って、少しずつ大きくできる季節になります。
 体温を冷やさない。----何が有るかと云いますと、一日も早く、温かい衣服に替えることです。

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2012.11.16

第17話 古事記が解いた古代史 秦王国(8)

伯耆から大和へは大和川を経由するのが唯一のルートである。古代の大和川は河内国を北流して淀川に注いでいた。この大和川の流域に藤原氏は式内社を90社以上配備して、天皇勢力が外部と連絡することを防いでいた。
 小野妹子が往復共に通ったルートが解けしかもヒルゼン高原を経由していたのである。
 わたしは安倍仲麻呂が「ふりさけ見れば かすかなる 三笠の山に出でし月かも」の歌こそはヒルゼン高原の鳥居峠に、都から達した時に詠んだ歌ではないかと考えている。
ブックカバーのヒルゼン高原の写真を見ていただきたい。蒜山の三座の眺めは三笠の山にふさわしいではないすか。しかもこの景色の場所を通らないことには、都から日向浦には行けなかったのである。
鎌足の先祖の倭の五王が、南宋から親任され武器の援助まで受けて勢力が巨大になったので、南宋とは敵対関係にある、鮮卑族の王朝の隋と聖徳太子が同盟を求めて使者を出した。翌年に隋の使者小野妹子と同道して渡来したのは、この背景を考えて見ることだ。

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第17話 古事記が解いた古代史 78ページより転載

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2012.11.15

健康・医療(40) ガンをやっつけよう(9) 温熱療法(7)人気なし(2)

前回
紹介しました新聞記事を読むことが出来ましたか。スキャナーが上手く行きませんでしたから、鮮明ではありません。 新聞社の名前が、日刊工業です。日付がS59.06.02(1984年)です。 28年前の記事です。 専門誌が、このような記事を掲載するのが普通だったのでしょうか。
 この新聞だけではなく、外の分野でも、体温を上げることによって、病気を治す機運は増えていたようです。
 前回紹介しました新聞記事は、

田村誠一著「ガンよ !おごることなかれ」
  脚光をあびた温熱療法 (改訂版)
   昭和60年2月28日
42、43ページをコピーしたものです。 この新聞記事が、掲載されたので、この記事を挿入して、(改訂版)を出されたことになります。
 医学には素人である田村氏が、自分が、販売している商品の宣伝あり、又、歴史書の宣伝あり、内容は、バラバラで、本の体裁を為していませんが、ガンはやっつけられるのだという気持ちがいっぱいの本です。


奈良県立図書館 http://www.library.pref.nara.jp/event/booklist/cancer.html
にあります。
中古本ですと、次の所に有ります。
ガンよ!おごるなかれ―脚光を浴びた温熱療法 (1985年) 田村 誠一

中古本をご覧ください。 金額が5000円ついています。それだけ、読まれた方が、読んで良かったから、少しずつ、値段が上がったことになります。(定価は1000円)
 それを勝手に、コピーすることは良くありませんので、もう一回だけコピーさせて貰って、後は、私が考えている温熱療法を書いて見ます。

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2012.11.12

第17話 古事記が解いた古代史 秦王国(7)

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伯耆街道は米子からヒルゼン高天原を経由して湯原温泉で有名な湯原町に出る。ここから850米の峠を越えて富村に出る。ここから奥津温泉の南を津山に達する。何れ後で述べるが魏志倭人伝の魏の使者もこの道を通って津山に出て、ここから吉井川を降って旧西大寺市に行った。この旧西大寺が邪馬台国で、都は古都村にあった。
 倭人伝で陸行1ヶ月とは米子から津山まてで、水行10日とは吉井川の水行のことだった。
 この湯原町の一集落に美作に11社しかない式内社の内の7社までが上記の様に密集していたのである。伯耆からはここを通らないことには、大和に行けなかったのである。
 藤原は天皇勢力が伯耆の天皇勢力と共同戦線の手段に出ることを防止するために、交通の要所を確保したことになる。これは伯耆街道の道すじを教えてくれたのだ。
 式内社は国単位の分布を考えることも重要だが、同様に美作の様に11社しかない国でも分布状態は無視出来ないのである。

第17話 古事記が解いた古代史 77ページより転載

私からの一言----この文章を読まれた方は、田村氏は、きっと、地図の上で、米子から大和へのルートを地図で見て、この文章を書かれたと思われたでしょう。
 私も、この辺りを三度にわたり、訪れ、車で走り回りました。そして、社の集落には、かたまって、7社の式内社が、一望に見えるぐらいの距離にあるのを眺めましたが、上の文章のような発想は浮かびませんでした。
 最近は、田村氏は、私よりも、もっと回数を多く走られただけではなく、米子から一気に、吉井川の川沿いに走り、邪馬台国の古都村まで走られたのではないかと思っています。

 みなさんも、一度、走って見てください。

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2012.11.09

健康・医療(39) ガンをやっつけよう(8) 温熱療法(6)人気なし

温熱療法は、現在では、人気が有りません。でも、私は、効果は抜群だと考えています。
どこが、抜群かと云いますと、
①癌の種類は問いません。
②出来ている場所も関係ありません。脳内にある癌でも、効果あると考えています。
③もう手遅れと診断されたときでも、効果があると思います。勿論、余命3ヶ月と云われても、治るとは言えなくても、どんどん悪化するのは、遅らせることになると思います。
④癌だけで、死亡することにはなりません。必ず、合併症が有るはずですが、そちらの方も、改善されるはずです。
 
 そんなに、良い事のであれば、どうして採用されないのでしょう。

 私の先生も、手術をして貰って、結核菌による治療をして貰っている時に、「先生、温熱療法というのが有りますね。これは、どうでしょうか」とお聞きしましたら、即座に、「そんなもの駄目ですよ」「今、しているのですが・・・、」「何をしているのですか」「毎日、42度のお風呂に10分入っています」
 「そんなもの駄目ですよ。42度に温めても、膀胱は42度になりません」

 先生は自信満々で話されましたが、それから、数日後、結核菌による治療が駄目なときは、一杯、抗癌剤があります。それが駄目なら、膀胱を取ればいいですからと云われました。
 その時は、先生は、自信いっぱいで、私の治療をしてくださっていましたが、この治療で、駄目な人が居られることを知りました。
 と言う次第で、一層、私の出来る癌退治を考えました。

 その中の一つが、少し古いですが、次の新聞記事です。

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2012.11.08

第17話 古事記が解いた古代史 秦王国(6)

熊本に多かった割竹・舟形石棺が出雲にも異常に多かった。これからも華夏の国と疑問を持たれる理由が見付かった出雲のボスは中国系だったが、隋の使者すなはち鮮卑族には謎だったのである。
 秦王国まで来て更に十余国を経て、海に達したとあれば上陸した港は神武天皇が東征で船出した日向浦である。この地名は境港有料大橋の直下に残っている。
 境港は日本海随一の良港であり、日本海は古代には日本の表玄関であった。古代の文化が最も高かったのは日本海沿岸であった以上境港が今まで取上げられなかったことが、むしろ不思議である。
 魏志倭人伝の末廬国とは松江国のことで港は日向浦でよかったのである。
 隋の使者は日向浦で上陸して伯耆街道を通って大阪湾に出た。随所に書かれた海とは摂津の海でよかったのだ。ここから再び船で大和川の川口に渡ったのである。小野妹子がこの道すじを往復したのであり、後醍醐天皇が隠岐に流される時通った道である。


第17話 古事記が解いた古代史 75ページより転載

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2012.11.07

健康・医療(38) ガンをやっつけよう(7) 温熱療法(5) 歩く(2)

歩くことによって、得ることが健康出来る効果は、癌をやっつける以上に効果を期待できます。
 高血圧と診断されていた状態が無くなりました。
血圧が高いから、薬を飲むように勧められました。飲み始めてから、どれぐらいたったころだったか忘れてしまいました。薬が無くなるたびに、病院へ行って、薬を貰っていました。診察は、聴診と血圧測定をして頂くだけですが、暫く続けていましたが、別段、悪いようには云われませんでしたが、自分で、腕の所の血圧を測定する器具を購入し、記録することを始めました。
 又、別の機会にそのことは、書きますが、血圧は、不思議なものだということを発見しました。
 高血圧症のシステムは、血管が脆くなって、弾力性が無くなるから、急激な力が加わると、最悪の場合は、血管が破裂して、そのまま死んでしまうという事です。少しずつ、勉強しますと、これだけの事ではないようで、複雑なことは判りませんが、薬を飲まなければ、その方が、良いのではないかと考えるようになりました。
 
 そうしますと、面白いですね。
 飲んだ時と、飲まない日で、身体の調子が違うことを見つけました。飲んでいる時は、一日中、しんどいのです。

此のことを先生に聞きますと、先生も、注意しながら、薬を減らしてもいいように言われました。
 その時に、云われたのが、毎日、駅まで歩いていたら、糖尿が、改善されたと云われました。一杯歩くのではなく、一生懸命歩くのではなく、と言って、だらだら歩くのではなく、毎日歩くと良いです。
このような運動を有酸素運動
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%85%B8%E7%B4%A0%E9%81%8B%E5%8B%95
と云いますと。 この時、高血圧の人も、良くなってくると云われました。
 
この時以前から、歩けなくなっていましたので、毎日、神社まで歩いていましたが、それ以後、プールに行って、泳がないで、歩くことを2年続けました。
 最近は、一ヶ月分の血圧の薬を頂いていますが、自分で決めた方法に従って、時々飲んでいます。
 ①高い方の血圧が、140~150の範囲では、身体全体の調子がいいです。
 ②時たま、160以上の時が有りますが、その時は、深呼吸を20回しますと、20程さがります。下がらないときは、内服です。
 ③大切なことは、高い方の血圧が、高いか低いではなくて、高いほうから低い方の血圧を引いた時に、50以上であれば、のまなくても良いと考えています。

 以上は、素人判断ですから、勝手に実行しないで、かかっておられる先生に聞いてからにして下さい。 
 あるくことは、血液の流れを良くします。結果、酸素が沢山送られます。 癌だけに限局しますと、癌は、しななくても、増え方は減ります。

 本当に癌はへるのか、自信がありませんと、これまで書いたことは実行する気になりません。 歩くことは、私は有効と思っていますが、もう少し、本当に効くのかどうか、書いて見ようと思います。

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2012.11.04

第17話 古事記が解いた古代史 秦王国(5)

藤原忠平関白が制定した延喜式の式内社が出雲には187社と異常に多かった。稟告の伯耆には僅かに6社しかなかったのである。
 藤原は天皇打倒を目的とするゲリラだった。従って天の味方の大国主神を崇拝して出雲大社中心に天皇勢力が増大になるのを恐れて昔大国主神に追われて出雲に住みついた高句麗人を結集するために、この人達に式内社を通じて幣帛料の名目で軍資金を渡したのである。
 出雲の特殊性を知るには、〝吉備古代史の未知を解く〟に書かれた割竹石棺の分布図(248頁参照)が役立つ。
 割竹・舟形石棺は熊本と出雲、越前に異常に多かった。この石棺の主が出雲の国造と胴族で、しかも熊本の石棺の主と胴族で漢族だとすれば、古代史の謎は残らない。
 後に詳述するが倭の五王は5世紀に南宋に使者を派遣した。この南宋は漢族の王朝で、このとき北支には南宋の敵の北魏があり、鮮卑族の王朝である。この北魏が隋になったのだ。肥前・肥後はこの南宋と連絡基地だった。


第17話 古事記が解いた古代史 74ページより転載

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2012.11.02

健康・医療(37) ガンをやっつけよう(6) 温熱療法(5) 歩く

現在の平熱が、36度します。何度であっても、体温を上げることは、血液の流れが良くなることに繋がります。
 40.5度にならないと、癌をやっつけられないことではありません。癌の細胞の周りにいく血液の量が増えれば、癌の増える勢いは衰えるのですから、必ず、やっつけることが出来ます。その上に、ナチュラルキラーも増えてやっつけることが判っているのですから。
 
 前回の42度の入浴を10分ではなく、15分にします。そして、それを朝と夜にしますと、僅か、30分しか、癌の増えるのを抑えることが出来ません。
 そこで、次なる温熱療法は、「歩く」です。
 
「歩く」の効果は、2つの効果が有ります。
 その1は、体温が、10分も歩きますと、上がります。何度上るか測ったことはありません。私の場合は、毎朝、余程の雨でない限り、傘をさしてでも、近くの神社に、「本日もよろしく」と、神さんにごあいさつに行きます。
 よく、神社に頼みごとに行かれることが有りますが、きっと、聞いて頂けないのではないかと思います。 例えば、大学の入学試験に合格しますようにとお願いして、受験者が全員が聞いて貰えるのであれば、どう考えても、おかしいことになります。
 神さんには、位が有ります。
正一位の神さんは、http://www21.atpages.jp/skeikas/page274.html にあります。
二股掛けて、家族全員で、手分けして、頼みに行けばいいです。
 
 私の行く神社は、神さんの名前は、須佐之男命(素盞鳴尊)です。日本中であちこち祀られていますから、ご存じの方も多いと思います。
 この神社まで、往復20分です。毎日、歩くコースを少し変えますから、歩く歩数は、3000歩前後です。
 この20分は、体温40度に近いと思います。
 歩いた歩数は、歩きはじめてから、ずっと、記録しています。この記録することが、重要です。記録するためには、万歩計が必要です。いろいろ分析できるものが有りますが、歩数だけ測ることが出来れば、十分です。

 最近は、歩く歩数を一日、6000歩を目標に歩いています。そうしますと、朝以外に少し歩くことになります。外出した時は、エレヘーターやエスカレーターは使用しないで、出来るだけ、会談を使うようにしています。
2年前は、4キロの道が歩くことが出来ませんでしたが、10キロは歩くことが出来る様になりました。時たま、15000歩、18000歩と歩いています。しかし、坂のある所の、20000歩は、元に戻るのに、2、3日かかります。

 これで、体温を上げる時間が、70分に増えたことになります。

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