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2013.04.29

古事記が解いた古代史  大国主神 (2)

古事記の解説では大国主神は、福岡県の絶海の孤島の沖ノ島の宗像に居った多紀理比売(タキリヒメ)を妃にされた。しかしこれは物理的に不合理である。宗像は米子市内にあり、ここの宗形神社に妃は祀られている。大国主神はこの南の大国村(西伯町)に居ったのであり、ここの賀茂神社に祀られている。この間なら徒歩でも行け、しかも舞台は全て伯耆である。
 古事記では大国主神にはわざわざ、大穴牟遅命、葦原色許男、八千矛神、宇都志国玉神の合わせて五つの名前があったと書かれ、この中に大己貴命は含まれて居らない。
 これは例えば日光の二荒山神社の祭神が大己貴命となっているのは、藤原が勝手に政略的に創建した神社だと記は注意を与えたのである。因幡と異なって伯耆に大己貴命が祭神になっているのは藤原が強制的に国造に命じて祭神名を替えさせたことを、古事記が教えてくれたのである。
 日本書紀では大国主神を抹殺することに力をそそいで、国譲りでは入水自殺させ国民を欺いて、記の記述と全く反対である。


古事記が解いた古代史  132ページより転載

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2013.04.25

健康・医療(72) ガンをやっつけよう(41) 食事療法(18) 生きた水(2)

タイトルに書きました「生きた水」の例としてお酒を取上げようとしていますが、私は、お酒を一滴も飲めないので、お酒の事を書く資格は有りません。
 お酒の味などは、大して変わりが無いと思うのですが、結構、五月蠅く云われる所をみると、お酒によって、やはり味は違うのでしょう。
 お酒を造るときの原料になるものは、水、米、麹のようです。
 日本酒の歴史を知ろうと、WEBで検索しましたが、なるほどと思えるブログには、遭遇しませんでした。
 次の日本酒市場を参考にしてください。
http://www.s-usui.jp/nihonsyu/syumai.html
 京都のお酒は、伏見が有ります。 神戸は、六甲山の麓、沢山有りますが、例えば、灘に有ります。伊丹市にもあります。
 私の近くの池田市には、「呉春」があります。これは、美味しいと評判です。

 「呉春」のホームページをご覧ください。
http://www.imanaka-sakeshop.com/jizake_gosyun.htm
 ここには、どうして、美味しいのか、次のように書いてあります。
呉春・特吟の原料となる米は、酒米の中でも最良の岡山産「赤磐雄町(あかいわおまち)」です。幻の酒米と言われる栽培の難しい米です。
水は五月山の伏流水。なんと今でも酒蔵内の井戸から汲み上げて使っています。
そしてこの2つに伝統の技が加わり、最高の酒が出来上がるのです。

 江戸時代に、お米が良いからと云って、呉春・原料となる米を岡山県から取寄せたとは考えにくいです。水は、五月山の伏流水と書いてあります。五月山は小さな山ですから、本当に、五月山だから良質の水とは思われません。有るとすれば、五月山の土壌の性質が決めるだろうと思います。

 どの酒どころとしても、平野の真ん中ではお酒は造られていません。六甲山は、1000m
弱の高さが有りますから、山に降った雨水、1000mほどの土壌に含まれるものを取り込みながら、麓で噴き出すことになります。
 随分前の記憶ですが、神戸港から出港する大型船、長距離に使う生活用水を積み込むことになりますが、六甲の水を積み込んだと書いてあったように思います。
 長期間でも、水が腐らなかったそうです。

 お酒に使われる水は、この水だから美味しいということもあるかもしれませんが、いい加減なことですが、「生きた水」だからではないかと考えています。

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2013.04.21

古事記が解いた古代史  大国主神 (1)

大国主神には80人もの兄弟神があったと書かれている。これはわたしの作成したスサノオ命の系図(122~3頁)で、兄弟神の配偶者にも兄弟があることを考えれば納得出来る人数である。この兄弟の神から迫害を受け二度まで謀殺されかけた。
 系図では大国主神の生みの親は刺国若比売であって、この方は刺国大神の女である。刺国とは新羅国と考えれば謎は解ける。天皇家が新羅と友交関係にあったことは、記では天の日矛や田道間守(但馬守)の話で明らかである。同時に高句麗系スサノオ命一族の中では異端者扱いされて当然だ。
この大国主神に関する記述に登場する例えば八上比売、刺国若比売等の全ての人物を祀った神社が伯耆と一部は因幡にあった。
八上比売を祀った神社だけが因幡の八上村にあった。この神社名は売沼神社で、式内社に選ぶ時にもともと比売沼神社だったのを、比を除いたと由緒に書かれていた。ここでも記にだけしか書かれていない八上比売を隠匿する謀略が行われていたのだ。


古事記が解いた古代史  131ページより転載

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2013.04.18

健康・医療(71) ガンをやっつけよう(40) 食事療法(17) 生きた水

人間は、生きていくために何が必要かを①酸素 ②塩分 ③水 と大切なものの順に書いて見ました。
 誰でも、知っているようですが、精しくは知らないのです。
①酸素は、酸素は、2分入ってきませんと駄目のように知らないくせに書きましたが、その程度しか知りません。 もう少し、書こうと思いましたが、健康・医療と直接関係ないので、止めます。 次は塩分。重要ですが、頭がいろいろ命令するときに使われるぐらいのいい加減なことを書きました。
 この調子ですから、3番目の水もいい加減なことになるかも知れませんが、読んでください。

水とくれば、一番に水道かと思います。以前は、大阪市の水は、飲みたく無かったですが、最近は、美味しいです。私の町は大阪府ですが、一部は淀川の水です。一部は、地元の水です。私の家は、地元の水ですから、美味しいです。大阪府の水は、そのままでも、毎日飲んでおられますと、気が付きませんが比べますとどちらが美味してか直ぐに分ります。
以前は、 この大阪府の水よりも、大阪市の水は、飲みたく無いほど美味しくなかったのですが、最近は、美味しいです。
 何故おいしいか、精しくは知りませんが、大阪市はお金を掛けて、浄水場を最新式のものにしました。
大阪市、水道サービスを官民で輸出
 http://www.alterna.co.jp/2159

これは、東南アジア向けが最初(?)でしたが、これからは、世界に通用する技術だと思います。
 みなさん、大阪市に旅行されたら、喫茶店やレストランで出された水をそのつもりで飲んでください。美味しいと思われるでしょう。だけど、地方から来られた方は、おいしくないと感じられるでしょう。
 水の味は、身体が判断できるのです。
 美味しい水で焚いたごはんは美味しいです。美味しい水で作ったお味噌汁は美味しいです。

 でも、水道は、人の手が加わった水です。一番良くないのは、消毒されていることです。

次回は、人の手が加わっていない水のことを書きます。

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2013.04.16

邪馬台国?

邪馬台国? 一体どう読めばいいのでしょうか。 もしこの言葉を華南弁(呉音)で発音すれば「やまだいこく」、華北弁(漢音)で発音すれば「じゃばたいこく」となります。 「やまたいこく」は華南弁と華北弁の重箱読みになっています。 ところで魏志倭人伝においては「邪馬台国」とは全く表記されていません。 正確には「邪馬壹国」となっているのをご存知でしょうか。 「壹」は「一」の旧字体です。 もし「邪馬台国」を探すとすれば、後漢書倭伝において、「邪馬臺国」続いて振り仮名として、案今名邪摩惟音之訛也、と記されているのです。 ここで「臺」は「台」の旧字体です。 しかも多分「やまと」と読みますと書かれているのです。 しかし現在ではどこで間違ったのか解りませんが、(魏志倭人伝に書かれている邪馬台国)と呼ばれています。 古田武彦が著した「邪馬台国はなかった」という本がありますが、魏志倭人伝を問題にするのであれば、「邪馬台国」とは書かれていなかったということです。 
ここでさらに詳しく「邪馬壹国」の文字について検討してみます。 魏志倭人伝を著したのは晋の陳寿ということですので日常会話では華北弁でしゃべっていたはずです。 すると彼は華北人でありながら華南弁表記の「邪馬壹?国」を知っていたことになります。 彼は何故華北弁表記ではなくて華南弁表記の漢字を使用したのでしょうか。 何故かといいますと、1世紀、2世紀頃の倭列島には、各地を往来する目的を持った多くの華南人が渡来しており、訪問先の地名等の記録を必要としたために、倭人の話し言葉を華南弁漢字で表記した地名や人名等が固有名詞として定着していたということです。 実際に奈良時代以前に於いて、倭列島で使用された言葉の漢字音表記は殆んどの場合に華南弁に因っており、現在でも日常用語として(例:数え方、県名等)使われています。 このように考えれば、陳寿は「やまと」の音を、華南弁表記による漢字で覚えていた「邪馬」と、取りあえず使用した「壹」を合わせて書いてしまったのではないでしょうか。 何故「壹」を用いたかと云いますと、「一」の字は魏志倭人伝の中では「一大国」として文字に意味を持たせる場合に使用されていますので、ここで用いられた「壹」は意味を持った「いち」の二音ではなく、倭言葉の一音であるはずです。 私は、陳寿が「壹」の字に「豆」の字が含まれているために華北弁で「とぅ」と読める(華南弁では「づ」)、と考えて使用したと考えてみました。
 田村 邦夫
2013.4.15

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2013.04.14

古事記が解いた古代史  因幡の白兎(2)

玄莵人はウソをつく民族だとの注意を促すためり挿話と考えれば、この代表はスサノオ命ではないだろうか。 
 神武東征の地域は、銅鐸の分布図から分る様にイザナギ命が支配した地域である。このイザナギ命には王子が育たなかったので長髄彦が後継者になった。紀ではこの長髄彦をニギハヤヒ命が、自分が天照大御神の子だと欺いている。
 ニギハヤヒ命は玄莵人で、白狄人のイザナギ命の後継者長髄彦を欺いたことを知らせるために、この話が加えられたと考えたい。天照大御神を殺したのが玄莵人すなはち、式内社の氏子の同族と分っては、藤原にとっては倭人から攻撃される理由になり、はなはだ都合が悪い。従って藤原朝臣は和邇の和の字を削ったのだ。
 この挿話は同時に大国主神は慈悲深い人物だと教えている。しかし紀では最も好ましくない人物で、国譲りの時、海に入って自殺したことになっている。更に紀は出雲大社が現存するのに、完全に抹殺している。


古事記が解いた古代史  130ページより転載


私からの一言—古事記は、誰がどの様にして作ったか、又、何のために作ったかは、古事記の「序文」に当たる所に書いてあります。
 しかし、序文の部分を翻訳された方は、殆ど居られません。書いてあっても、間違って翻訳されておられるのではないかと、
次の所から書き始めて、49回書きました。

歴史各論 牽牛子古墳(43)  柏原の地は都だった(35) 日本書紀(20)古事記序文
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2011-03-24
 全部は、上の部分から、順番に読んで戴きましたら、総てを読むことが出来ます。

 ご自分で検索されるときは、『新しい日本の歴史』http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/
の左下にある検索に「古事記序文」を入れて貰いますと、全部表示されます。
 どうして、古事記を書くようになったのかは、原文では、次の様に書いてあります。
朕聞諸家之所〓。帝紀及本辭。既違正實。多加虚僞。當今之時。不改其失。未經幾年。其旨欲滅。斯乃邦家經緯。王化之鴻基焉。故惟撰録帝紀。討覈舊辭。削僞定實。欲流後葉。時有舍人。姓稗田名阿禮。年是廿八。爲人聰明。度目誦口。拂耳勒心。勅語阿禮。令誦習帝皇日繼。及先代舊辭。然運移世異。未行其事矣。

 ここには、「朕聞諸家之所〓。帝紀及本辭。既違正實。多加虚僞。」朕が聞くところによると、天皇以外の諸家之所に、帝紀及本辭が有るらしいが、それらは、既違正實。多加虚僞であるから、天皇家の歴史を伝える帝紀及本辭を作って欲しいと、稗田阿礼と太安万侶に命令したことになっています。
 という事は、この時は、天皇家の帝紀及本辭はあったことになります。茲に、神々の名前とか、神社なども書かれていたと思われます。稗田阿礼は、書かれてある所へは、すべて、実際に行って、調べたと思われます。そのまま、書いても、どうせ、燃やされたり、書き直されますから、太安万侶は、いっぱい、創作をした話を書き残しました。
 意味が分った部分は、日本書紀に、藤原氏の都合のいい様に書換えました。意味が分らないときは、日本書紀には掲載されていません。
 「因幡の白兎」の話は、兎がお喋りする話になっています。現代の歴史家までも、太安万侶に騙されて、神話だと云って居られます。
 神話の部分ほど、太安万侶が苦心した部分です。

前々回のスサノオ命の謀反(4)に続いて、田村誠一氏の素晴らしい古事記の解釈になります。
49回に亘ってかきました「古事記の序文」間違いもいっぱいあるかも知れませんが、読んで戴ければ嬉しいです。

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2013.04.11

健康・医療(70) ガンをやっつけよう(39) 食事療法(16) 生きた食べ物

前回、
「美味しいものは、新しく、旬の食材ですと、なんでも美味しいと思います。
温室で、人間の手が加わったものは、生きた食べ物ではありません」と書きました。

生きた食べ物とは、どういう事か、ご存じですか。

人間は、生きていくために何が必要だと思われますか。
①酸素
②塩分
③水
の順に必要です。
 酸素は、2分入ってきませんと、死ななくても、後遺症が残ります。
 「2分入ってきません」は、自信がありません。
塩分よりは、水だろうと思われるでしょうが、これ又、自信がありませんが、間違いないと思っています。
 根拠は、いつのことか忘れましたが、兵庫県神戸に六甲山という山で遭難した人がありました。こんな山と云えば、叱られるかもしれませんが、標高は、1000m弱ですが、多くの方が、気軽に登って、一日を楽しめる山です。
 この山で遭難した人が居られて、確か、21日ぶりに救助されました。
新聞報道では、水も飲まずで、21日は奇跡だと書いてあったと思いますが、普通に考えますと、水なしで21日生きることができるという事が判ります。
 しかし、上に書きましたように、水分より塩分が大切と書きましたが、正確に言いますと、水分と塩分のバランスが大切なのだと思いました。
 学問上からいいますと、私の考えは間違っているかも知れませんが、このように考えませんと、この時、診察された先生が言われた通り、奇跡で片づけられてしまいます。
 
 バランスとは、どういう事かです。身体の中の塩分の濃度は決まっています。全く、何も食べないでいますと、濃度は濃くなりますから、血液が濃くなって、血液の流れが悪くなります。そうしますと、脳へ送られる酸素が減ります。脳は働かなくなります。それでは困りますから、脳は、腎臓で尿を作る時に、濃い尿にして、水分の排泄を抑えます。
 
水分が、2番目に大切と考える人は、もし、水筒を持っていたり、近くに川があればどんどん飲むことになります。食べていませんと、無理に水を飲みますと、こりゃ大変だと頭は考えて、水分を出そうとします。
 水分だけ排泄されますと、それでおしまいですが、その時には、マグネシウム、カリウム、リン、カルシウムも一緒に出て行き、これらの物質のバランスが壊れます。
これ等の物質は、電解質ということは、高校の理科で学んでいます。
 電解質は、血液の中に、存在しますが、これは、頭がいろいろのことを命令する時に、電気命令をするもとになっています。
 ホンマカイナと思われるでしょうが、後は、ご自分で、確かめて下さい。
 
 ここまで書いた13行ぐらいは、身体の中で起こるであろうことを想像しただけですから、正しいとは限りません。
 このように考えませんと、六甲で遭難した方が、どうして助かったかの謎は解けません。

 身体に大切なものは、次の順で大切であることにしますと。説明できると思います。
①酸素
②塩分
③水
 
タイトルに「生きた食べ物」を書きましたが、生きた食べ物は、すべて、水分を含んでいます。
 その水分の事が重要ですから、水分のことを考えていましたら、3番目に重要だとの話になってしまいました。

 では、どのような食べ物が良いかといいますと、生きた食べ物が良いことになります。
生きた食べ物は、美味しいです。新しいです。旬の食材は美味しいです。

次回は、生きた水を考えます。

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2013.04.09

古事記が解いた古代史  因幡の白兎(1)

記紀には神話が書かれていると、万人が信じている。神話の代表に因幡の白兎の話があるが、これは古事記にしか書かれてなかった。
 白兎が人語をしやべるだろうか。先づ原文を左記に示しておいた。「莵」が「海の和邇」を欺ために、衣服を脱がされ裸にされたので、白兔が皮をはがされたとは書かれて居らない。兔は皮をはがされたら死ぬし、日本には白兔は雪国の冬にしか見付からない。
 「兔」とは北鮮の中国の植民地の四郡の一つ玄莵からの渡来人ではないか。近江には銅鐸の項で述べたが、ここには白狄人が住んでいた。大津市の北は和邇村であり、この東の近江八幡の多賀にはイザナギ命の御所があった。
 「海の和邇」とは「淡海の和邇」であり、藤原朝臣が1263年に記を校した「淡」の一字を除いたのではないか。「和邇」とは白狄人と考えれば謎は残らない。
 玄莵人が白狄人と人数較べをして、玄莵人がウソをついたのである。玄莵人すなはち高句麗人は人を欺ますから記は注意を促したのだ。

古事記が解いた古代史  129ページより転載


私からの一言
左記の原文は、http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_04.html
「菟答言、僕在淤岐嶋、雖欲度此地、無度因。故、欺海和邇」

ずばりと書きますと、古事記は消されてしまいますから、太安万侶は、たとえ話で書き直したと思われます。
 日本書紀を書くときに、古事記を参考にしましたが、因幡の白兎の部分は、日本書紀の編集者には、意味が理解できなかったので、日本書紀には書かなかったのではないでしょうか。

古事記では、注意をうながした所は、外にもあります。
天の安の河を中に於いて、天照大御神と建速須佐之男が誓(うけい)をする部分が有ります。建比良鳥命はどのような人物かを小さい字で説明をしています。天津日子根命も、説明を加えています。
 前の部分と関係がない文章になっていますから、元々は、もっと、文章があったと思われます。

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2013.04.07

健康・医療(69) ガンをやっつけよう(38) 食事療法(15) 間違い(2)

一週間前に、
泉パウロ著 『3.1人工地震でなぜ日本は狙われたか[Ⅴ]』という本を買いに本屋へ行きました。本は有りませんでした。以前、『3.1人工地震でなぜ日本は狙われたか[Ⅲ]』を買った同じ本棚を見ましたが、在りませんでした。
 その下に、本の表紙が見えるように並べてある本を見つけました。
 
 タイトルは

医者に殺されない47の心得
 医療と 薬を遠うざけて、
 元気に、
 長生きする方法

 近藤 誠 慶応義塾大学医学部放射線科講師
 
[心得 8]「早期発見」は、ラッキーではない
[心得12] 一度に3種類以上の薬を出す医者を信用するな

病院に行く前に、かならず読んでください
                  たちまち 36万部突破


 なんと、この本は、上を向けて3冊も並べてありました。

 この書店が一番、売れることを願っている展示の方法です

 本屋さんの期待に応えて、買ってきました。

前回、近藤誠先生が「ステーキでもトロでもイクラでも、おいしいものと思うものを何でも、食べて、少し太ったほうが長生きする」と書かれた本は、上に書いた本です。

 近藤誠先生は73才です。私と同じです。ですから、終戦前後の食べ物の無かった時代はご存じだと思います。もしかすると、お金もちで、美味しいものを一杯食べて育ったのかも知れません。 私は、お米などは食べた記憶が有りません。(食べたことは食べましたが、底に、お米が見える御粥でした。それでは、生きていけませんから、他にいろいろのものが、入ったオジヤでした。) お肉は、一年に一回でした(なぜか、12月の暮れ、大掃除が住んだ夜でした)。 スイカかは、夏の大掃除の後に、一回食べるのが、我が家のイベントでした。

 肥満の人は一人もいませんでしたが、病気をした記憶が有りません。暖房も冷房もありませんでした。
18~22才までの大学の寮生活では、三食付きで、寮費が2800円でしたが、300人いた学生で、4年間に病気をしたものは、一人もいませんでした。(600名いた学生のうち、300名が寮生です。 下宿の学生は裕福だったと思います)
近藤誠先生の経験から、 「ステーキでもトロでもイクラでも、おいしいものと思うものを何でも、食べて、少し太ったほうが長生きする」は正しいかも知れませんが、私の食べるものも食べなくても、全員元気ですし、大学時代40人の内、事故死を除けば、4人が他界しただけで、みなさんお元気です。 私の経験も正しいことになります。

美味しいものは、新しく、旬の食材ですと、なんでも美味しいと思います。
温室で、人間の手が加わったものは、生きた食べ物ではありません。ホウレンソウはいくら、ビタミンCが豊富でも、長い時間ゆでますと、ビタミンCはゼロになります。

ステーキ、特に脂肪の多いものは、すべての癌の大敵です。


がん ある「完全治癒」の記録 
  アンソニー・J・サティラロ著  上野圭一=訳

サティラロは、ステーキは、週に二回は食べる方でしたが、止めるとガンは回復に向かい、食べると、直ぐに悪くなったことを書いて居られます。癌の治療をするプロの先生が、医者でもない人に、食事のアドバイスをされ、仲間内では、手遅れと診断していたのに、助けてくれた人たちは、初めから、治ると宣言したことも書き残しておられます。

がんは手遅れだと云われた人は、

がん ある「完全治癒」の記録 
  アンソニー・J・サティラロ著  上野圭一=訳

医者に殺されない47の心得
 医療と 薬を遠うざけて、
 元気に、
 長生きする方法

 近藤 誠 慶応義塾大学医学部放射線科講師
 
[心得 8]「早期発見」は、ラッキーではない
[心得12] 一度に3種類以上の薬を出す医者を信用するな

病院に行く前に、かならず読んでください

 を2冊読まれて、実行するだけで、癌は治ります


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2013.04.05

古事記が解いた古代史  スサノオ命の謀反(4)

身が赤くただれ、杉や檜、こけまで生えていた。これは山の尾根をたち上った8本の煙道が共通になった部分の描写である。目はほうずきの様に赤かった部分の描写である。目はほうずきの様に赤かったことは山上の煙突の描写と考えてよい。
 当時滅んでいた中国の中山王国では現在でも至難な鉄の脚に青銅の胴部を鋳つぎして60キロの鼎を作る技術があった。この中山王国からはすでに述べた様に全国に白狄人が亡命して来ていたのである。この人達は銅鐸を大量に国内で鋳造していたのである、製鉄技術を持った職人が来て居らなかったら、むしろ矛盾していたのである。
 横田町大呂に現代人の想像も及ばぬ製鉄所があってよかったことは、鼎から類推出来る。
 たたら式の様にふいごを人力で動かして送風するよりも進んだ登り窯と同じ原理の自然通風こそは最初に考えつく通風法だったと考えたい。
 この製鉄職人が毎年略奪結婚していたことが神話化されたのだ。職人を殺した時の血が流れた川が斐伊川だった。


古事記が解いた古代史  127ページより転載


私からの一言---今回の文章の意味はお分かりなられましたか。
 私は、この文章だけで、執筆者田村氏に博士の称号を与えてもいいなと思いました。

「身が赤くただれ、杉や檜、こけまで生えていた。これは山の尾根をたち上った8本の煙道が共通になった部分の描写である。目はほうずきの様に赤かった部分の描写である。」
この部分は、古事記に書いてある部分です。
 追放されたスサノオが、横田町大呂にやって来た時に、嘆き悲しんでいる足名椎命・手名椎命の夫婦に出会います。
 8人いた娘は、毎年、大蛇に捧げてしまい、最後の一人になりました。大蛇の退治する代わりにクシナダヒメを妻として差し上げることを約束し、スサノオが退治をして、クシナダヒメと結婚したというストーリーです。

 どうして、このようなストーリーが出来たのでしょう。書いたのは、太安万侶です。スサノオは、天皇家の大切な構成人物ですと、古事記は書いてきました。そのまま、素直に書いたのでは、古事記は書換えられるか、焚書となると考えた太安万侶は、創作したのだと思います。しかし、その時のヒントになったのが、稗田阿礼の報告書だったでしょう。古事記を制作するにあたって、全国を歩き、老人から、伝承を聞いたり、その時に既にあった神社にも立ち寄ったと思います。(前回の稲田姫を祀った稲田神社)
 稗田阿礼が見た8本の煙道の後は、この時に、少しは残っていたのではないでしょうか。
 
「当時滅んでいた中国の中山王国では現在でも至難な鉄の脚に青銅の胴部を鋳つぎして60キロの鼎を作る技術があった」
の文章は、理解できないと思います。この部分は、中国の歴史家でも、理解出来ないと思います。ここに書かれた60キロの鼎ま詳しいことは、中国でも、何一つ残っていませんが、現物は残っています。
 発掘されて、直ぐに、日本で公開されました。その時に発行された写真集が残っています。 
 タイトルは『中山王国文物展』です。図書館で見ることが出来るのではないかと思います。
 田村氏は、中国から避難して来た中山王国の人たちが、銅鐸を残した人で、イザナギ・イザナミだと考えておられます。
 
 このような歴史は、日本では認められない歴史ですが、中国では、消滅させた人たちですから、資料はゼロです。
イザナギ・イザナミは 日本人の先祖であり、天皇家の先祖でもあると古事記は書き残したのですが、日本書紀を書いた人は、そのよう歴史は許せなかったので、太安万侶が怖れたように、書換えました。

 どのように書換えたかは、日本書紀と古事記を読みくらべますと解ります。

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2013.04.02

健康・医療(68) ガンをやっつけよう(37) 食事療法(14) 間違い

私は、食事療法は有効だと思っています。しかし、多くの先生は、食事療法はダメだと思っておられます。
 慶応義塾大学の先生である近藤誠と言う先生は、新しく出版された本に、ずばりと書いて居られます。
 142ページに、ステーキやトロを食べなさい。
 最近「1日1食」がはやっています。しかし、食事はふつうに3食とるのがいちばんです。アメリカ国立老化研究所(NIA) は2012年、23年に及ぶ「カロリー制限によるサルのダイエットの研究観察」の中間報告をしました。
 ミミズやマウスなどの小動物の場合は、通常より30%カロリーを減らすダイエットで寿命が延びることがわかっています。
 しかし同チームがアカゲザルで、カロリーを20%ほど減らしてダイエットしたグループと、しないグループを20年以上観察した結論は、、「両者に寿命の違いはなく、カロリー制限で寿命は延びなかった」。

 僕は最近、がん放置を選んだ患者さんには「ステーキでもトロでもイクラでも、おいしいものと思うものを何でも、食べて、少し太ったほうが長生きする」とアドバイスしています。
 がんでない方も同じです。・・・・・・

 食事療法などは、全く根拠のないことだと書いて居られます。

近藤誠先生は、
がん ある「完全治癒」の記録 
  アンソニー・J・サティラロ著  上野圭一=訳
 
 を読んでおられないのだと思います。しかし、有名な本ですから、読まれたと思うのですが、サティラロ博士は、同じ医者仲間ですが、日本で癌の本を書いている医師は、全部イカサマのように書いて居られますから、サティラロ博士もそのように捉えておられるのかもしれません。
 私は、がん ある「完全治癒」の記録 を古書店で買って、ゆっくり読みました。

サティラロ博士は、最後まで、食事療法は認めたくなかったのですが、指導された食事療法だけで、がんが ある食事療法で「完全治癒」したことを本に書かれたことが分かります。
 しかし、それは、神のお導きであったことを知り、信仰の世界に入られたことが記されています。神は真剣に信じるだけで、助けてくれることを体験されたことになります。
 でも、長々と書いた本の内容は、わけの判らない日本人の集団にえらそうに 指導されたことが、どれほど悔しかったかを書いて居られます。
 肉を食べることを止めるだけで、症状は改善され、食べるとみごとに体調が悪くなった報告書です。
 
 私が、沢山読んだ本は、近藤誠先生に言わせますと、全部間違いだと書いて居られます。私もそのように思いました。
 ただ、一人、近藤誠先生は、沢山本を書かれましたが、書いてあることは、総て正しいと思って来た先生です。
 しかし、食事療法は、完全否定するだけでなくて、「ステーキでもトロでもイクラでも、おいしいものと思うものを何でも、食べて、少し太ったほうが長生きする」と書いてあられます。
 この部分は間違いであろうと思います。

 次回は、近藤誠先生はどのような先生であり、なんという本に「ステーキでもトロでもイクラでも、おいしいものと思うものを何でも、食べて、少し太ったほうが長生きする」
と書いておられるのかを紹介したいと思います。

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2013.04.01

古事記が解いた古代史  スサノオ命の謀反(3)

スサノオ命が遡って行った所は鳥髪と書かれていたが、ここも船通山と名前が変えられていた。しかし鳥上滝の地名が残っていた。
 八岐の大蛇の神話とされているが、紀では八岐の大蛇と書かれ、古事記では八俣の遠呂智と記述が全く異なる。
 八俣の遠呂智とは地名であって、道が8本に分れた所にある遠呂と称する土地のことだ。8本に分れているのは仁多郡横田町で、ここに大呂の地名があり、これが遠呂と書かれたのである。ここでも藤原朝臣は文章をカットしたとしか考えられない。
 ここで現在でも日立金属が砂鉄から日本刀の玉はがねを作っている。近代的な製鉄法では日本刀の切れ味は生れない。横田町には問題の稲田姫を祀った稲田神社があり、式内社ではない。式内社にすれば真実が知られることを恐れたのだ。
 八つの尾根に煙道を設けて共通の胴を作り山上に煙突をつけた最新式の自然通風の製鉄所がここにあったのだ。尾根の麓に各々還元炉があり、この職人が略奪結婚を行ったのだ。


古事記が解いた古代史  126ページより転載

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