2006.07.10

チヤンス ! 北朝鮮への援助

7月5日、北朝鮮がミサイルを発射した。なぜ 世界から非難の多いミサイル発射を敢えてしたのか。 北朝鮮の真意は誰にもつかめていないようです。テレビを見ていますと、三人の専門家といわれる人が、並んで座っておられて自説を披露しておられますが、三人とも違っていても平気です。挙句の果ては、普通の物の考え方が出来ない国ですから・・・・。

こんなことを言い出したら、コメントする意味はなくなります。やはり物事を分析するには、少ない発射された資料から分析しないと対策は立てることは出来ません。
 すでに戦争に突入している状態ですのに、政府はどうするのですかと「みのもんた」という人が、スタジオで防衛庁長官に質問していました。質問する方もするほうです。答える人も答える人です。 戦争になったときに、どうするのか 手の内を明かしたらどうするのかです。 額賀長官は正直に、迎撃する手はないので、アメリカに頼むと言いました。アメリカが頼まれてくれるかどうか不明ですが、頼まれてくれることにしますと、北朝鮮は日本との戦争ではなく、アメリカと勝負です。持っている200発のミサイルは日本に飛んでくるでしょうが、日本を全滅させることは出来ません。手つかずのアメリカは総攻撃で、3日もかからないでしょう。
 北朝鮮は、どのような判断するか判りませんが、私とそれほどかわらないと思います。

そこで、発射された資料を並べてみます。
① 6月18日、北朝鮮が長距離弾道ミサイル「テポドン2号」への燃料注入を完了したとロイター通信や米紙ニューヨークタイムズ紙(電子版)が伝えた。
② 7月5日、7つのミサイルを発射。一番遠いところは、ロシアのウラジオストクに近い排他的経済水域。
③ アメリカの太平洋艦隊の旗艦ブルーリッジは、北朝鮮のミサイル発射の兆候が強まっていた6月28日には、中国の上海に、親善訪問のために寄港した。(2年ぶりの訪問-----予定の行動と言われるが、北朝鮮への圧力は?)
④ 7月5日、ブルーリッジは、親善訪問のためにウラジオストク港に寄港し、停泊
中。----これも、以前から予定されていたらしいですが、アメリカの太平洋艦隊が北朝鮮を挟んで移動するのは威嚇でしょう。
④ 7月5日、アメリカでは祝賀会 開催中。
⑤ 北朝鮮のミサイル発射問題で、日本が対北制裁決議案の提出を表明した7日の国連安全保障理事会の非公開協議の席上、中国が「安保理の団結が破壊された」と提出を強く批判、日本と激しく対立したことが分かった。ぎくしゃくする日中関係は
北朝鮮ミサイル問題を引き金に新たな「衝突局面」を迎えている。  Asahi.com18.07.09より

このような調子で資料を集めていきますと、いくらでも資料があります。
ほかに、北朝鮮で一番の家来とされている軍部によるクーデーターの発覚などの資料を加えますと、「北朝鮮では、内部のゴタゴタの結果が、ミサイルの発射か」という説が案外正しいかもしれません。

それにしても、日本政府に外交は大丈夫なのでしょうか? アメリカの軍隊が、ミサイルの発射があるのではと騒いでいる最中に、中国とロシアを訪問している。そのことに対する見せしめもあって、ウラジオストクに近い排他的経済水域にミサイルを打ち込んだ。中国向けのミサイルも数発打った。
打ち込まれた中国とロシアも一緒になって、日本が対北制裁決議案の提出に対して、消極的だと日本では報道されましたが、「強く批判、日本と激しく対立した」との報道もあります。中国は徹底して、日本を敵視しています。同時に、アメリカも日本離れをしています。
このようなことを総合すれば、日本の対北制裁決議案を国連に提出するなど、はじめから無理だと思われます。

自分の国の歴史を知れば、世界中で一つの国を封じ込めるやり方は、かって、日本がやられたことと言うのが直ぐに判ります。そのことによって、日本の軍部が暴走することになり、世界を相手に戦争をすることになりました。
同じことを、北朝鮮にすることは間違いでしょう。

北朝鮮の内部の権力競争がどのようになっているにせよ、いつかは崩壊するしかないでしょう。
そのときには、世界のどの国よりも迅速に援助ができるように準備をする方が大切ではないでしょうか? 北朝鮮に援助ができるチヤンスです。

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2006.07.07

日本の防衛体制は大丈夫?

楽しいことを書こうとはじめたブログですが、楽しんでばかりおれません。

政府の日本の防衛を任せておいて大丈夫なのだろうかと思いました。

今朝(18.07.07)、みのもんたのテレビ番組に防衛庁長官の額田氏が出演されていました。
出演には、額田氏個人の判断で出演されたのではないと思います。きっと、国民に不安感を与えないように政府のしかも、一番重要な地位におられる額田氏が出演されたと思います。
要約しますと、
① 軍事的に打つ手は無いという事です。北朝鮮が発射したミサイルを打ち落とす技術はない。来年には、整備したい。
(来年以降には間に合いますが、今回の事件には、間に合いません。1998年に日本を越えて飛んでいったときに、研究をはじめておくべきでした)
② アメリカと連携をとってやっていきたい。連携どころか、お願いするしかないとおもいますが・・。
(お願いごとをするのであれば、牛肉問題などは少しぐらいの不満はあっても解決しておくべきでした。)
③ 北朝鮮には、これ以上エスカレートしないように国連を通じて抗議する。
(中国とソ連は反対です。貿易を止めるなど、両国にとってはとんでもない事です。人間、損得で動くものです。わたしでしたら、困ったときだけ助けを求める人は助けません)
④ 北朝鮮は、どういう意図でやっているのか、先ず、問い詰めて話を聞く事です。北朝鮮は、軍事演習だといっているので、日本向けては打ってこないでしょう。
   (太平洋に飛ばそうと思って、失敗して日本に落ちてくる可能性もあると思います。日本に向いてミサイルが飛行している時は、仕方がありません。せめて、落下予測地点の人には、地下に避難するようにテレビ・ラジオをで、警告する手はずになっているのでしょうね。 あらゆる面で万全の手を打っていると言いながら、日本にミサイルがこないことを前提にしているようです。こうなったら、ここ数日は、地下が安全です)

それにしても、おかしいですね。
  私たち、国民は臨戦態勢で無くても良いですが、政府、とくに防衛庁は臨戦態勢であるはずなのに、テレビに生出演。
小泉首相が、「あんなことして なんの得になるのでしょうね」と笑っているのは良いですが、長官がニコニコわー笑っている場合ではありません。

防衛意識の欠如はまちがいありません。 

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2006.02.19

皇位継承(その3)  皇極天皇はどのような人

前々回に持統天皇をみてみました。前回は、天皇制というものは、長子が受け継ぐとか、男子が受け継ぐとはっきり決まったものは無かったのではないかと書きました。

今回は、第35代 皇極天皇(642年~645年)と第37代 斎明天皇(655年~661年)について調べてみます。全く歴史の知識がないのに、書くつもりになっています。
ざっと、インターネットに書かれていることを読んでみました。なんだか凄い時代なのだなと云うのが、第一印象です。
皇極天皇と斎明天皇は同じ方です。皇極天皇は舒明天皇のとき皇后です。
舒明天皇の前は推古天皇です。推古天皇の在位は、36年ですから、一応安定していたと考えていいと思われます。推古天皇は跡継ぎを決めていなかったので、蘇我蝦夷は独断で決めようとしたが群臣にはかって、田村皇子を立てて天皇にした。(と日本書紀に書かれていますが、本当でしょうか。日本書紀は藤原不比等が自分たちに有利なように作ったのではないかと疑っていますので、一応、確かめるくせがついています) どうやら、蘇我氏の力が強かったことは確からしいです。蘇我氏自身の出自は良く判っていません。渡来系の氏族と深い関係にあったのは確かなようで、天皇を動かす力があったようです。
舒明天皇は初めて遣唐使を派遣したことになっています。そして、唐からの高表仁の返訪を受けた。 (本当に舒明天皇がご自身で考えて遣唐使を派遣したのであろうか・蘇我氏の主導では?)
舒明天皇の死後、皇極天皇が皇位につきます。
皇極天皇4年(645年)6月12日、乙巳の変が起こり蘇我蝦夷・入鹿親子が中大兄皇子(後の天智天皇)・中臣鎌足(藤原鎌足)に倒され、いわゆる「大化の改新」が始まりました。天皇は退位し、中大兄に後事を託しますが、皇子は自分では即位せず、14日、叔父の軽皇子が、天皇(孝徳天皇)となります。
皇極天皇の在位は、僅か3年です。

これは予想していた通り、頭大混乱です。書いている人の思惑があって微妙に歴史の解釈が異なっています。殆どの方は、天皇の皇位の奪い合いと捕らえておられます。

孝徳天皇の死後、35代皇極天皇は第7代斎明天皇となります。
斎明天皇は百済を助けるために出陣し筑紫で亡くなられています。
所謂、白村江の戦いへ行く途中のことです。私は白村江の戦い自体が、唐によって嵌められた戦争と考えていますから、斎明天皇の死も謎を感じます。

私は「大化の改新」は中国人(漢人)の日本征服の第一段階達成の印だと考えています。中国に遣唐使を派遣したのは、天皇家ではなく、漢人だと思います。天皇家は苗族で、漢人とは宿命的に敵同士だと思っています。だから、天皇が中国に従うような朝貢を行うことは無いと思います。同じ中国への使者でも、遣隋使と遣唐使では意味がことなります。宋は漢人による国ですから、使者を送ったのは、中国人だと考えないといけないと思います。

中臣鎌足は中国人ではないかと思っていますが、これから調べるつもりです。中臣鎌足も中国にお伺いを出しています。第二回の遣唐使のときに、長男の定恵を派遣しています。しかし、唐は自分達の方針で日本征服を試みます。そして、そのためには、中臣鎌足は邪魔になり殺されます。中臣鎌足と天智天皇は蹴鞠をして仲が良かったように思われていますが、斎明天皇の死後、即位するのに、7年も掛っています。中臣鎌足が中大兄皇子の即位の邪魔をしていたのではと想像しています。
しかし、唐は白村江の戦いのあと、郭務悰を日本に派遣、軍隊も派遣し、中大兄皇子を天皇にするようにします。天智天皇の誕生ですが、天皇の周囲は百済人で固めます。百済の人を滋賀の蒲生郡に入植させたり、関東に移動させたりします。傀儡政権を作ろうとしますが、上手くいかなかったのでしょう。毒殺を企てます。それに気がついた天智天皇は
大海人皇子を枕辺に呼びます。大海人皇子の皇位継承辞退。唐の思惑とおり、大友皇子が皇位につく。その後、大友皇子と大海人皇子の戦争になります。壬申の乱です。

そんな話し、聞いたこと無いなと思われたと思います。
私は舒明天皇のときから、ずっと中国がらみで天皇家は翻弄された時代だと思っています。
もっとも、皇極天皇と斎明天皇の時代は、もっと時間をかけて勉強する必要がありそうです。
次の文は、神戸市の有馬温泉のホームページに書かれた一文です。
「第34代舒明天皇(593~641年)、第36代孝徳天皇(596~654年)の頃からで両天皇の行幸がきっかけとなり有馬の名は一躍有名になりました。日本書紀の「舒明記」には、舒明3(631)年9月19日から12月13日までの86日間舒明天皇が摂津の国有馬(原文は有間)温湯宮に立ち寄り入浴を楽しんだという記述があり、それを裏付けています。」

私は読んで「あれっ」と思って、日本書紀を調べました。この文には一部誤りがあります。「入浴を楽しんだ」とありますが、楽しんだかどうか判りません。外には豊臣秀吉も訪れていますが、病気の治癒で訪れています。舒明天皇のことは、少ししか述べませんでしたが、温泉旅行どころでなかったと思います。
 天皇が有馬に行かれるときは、どれぐらいの人が付き添うのであろうかと調べたことがあります。よく判りませんでしたが、少人数ではなかったと思っています。伊勢の斎宮王が交代されるときでも、400人ぐらいだったと言われます。警備をいれると相当な部隊になると思われます。仮に少人数であれば、陸上では危険が多すぎます。河を利用しないと無理であろうと考えました。有馬へ行く道は、神戸から。神戸市住吉から真っ直ぐに山越え、宝塚市を通るの三本が考えられますが、武庫川が利用可能か調べたことがあります。
この河の両岸は、アマテラスを祭った神社に囲まれています。昔から天皇家の勢力が強かった所だと思われます。実際に船で遡れるのかといいますと、河の深さを数箇所で調べましたが、西宮インターのあるところまでは、充分可能でした。ただ、ここから有馬までは両岸から引っ張らないと無理かなと思いました。
宝塚市には高司(鷹司?)、御所の前町、御殿山などの 皇室に関係ありそうな地名が残っています。記録にはなくても皇室の人が有馬を訪れたのではないかと思いました。
舒明天皇は、この時以外にもう一度有馬に行かれています。私の頭は、どうしても、又もや、毒殺の所為で体調を悪くされたと考えてしまうのです。
女帝は、男でなり手がなかったのではなく、傀儡政権の飾り物にされた可能性が大きいです。

天皇系図


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2006.02.14

皇位継承 と 天皇制

天皇制というものがあって、日本の天皇は初代の神武天皇から連綿と125代続いていると思われています。本当でしょうか?  どうして調べたらいいと思われますか? 

天皇家誕生の謎、古代天皇家物語、歴代天皇紀、天皇制の研究、天皇制批判について 、天皇制国家の謎、新天皇系譜の研究ー万世一系の演出と実態、天皇家はなぜ続いたか 

上の二行は本の題名です。インターネットの古書のページで検索しました。これを全部読めば、少しは判ると思いますが、私は読まなくてもいいように思います。どれも、元になるものは同じと思うからです。
 日本の天皇歴代については、いろいろの書物がありますが、古くて、基本になるものは日本書紀と古事記だと思います。天皇制の研究をするのであれば、初代から125代天皇まである資料すべてを調べる必要があります。しかし、学者でなければ、日本書紀と古事記の二冊で充分だと思います。

難しいことはありません。両方とも翻訳本でいいですから、買い求めてください。そして、先ず、古事記を開いてください。
 神武天皇の前の部分を見てください。天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命と玉依毘売命の間に、4人生れたことが書いてあります。
神武天皇は若御毛沼命、亦の名豊御毛沼命、亦の名神倭伊波礼毘古命と書いてあります。
普通は若御毛沼命と呼ばれていたと思われます。 ところが、古事記を書くに当って古事記の作者が考えたのが、「神倭伊波礼毘古命」の名前だと思います。「神」はユダヤ人を表します。「倭」は出身地を表します。「伊波礼」が呼び名です。「毘古」は男性を表します。
「命」は尊称です。
話しのついでに、「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命」を書きますと、こんな長い名前があるわけがありません。どのような名前であったか判らなかったのだと思います。「天津」天孫族であることを表します。お父さんが生れるときに、産殿を作ってそこで、産む風習があったのですが、鵜の羽と草を使って産殿を波限即ち、波ぎわ、海岸に作ったのです。屋根は葺いたのですが、まだ、完成しないうちに生れましたと、その前のところに書いてあります。何故間に合わなかったかといいます、おばあさんがそのような風習を知らなかったからだと書いてあります。(ついでに読んでください)
このように、古事記ではこのような言い伝えがあったので、名前を創作したのだと思います。そんなこととは知らない日本書紀の作者は、古事記を参考にして作ったのに、古事記と同じ文字は一切使っていません。しかし、古事記は「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズノミコト」のことをどのように表現したかといいますと、「彦波瀲武鸕?草葺不合尊ヒコナギサタケウガヤフキアヘズノミコト」(?は滋の右側の横に鳥です)と書きました。
「天津」の意味は判ったらしく外しました。
これが前置きです。このようなことを書いた本は、きっと、無いと思います。(田村誠一と云う人は別です)
こんな解説は、歴史のプロにかかったら、イチコロでやられてしまいます。このように眺めますと、日本書紀はいかに作為に満ちたものであるか理解して頂けると思います。

では本論です。
古事記のすべての天皇を読んでください。はじめだけでいいのです。神武天皇は初代天皇など書いてありません。二代天皇も神沼河耳命と書いてあるだけで、何時即位した、皇太子になったなど書かれていません。ここは、簡単に書いてあると思われるでしょう。崇神天皇でも同じことです。この頃は、大切なことは、誰がだれから生れたのかという関係です。もし、即位したのが判っているのであれば、書いたはずです。判っているどころか、天皇制というものは無かったと思います。
一方、日本書紀の方は、何時生れて、いつ皇太子になって、いつ即位したか、月までかかれています。現在の天皇でも、他人は記録しているでしょうが、自分ではされていないでしょう。日本書紀が詳しすぎることに疑問を持たないで、日本書紀をもとにして、古事記に書いてあることは間違っていると自分の説を主張しておられる方がいっぱいです。

私の本論は、これで終りです。
しかし、いつの時代からか、あるルールはあったのだと思います。それは、学者の意見を聞いていただければと思います。

もう一度、念を押しますと、日本書紀は、712年に古事記が完成したときに、あまりにも都合の悪いことが書かれていますので、書き換えることになったのだと思います。完成するのに8年掛りました。見事に書き換えただけでなく、実際に無かった所へ、神社を作ったりしました。そして、古事記はすべて、処分したのだと思います。

肝心の天皇制ですが、これは、大化改新のときに、中国の制度を取り入れ、その後の天皇は、ある程度この制度に縛られたのではと想像しているだけです。
では、その前の天皇制は? 勿論、それまでの即位や立太子の式などは無かったはずです。年月日などは当然、日本書紀の作者の創作です。 

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2006.02.12

遺跡の発掘は今のままで良いのか

高松塚古墳の壁がカビによって劣化しました。解体して修復保存することになりました。言葉は劣化しかないのでしょう。修復不可能になりました。文化庁は住民説明会を開き、地区代表ら約100人が集まったところで、同庁の加茂川幸夫次長は「無策だったのではなく、それぞれの時点で最高の対策をとってきた」として劣化が進んだ責任は認めなかったと報道されました。最高の対策をとっていたのでしょうか? カビが問題であったのは確かでした。予想されただけに、空気調整や温度調整もされていたはずです。それでもカビ賀生えてきたということは、細菌学者の処置が間違っていたことになります。完全に処置をすれば100パーセント防ぐことが出来たはずです。出来ないのであれば、発掘しなければ良かったのです。勿論、今だから言えるのですが、細菌をいろいろの状態で関与させれば、しっくいはどのような状態になるのか、そのときに使われた顔料によってどのように反応が異なるのか、すべて実験すべきです。日本一の細菌学者に依頼されたのでしょうか? 何人の細菌学者が関与されたのか、名前はなんと言われるのか、公開する必要があると思われます。
 高松塚古墳だけであれば、まだ許されるかも知れません。明日香村阿部山のキトラ古墳も、漆喰が浮き上がってきて、剥ぎ取って修復することになりました。
この二つのことに対して、すでに、多くの人が意見を述べておられますから、素人の私がとやかく言う必要もなさそうですが、現在、姉歯一級建築士による設計偽装のため、軽い地震でも崩壊の恐れがあるので、大問題になっています。
 こちらの問題は現在の時点であれば、お金さえだせば簡単に解決です。全員が私は悪くありませんと云っていますが、全員が悪いのでしょう。あの建物を建てるまでに、関係あった人のうち、一人でもこれは良くないなと思えば防げた事件です。
 高松塚古墳とキトラ古墳は、もう元に戻すことは不可能です。こちらの方に携わった人は専門家でなかったことになります。もし、最高の人だと思ったのであれば、それは間違っていたのでしょう。
どうしても間違っていなかったと言われるのであれば、これから10年ほどは、発掘はストップすべきでしょう。
発掘をして発掘の研究は、すべて終了したのでしょうか? 終了したのであれば、ネットなどで公開すべきです。消えてしまった壁画は今さらどうすることも出来ませんが、せめて低価格で写真の販売をすべきです。専門家だといって、自分達だけが肉眼で見て、後の者は、見せても頂けないで、莫大な保存費用だけを税金から取られるのはお断りです。
                          
まあ、私の愚痴みたいなものです。

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2006.02.09

皇位継承について

皇位継承問題
 紀子様ご懐妊の知らせで、メディアはテンヤワンヤの大騒ぎです。ご懐妊のニュースの以前から、小泉首相は今国会で男子優先になっている法律を改正しようとしています。大きな流れは有識者がよく考えて、結論を出すということになっていますが、そのようなことはお構いなしに、各新聞社はアンケートをとり、80パーセントの国民は、女性天皇容認しているなどと報道して、圧力をかけようとしています。
最近は欧米の考え方が優先していまして、何でも多数決・法律に従ってというような意見が優先されています。
これを持ち出しますと、話は簡単です。男女平等ですから、天皇家といえども、男子が優先的に天皇になるということを決めても無効です。
私の家は、男女二人の子供がいますが、どちらが継いでくれてもかまいません。継いでくれなくても構いません。勿論、私の兄弟についで貰うなどは微塵にも考えません。天皇家の人は気の毒ですね。継ぐのは嫌だとはいえないのでしょうか? 全員が言えば日本から天皇家がなくなるだけの事です。
嘘か本当かわかりませんが、私が調べたところでは、初代神武天皇が奈良にて即位してから、2000年と5年になります。この間、一度も途切れることもなかったと言われています。世界中で、これほど長く続いている家はないでしょう。誇っても仕方がありませんが、誇っても良いかなとも思っています。
天皇家ほど、他人がとやかく言って家を継ぐのに、いちゃもんを付けられた家はないでしょう。天皇家のことですから、天皇陛下が決められたらいいでしょう。愛子さんがどのような方であるのか、秋篠宮さまがどのようなかたであるのか、一番知っておられるのは陛下のはずです。日本の天皇は、昔から法律があって男子が優先的に天皇になると決められていたのではありません。明治時代に決められただけです。しかし、誰でも男子が天皇家を継いできたのは知っています。現在の天皇も当然、それを望まれているでしょう。ただ、必ずそうなるとは限りません。そこで、小泉さんがしゃしゃり出たことになります。失礼な人たちです。
有識者の意見としては、過去にも女性の天皇が居られるのですから、良いだろうとの意見が大勢を占めているらしいです。本当に、だれからも望まれて天皇になられたのでしょうか?
過去の女性天皇をみますと、
初代神武天皇から今上天皇陛下まで125代の天皇のうち、過去に女帝は8人、二度なられた方(重祚)が居られますから、10代存在することになります。
第33代 推古天皇(592年~628年)
第35代 皇極天皇(642年~645年)
第37代 斎明天皇(665年~661年)※皇極天皇の重祚
第41代 持統天皇(690年~697年)
第43代 元明天皇(707年~715年)
第44代 元正天皇(715年~724年)
第46代 孝謙天皇(749年~758年)
第48代 称徳天皇(764年~770年)※孝謙天皇の重祚
第109代 明正天皇(1629年~1643年)
第117代 後桜町天皇(1762年~1770年)
皇極天皇から元正天皇までは、少なくとも中国人の支配下で、いろいろ複雑な理由があってなられたのではないかと考えています。

壬申の乱は、大友皇子 (弘文天皇)と後の天武天皇との皇位の争いのように言われていますが、中国が仕組んで、日本に傀儡政権をつくるために生じた争いでしょう。天智天皇も天武天皇も、中国人に殺されます。持統天皇は天武天皇の皇后です。このような歴史の見方は間違っていると思われていますが、一般の歴史の見方が間違っているのではないでしょうか? 持統天皇は大変な時代に天皇になられています。

傀儡政権を目指す、中国人(藤原氏)によって、天皇にならされたと思っています。 天皇家の祖先であるアマテラスを祭る伊勢神宮に持統天皇ははじめて参拝されました。 すんなり参拝できたのではありません。そのときの中納言だった三輪の神主は役を辞してまで止めたと伝えられています。しかし、その後、天皇が伊勢神宮に参拝することは許されず、明治天皇が参拝を果たしておられます。
何故 このような不自然なことが起こっているのか、説明できる方はおられるのでしょうか? (有識者の中に) 
全国に式内社と呼ばれている神社が3132社あります。その内、伊勢には253社あります。式内社は皆さんは朝廷から幣帛を受けていますから、天皇家と関係が深いように思っておられますが、アマテラスを祭っている神社は殆どありません。
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page257.htmlに少し、書いていますから、神社名と祭神をごらんください。
一番多い国は大和の286社です。中国人が支配していた地域です。伯耆7社、美作11社は天皇家の支配していた地域です。伊勢にはアマテラスを祭る伊勢神宮がありましたが、その周りには、286社の中国人支配者が伊勢神宮を囲んで、天皇が近寄ることは出来ませんでした。参拝すると暗殺される危険があったはずです。
 
持統天皇が即位したのは天武天皇がなくなられてから、4年後です。いろいろ問題があったと考えるのが、普通です。天智天皇も斉明天皇が亡くなったあと7年もたってから即位しています。天智天皇は鎌足によって、即位をストップさせられたのではないかと思っています。持統天皇は天皇在位中に吉野へ31回も行幸されています。なぜ そんなに多く行幸をしなければならなかったか 現在の歴史家は解明されていません。

このような調子で眺めていくと、女性が天皇になるには、事情があったのでしょう。そのような事情も知った上で、皇位継承問題に口を出すのは良いですが、やたらと口を出すのは???????

「新しい日本の歴史」 http://blog.so-net.ne.jp/nihonnsi/2006-02-01
のNo152辺りから、中国人の支配が強まっていく様子を書いています。読んでください。
但し、ここに書いてあることを理解するためには、「新しい日本の歴史」のはじめから読んでいただくことと、古事記と日本書紀と魏志倭人伝を読んで頂く必要があります。
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page106.html

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2006.01.28

ホリエモンを祭り上げたのはメディアだ

毎日、ホリエモン報道で、凄まじいものがありました。お陰様で楽しい部分もあり、人間の嫌な面もたくさん見せてもらいました。
その1
元東京地検特捜部の堀口(?)と云う人が、連日、テレビに出て、得意げに喋っていました。メデイアは、罰則がスキです。逮捕されて直ぐであったと思います。まだ、ホリエモンがなにをしたかも、コメンテーターもよく判らないし、有罪であることも決まっていないのに、どれぐらいの刑であることが話題になった途端に、堀口(?)氏は、××だけで、刑が5年、続けざまに、××で5年と口早に、5つあげました。私は掛け算をして35年と出しました。恐ろしい人ですね。これが、他の人であれば、そうとは思いませんが、
元東京地検特捜部でしかも、ロッキードー事件で、田中角栄を死に追いやった人です。
田中角栄は、5億円、ホリエモンは8000億円。だから、田中角栄の罪が軽くなる訳ではありませんが、あの段階で、ホリエモンの刑は35年とテレビで口にしました。後日、また出演していましたが、「要請があれば、また、東京地検特捜部で働きたい」と生き生きした顔をして喋っていました。  恐ろしいと思うませんか?

その2
ラジオに乗りながら、国会中継を延々と聞いていました。共産党と××と民社党の××が、すごい勢いで、自民党と小泉首相の責任を追及していました。選挙のときに、ホリエモンを応援したことは間違っていませんでしたか? 結果的に云えば、間違っていたでしょう。共産党と民社党が間違っていたのを知っていたのであれば、選挙のときに追及して、今のように問題にしておれば自民党は選挙に負けたでしょう。自分達もホリエモンに騙されていたくせに、恥ずかしくもなく、国会の場を使って、税金を使って延々とつまらない議論を繰り返していました。

「ホリエモンの錬金術」と題して、島根県の会計事務所をしておられる山根治と云う人が、2005年3月から、堀江氏は信用おけないと述べておられます。新聞では、ライブドアが、会社の情報を正しく公開しなかったから、けしからんと述べていますが、山根氏は、公開されている資料を見ただけで、おかしいと連日書いておられます。新聞社の人も、よく見れば判ったことです。会計士のひとであれば、簡単に判ったことです。(読んでいても私には判りませんが)


皆、知識もなく騙されたのだから、仕方が無いでしょう。共産党と民社党の人は、火事場泥棒のような人です。(質問していた人の名前を知りたいです)

その3
メデイアは共産党と民社党よりも、ひどく追求しました。とうとう、小泉首相も少し反省して、悪かったような発言をしました。しかし、絶対してはいけないメディアに対する愚痴を言いました。このようにホリエモンを持ち上げたのは、メディアだと。
 新聞社などの悪口を行った人は、100パーセント政界から、ひきづり下ろされています。さて、今回はどのような結末になるでしょう。読売新聞は、すかさず、翌日の社説で取り上げました。と云うことは、新聞社としては、最大の問題事であったことになります。

株の分割をしたから、どれほど、けしからんかを新聞もテレビも報道しています。これは、個人では買えなくなった、高くなりすぎた株価に対してとられた処置だったと思っています。NTTなどは、確か、最初240万円だったと思います。そのような株、普通の人は買うことができません。
私は例えば、住友金属は、昨年は100円ぐらいだったと思っています。低いときは、36円(?) 。住友金属は発行か部数が、28億株だったと思いますが、これでしたら、中国が買いにくるでしょう。現在、1000株でないと変えませんが、100株でも買うことが出来るようにすれば、昨日の株価は469円ですから、46900円で買うことができます。値上がりなどといわずに、住友金属を外国から防衛するために、国民全部で守ればいいと思います。
大阪に阪急電鉄という私鉄があります。この一年でどれほど上がったか調べてください。ライブドアほどではありませんが、防衛のために、私鉄同士で株を買ったのかもしれません。もし、そうであれば、株価を操作したことで、罪になります。
世界の余ったお金は、必ず、儲かる所へ流れます。これを止めることはできません。

話しが違う方向へ流れましたが、株を分割すれば、株価が上がるのであれば、どの会社もします。ライブドアは粉飾決算をしてまで、株価を上げたとメディアは結論付けていますが、株価をあげたのは、ほりえもん、ホリエモンと持て囃して、報道したから国民は信用したです。だから、株価はどんどん上がりました。こんなに上がるのであれば、ライブドアの連中はと止まらなくなったのだと思います。
逮捕された今でも、「がんばれ ホリエモン」と応援している若者が、いっぱいです。

誰がなにを言おうが、株は、買ったものは、どのような目にあっても仕方が、無いと思います。正確な会社の情報があり、会社の業績がよければ、株はあがると思うのは間違いです。
儲かることがあるから、危険を冒してでも買うのです。汗をかかないで金儲けをしようと考える風潮がよくないとコメントしておられる人が居られますが、世の中は、皆で助け合って行くしかないと思います。力のないものは頭を使う、頭のないものは力を出す。お金のあるものは、お金を出す。どれも無い者は、ひたすら真面目に働く。これしかないと思います。
頭だけを使った人を馬鹿にするのは間違っています。


風向きが悪くなりました。勿論、メデイアに対するです。 気が狂ったように、56歳の男が、11名の女性と次々、結婚をしてハーレム(?)を気づいたニュースに飛びついています。一気にホリエモンの記事数は減るはずです。

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2005.12.31

年の瀬は黒門市場へ行く

私たち夫婦は、年の瀬の風景を俳句にしようとあちこちに出掛けることにしています。京都の人は伝統を守る人が多いだろうからお正月の準備をしておられるだろうと思って、以前行ったことがあります。しかし、大きな会社の玄関には、門松が飾られていましたが、誰れ一人準備をしておられる姿を見ることはできませんでした。どうやら、京都の方は15日ぐらいまでに準備を終えてしまわれるのであろう考えました。錦の市場なら年末風景がと行きますと、こちらは活気すぎて歩くことも出来ないほどの混雑でした。
そこで、大阪市内の黒門市場に行きました。こちらは錦と違って、通路の幅が広いので、歩けないほどにはなりません。呼び込みが一段と高いのは、河豚を売るお店です。元々、魚やさんが多かったのか、現在でも多くあり、店員さんの数も多く声も賑やかです。店頭の河豚は、今日明日が勝負です。呼び込みも大きくなるはずです。その店先を尻目に、私たちは黒門からでます。黒門を出ると云っても、黒い門があるわけではありません。明治の末期まで堺筋に面した日本橋2丁目に、圓明寺という大きなお寺があったことから、黒門市場は圓明寺市場と呼ばれていました。 圓明寺の北東に向かって黒い山門があり、この黒い門の存在が後日、黒門市場と呼ばれる理由になっています。
そうそう、堺筋の説明をしておきますと、大阪では南北にはしる道には、「筋」が付けられています。「きん」ではなく、「すじ」と読みます。一番大きい道は、JR大阪駅から南の難波(なんば)までの御堂筋(みどうすじ)です。正面に近鉄の駅がありますが、その手前の交差点を左折しますと、千日前通となります。東西の道路には、「通」が付けられています。電気屋さんの多い日本橋の交差点を過ぎて右側に黒門市場があります。
堺筋(日本橋筋)にでますと、市場の魚屋さんと同じ名前(大政)のてっちり屋があります。大阪では、河豚ちりのことをてっちりといいます。買い物前にてっちりで腹ごしらえです。

 昨年と同じ席にてふぐの鍋 

 河豚鍋を待つひとときの句作かな

着席しますと、注文となりますが、緊縮財政で、向こうが透き通るようなさしみのテッサは注文しないで、ちり鍋だけです。河豚が煮えてくるまで、俳句を作ったり、てっちり屋さんは楽な商売やな、材料一式運んでくると客は、後全部してくれるなど二人で喧しい事です。ここのお店の嬉しいことは、出汁がたっぷりあります。それに、出来上がった具は、付け汁に浸けて食べることになりますが、これもたっぷりあります。そんなことかいなと思われるでしょうが、私などは、気が小さいですから、いつも、「すみません」と謝りながら、追加の注文を言います。
 材料が運ばれたときは、これでは少し足らないかなと思いますが、程よい満足感で、いつものようにご飯を二人分注文して河豚おじやです。年の所為でしょうか? 今年は少し残して終了。お店に入ったときは、空席がありましたのに満席でした。
 
 さて、もう一度黒門市場です。人気のあるお店は、河豚屋さん、マグロも人気がありました。そんなに人気であるのなら、われわれも買おうと、前列に陣取ると、大きな塊がいっぱい並んでいます。私たちはトロは好みませんので、赤身を目指しましたが、6000~10000の値札を眺めて、外の人に譲りました。神戸肉も元気がありました。又もや、自分達の番となり、赤身のつきやき用を300gと家内が注文します。メモリがどんどん上がって、600gを超えました。家内の声が変わって、「いつまで量るのですか 300gですよ」この時期に、300gのようなわずかを買う人はいないのでしょう。
 でも、楽しいですね。かまぼこやら青キヤビアなどを売っているお店で眺めていましたが、お店の邪魔になるので、外に出て家内を待っていると、居なくなってしまいました。約束の場所に戻って待つこと流しです。
 この店では、小学4年生ぐらいの子供が呼び込みを手伝っていました。「からすみ 後残り2つですよ」 暫くしたら、「からすみ 後残り1つですよ」黄色いこえを張り上げて一生懸命です。ほんとかいな と後ろを見ると、後ろに箱にいっぱいありました。あんな小さいときから、嘘をついて、昔からの商売をおぼえていくのやなとあきれるやら、感心するやらです。
 果物を売っているお店がありました。ここは、老夫婦らしき人が二人で店番です。みかん一箱の上に、ダンボールの切れ端に、「甘い みかん 2600円」とあります。客がだれもいないのに、「このみかん ください。 本当に甘い?」と言いましたら、聞こえていないらしく、知らん顔です。ぼつぼつ立ちあがって、やってきて、「今頃、甘くないみかんがあれば、教えてほしいわ」
、何のことは無い、聞こえていたのです。買わないでおこうかと思ったが、買うことして、一箱はやめて、バラで篭に盛ってあったのにしました。ビニールの袋を持ってやってきましたが、私たち二人が邪魔になる、どちらかに避けよといいますので、避けたらまっすぐみかんの所へ進んで、篭から袋に入れてくれました。ありがとうの一言もなしです。
 この市場は、なんでも揃っていますから、売ってやるの意識がつよいように感じられます。でも、昔からの商売です。お互いに顔を見ながらの商売です。スーパーではできない経験がいっぱいです。

 まだまだ、いっぱいありますが、買い物日記はこの辺で。

良い お年をお迎えください。

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2005.11.09

正倉院展へ行ってきました

入場者9000人の報道に驚いて10月30日の日曜日は、行くのを中止しましたが、予定が続いているので、11月3日に正倉院展に行ってきました。混雑を見込んで早く家を出ましたが、遠くを承知で行った高畑の県立駐車場は、8割方、車で埋まっていました。
覚悟はしていたものの行列は、どこまで続くかと云う感じで列をなしていました。
 当然、館内の混雑は相当なもので、展示物の前は、三重のところが多いので、展示物がみえない端から並んで待ちます。展示物の前まできたときには、当然、私は最前列です。
前列でもみることが出来ないものは、拡大鏡を使いますと鮮やかにその様子が見え、ついつい前で佇む時間が長くなりました。
昼食も食べないで見終わったのは2時でした。
私の気に入ったものを書いておきます。
① 槃龍背八角鏡---出来上がったばかりの感じを受けることときれいに鋳造されていることに感心しました。前漢や後漢時代の古墳からでる鏡に比べて、龍の肌の部分は、精緻で驚くばかりです。唐からの請来したものとありますが、技術に格段の差がありました。
鏡もさることながら、横に緋絁帯がありました。鏡の紐の部分に通したと見られる組紐が緋絁帯に結ばれていました。色は少しくすんでいましたが、「緋」とありますから、鮮やかな赤色であったのではと思います。「絁」とありますから、絹の織物です。古い絹製品を見たのは初めてです。機目の細かさは、現在のものと違うのに驚きました。これは、日本製なのかどうか知りたかったです。
② 木画紫檀棊局(碁盤)---聖武天皇の遺愛の品であるのとその出来の見事さに、一番人気があったのではと思います。
③ 紅牙撥鏤棊子---②よりも気に入ったのは、これです。人間だれでも拘っていくと、木画紫檀棊局のようなものに行きつきます。象牙でできた碁石は、着色しなければ白色のままでいいのに、赤に着色し鳥の絵が細い線で彫り込まれています。カンムリを持つ鳥の冠も一本ずつきれいに彫られています。この彫りものは、両面に施されています。
普通の白黒の石は、石英と蛇紋岩で出来ていますから、普通に囲碁をするときは、こちらを使ったのでしょう。紅牙撥鏤棊子の方は、お祝いのときのような特別な日に使ったのでしょうか?
④ 古文書----聖武天皇が紫香楽宮、恭仁宮、難波宮と移られ、その後平城京にもどられた後も各宮に残っていた職員に支給された給与などは、このように古い時代の古文書ははじめて見ただけに感動ものでした。
この文書は裏が透けて見え、この書類が時効にになった後、写経所において再利用されていたことも考えさせられるものがありました。

感想と要望---正倉院展は体力が必要です。館内に腰をおろす椅子がほしい。椅子がダメなら、当日であれば、再入館のシステムもほしい。          H17.11.05

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2005.11.05

正倉院展がはじまりました

主催は奈良国立博物館
 協力が読売新聞社、NHK奈良放送局、奈良テレビ放送

私は読売新聞を購読している所為でしょうか? 毎年、読売新聞の記事を通じて、正倉院展のことを知ります。そして、今年こそは行こうと思いながら、よう行きません。
いつも行って見た実物と新聞に書かれている賛美とのずれがあるからです。感動しない私は、いつも見る目がないのだとがっかりします。
日曜日に行こうと思っていたのですが、新聞に9000人の観覧者とあり、計算しました。あの狭い博物館に、仮に150人ずつ、5分置きに入場させたとして・・・・。こりゃダメだ。気に入った所で立ち止まることは許されない。

 今年の読売のシリーズ「天平の輝き」のはじめの文章を紹介します。
「なんと夢見心地にさせてくれる宝物だろう。東南アジア産の琥珀で作られた花、南海産の夜行貝で細工した葉や連珠、中東のトルコ石など無数の宝石。白銅製の鏡の背面にはめ込んだ素材は混然一体となり、華麗な図柄を浮かび上がらせ」
上手いこと書いておられますね。こんなに丁寧には見せてもらえない気がしますが、今年は別の楽しみがあります。

それは、曲水常雄著「正倉院の謎」(中公文庫\420)を読んでいる最中だからです。昭和62年の発行ですから、40年ほど前に書かれたものです。
この本を読みすすむとわかりますが、著者は、同時に展示されている字ばかりが書かれている目録が気になったのです。こうした目録も宝の内ですから、素人の曲水に博物館は特別に見せてくれるわけがありません。写真など勿論撮らせて貰えません。どうして、どうしてと思いながら、読んでいますと、毎年、正倉院展に通って、記録したそうです。記録していると後ろの方に叱られるので、列の後ろに並んで、又、記録したとあります。この本に書かれていることを記録するのに、10年かかったと書いておられます。

例えば、どのようなことを書いておられるかといいますと、『東大寺献物帳』には、勅書でもないのに、「天皇御璽」印がおされている。誰かが天皇の印を勝手に押印したというこです。これまでに、多くの人が、勅封されているのに、天皇でもないのに、多くの人が開封しています。その時に、なにを出してみたか記録されているのですが、不思議なことがいっぱいあることを発見されています。
現在、10000点近く保存されているのですが、当初、納められた物は、700点ぐらいで、そのどんどん減って、現在は150点だと書いておられます。長年研究された成果から、何故、減ったのか、何故、天皇御璽が勅書でもないのに、押されているのか、つぎつぎ出てくる謎を解明しようとされ、一つの仮説を導いておられます。
どんな仮説か、それは、ご自分で読んで頂く事にします。
当時の歴史が、別の角度から明らかにされているように思われますが、この研究を世間に発表しても、歴史家はだれも見向きもしなかったことを愚痴として書いておられます。

正倉院展は今回で57回だそうですが、読売のシリーズのタイトルのように、「天平の輝き」
宝物は輝いてばかりいないと思います。シルクロードを通ってやってきたと良く書かれていますが、本当にシルクロードを通ってきたのでしょうか? 日本で作られたものもあったのではと思っています。私が、観覧したときに、輝いて見えなかったのは、謎を秘めた宝物だったからなのか、私に見る目が無かったのか、よく見てこようと思っています。

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2005.10.09

草を抜く人

昨日 大阪市内に行き、高速を降りたところで車を寄せて一服しようとしましたら、雨がどしゃぶりになってきました。土曜日のことでいつもは車がとぎれない「なにわ筋」ですが、車の流れはなく、分離帯の上を歩く人が見えます。大阪では南北にはしる道は、「御堂筋みどうすじ」のように、筋がつきます。東西は「千日前通」というように「通」がつきます。
「なにわ筋」は比較的大きな道路ですから、中央に片道二車線があり、分離帯があって二車線が走っています。分離帯は植木ではなく、芝生が植えてあります。
黒い合羽を着ておられますから、よく判りませんが、時々腰をまげては、どうやら草を抜いておられるようです。暫く見ていますと、長い草だけを抜いて一区画が済みますとあまりにも雨がひどいので、作業を中止されました。

すごい人だなと思いました。

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2005.10.04

阪神優勝と平井古墳群

阪神優勝は、知らない人は居られないでしょう。プロ野球のチーム・阪神が、今年優勝したことです。京阪神のあちこちには、「阪神優勝おめでとう」「阪神優勝セール」の旗がひらめいています。全く野球に興味のない私は、別のところから眺めています。このことによって、低迷している消費活動が幾分かは活発になって、京阪神の経済を押し上げることになるのだろうと。
 このように眺めることも出来ますが、理解できないことがあります。優勝祝賀の記念として、大阪の心斎橋の上から、道頓堀川の中に飛び込む騒動です。なぜ騒動になるかといいますと、報道機関が早い時期から、はやしたてるからです。お陰さまで興味のない私でも、いくつかの情報を獲得できました。
前回のときは、5000人ほど飛び込んで一人の死亡者がでたそうです。そこで、今年は、いろいろ作戦を立てて、一人飛び込んだだけで済んだそうです。その作戦は、飛び込めそうなところに高い塀やら鉄条網を張り巡らしました。当日、警官2500人を配備し警備したことなどです。
大阪市と大阪府警のお手柄ということになります。自慢にはなりませんが、最近はきれいにはなったと言え、汚い一番恐ろしいことは、道頓堀川です。その後、お風呂に入っても一週間は臭いがとれないであろう川です。飛び込みたい人には、飛び込ませてやればいいです。兵庫県で花火の警備が悪かったから、問題になりました。あの事件以後、日本の警察は、大変なことになりました。万全のことをしておかないと上に立つ人は、事件として扱われた、その日を境に奈落の底に落ちることになります。
恐ろしいことに、そうしたことが当然のように、報道機関が扱い早くから、「さあ、警察どうする」というような報道を繰り返しますが、だれも不思議に思いません。人のお金を使って、事故を防衛することが必要なのでしょうか?  

そして、私は私で、えらそうにこんな事を書いています。 

このような日本の姿は、人間社会の最高の姿なのだなと ??? と思っています。

どのチームが勝っても負けてもどうでもいいような野球をえんえんと一年間つづけた総決算が、この姿です。後は、日本の国が崩壊するしかありません。この国が崩壊するのは、いつのことでしょうか? 10年先でしょうか? 10年先とは限りません。100年先かもしれませんし、200年先かもしれません。

その国の一員である私も、働きもしないで、昨日は、朝から外出してきました。行き先は、タイトルに書きました「平井古墳群」です。
こちらの方は、誰もご存知無いと思いますので、少し説明を加えます。
兵庫県宝塚市に平井という集落があります。大阪梅田駅から、阪急宝塚線に乗車しますと、電車は北の方向に進みます。石橋、池田駅の辺りから、行く先を阻まれ、列車はどんどん左にカーブを切って行きます。川西駅を過ぎるころには、西を向いて走っています。雲雀丘、山本と駅が続きます。この山本の地名は、山の麓から来たと思われますが、その山の名前は、長尾山といいます。名前のとおり、東西に長い尾根を有しています。この山の東から順に、雲雀山東尾根古墳群、雲雀山西尾根古墳群、平井古墳群、山本古墳群、山本奥古墳群と続きます。
電車は山本駅で下車しますと、北側に山が見えます。標高200mも無いと思われますが、山の左部分は、高い木はあまり見えず、所々土が見える感じがします。平井古墳群は、地名から判断しますと、平井山荘という町名のまだ上に位置していましたから、大阪よりにある平井まで戻り、電車の踏み切りを渡りますと、古墳どころではなく完全に住宅街を形成していますが、ここは、「平井古墳群C」に相当します。「丹波街道」との表示を眺めながら、急坂を登ります、町名は平井山荘に変わります。町名に相応しく、豪邸が右に左に続きます。住宅の最高部に小さな公園があり、ここに平井古墳群の標識が立っていました。
この名前は、この公園の周りの人しか知って居られないのではないでしょうか。
 ここから、平井古墳群B、平井古墳群Aと頂上近くまで続きます。平井古墳群Bは、標高150~160mにあり、もっとも、古墳の数が多く、92基を数えると説明されていました。
古墳は、すべて円墳で、石室の直径が10m以下のものばかりです。石は少し北にある石切山からのものと思われますが、天井石は長径が1mを超えるものもあり、運搬には相当のエネルギーを要したと思われました。石室の形式は、横穴式石室です。
ここより少し西の安倉という町で、安倉高塚古墳が残っています。こちらは、?鳥七年銘の神獣鏡が見つかっており、石室は竪穴式古墳です。 ?鳥七年は、中国の「赤鳥」しかありませんから、西暦244年になります。平井古墳群は、西暦244年以降となりますから、4世紀ころのものでしょうか?
私がこの古墳を訪れた目的は、「平井古墳群B」から、陶棺の欠片が出土したという記録があったからです。これはユダヤ人の棺おけではないかと調べている最中だからです。

「それがどうした」と言われそうですが、山の中へ足を踏み入れ、くもの巣と蚊に悩まされながら、東西と北に、50mほど歩きました。どの古墳も崩壊寸前の哀れなものばかりでした。ある古墳は、数個の石だけのものもありました。すこし、落葉を書き分けてみましたら、10cm掘っても、なお落葉でした。
山全体をお墓にしなければならないほど、この辺りには、人がいっぱい住んでいた証しです。隣の池田市も箕面市もこんなにありません。1700年昔には、この辺りがもっとも栄えていた所だと思われます。先ほど書きました「丹波」への入り口というか、大陸から入ってきた文化が、瀬戸内に抜ける重要な拠点だったと想像しました。
いくら栄華を誇っていても、いつかはこのような哀れな状態になるのだなと思いながら、下山しました。 

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2005.07.10

イギリスのテロ事件 誰が得をしたか

人間が何かをするときは、必ず得をすることしかしないと思っています。この考え方は間違っているでしょうか? そんなことは無い無償でボランティアをする人がいっぱい居られますよと反論されるかも知れません。私はこのような時でも、やはり自分がしたいからしているのであり損得が頭に有ると思っています。危険を伴うときは、この損得の度合いは、一層大きいのではないでしょうか。
 さて、今回のテロでは、同時に三箇所で起こったとされています。少なくとも三人以上の人間によって行われたことになります。時限爆弾であった可能性がありますから、一人であった可能性もあります。もし、そうであるとしますと、爆弾がどのようなものであったか判りませんが、長時間誰にも気が付かれないように存在したことになります。
このような推理は、イギリスの警察でも行われ、これから連日メディアが熱心に追及されると思います。しかし、結局は判らないと思います。
 始めに書きましたように、犯人は、この事件によって必ず得をするはずだと仮定しますと、では誰が一番得をするのかを考えることになります。
 一番はブッシュ大統領。二番、ブレア首相、 三番小泉首相 です。
だからこの三人が犯人であるとは言いません。
ブッシュのイラクへの侵攻は間違っていたという雰囲気が次第に強くなっています。9月11日のテロ事件のときは、7,80%(?)の指示率で戦争を始めました? それにしぶしぶ(?)従がったのが、日本、イタリヤ、オーストラリア・・・・。イラクが持っているとしていた武器は発見できなかったし、その後、アメリカ人は1700人以上、イラク人は20000人以上も死亡者が出ています。テロ集団をやっつける根拠が薄れていました。
アメリカを支持しなかった国はフランス・ドイツ・中国、ロシアです。アメリカは、こうした国とは最近、ギクシャクしていました。反対した国は、テロの発生する原因は、貧困であるから、世界から貧困を無くそうというのが大まかな方針です。
 今回のサミットでは、このような話し合いがされるはずでした。そうなりますと、テロを起こさなかったら、犯人たちは、一番得をしたはずです。なのに、テロが発生しました。

一番はブッシュ大統領。二番、ブレア首相 三番小泉首相を除いて、誰が一番得をしたか考えてみるのが犯人探しの近道ではないでしょうか?

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2005.04.20

歴史共同研究を提案

【町村外相抗議に】   読売新聞4月18日のトップ紙面のタイトルです。町村外相さん、抗議をするとは、大したものだ と思って、記事を読んでいきますと、「中国政府はこれまで、一度も日本国民に申し訳ないことはしてない」と謝罪を拒否。それどころか、日本はもっと歴史を勉強せよと云われた。そこで、町村外相は、〔歴史共同研究〕を提案した。李外相は了承した。
〔歴史共同研究〕なんて、誰が言い出したのでしょうか? 歴史の知らない人の云うことだと思います。いや、考え方はいろいろあるのだから、それも良いのだと言われる人もあるでしょう。私は、今〔魏志倭人伝〕を読んでいます。僅か、2000文字ほどの中国の歴史書ですのに、書かれている文章の解釈は、よくもこれほどあるなと思われるほどあります。魏志倭人伝でもそうであるのに、〔邪馬台国はどこにあった〕となると、日本人同士でも、まとめることなど不可能です。
魏志倭人伝は、魏の国のときに、陳寿という人が、著した中国の国史です。そのようなものに、正しいことなど書かれているわけがありません。利害関係のない記事は、正確だと思いますが、自国に都合の悪いことは、書いてないか、書いてあっても詳しくないように書くか、嘘のことを書くかです。そんなあやふやなものを元にして、両国で共同研究など出来るわけがありません。
出土したものを、両国で研究することは可能です。例えば、出土した鉄製品が、何時ごろ作られたものであるとか、その鉄はどこで採取されたものであるというようなことは、共同で出来ますが、その製品は、誰がどのような目的で作ったかとなると、共同ではできません。別に、情報をすべて公開して、それぞれ、考えることが大切です。中国のように、中国の歴史を一つに、決め付けてしまうことは間違っています。

まさか、歴史の学者がアドバイスをしたのではないでしょうね。

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2005.04.18

朝日新聞を知る

朝日新聞社は、昭和51年9月25日に『邪馬台国』という本を発行しました。そのあとがきによりますと、昭和51年2月9日より4月10日まで、文化面に52回にわたって連載されたとあります。その記事の焼き直しの本です。
読者を馬鹿にした文が、18ページの「邪馬台国出版ブーム」です。他の出版者の人が喋った形をとって、「邪馬台国」と本のタイトルに入れると売れるという記事を書いています。かくして、あなたもこの本を買いましたといわんばかりです。このような調子の文章を朝日新聞の読者は読まされたのですが、その後、朝日新聞の売れ行きが落ちたわけではありませんから、読者は理解・納得されたのでしょう。
巻末に、「お世話になった人」の一覧があります。さすが、朝日新聞社です。87人からコメントを得て、それに加えて、膨大な書物を読んで、シリーズが構成されています。自分たち(新聞記者 )の研究はどこにあるか探していませんが、新聞と同じ形式です。名前を挙げて、その人は、どう云ったか、それに対して他の人は、どのように反論したか。両方の意見を述べて、一見フェアのように見えますが、その後、訳のわからない論法を展開しています。何のことか判らないでしょうから、実際の文章を掲載します。

論争の全面展開
小学校訓導から新聞記者になりさらに京都帝大文科大学教授となった内藤湖南は、明治四十三年、「卑弥呼考』という論文を発表した。明治以後の学説が、卑弥呼を熊襲または筑後、肥後あたりの女曾とし、大和朝廷の女王ではないしとしている点を批判し、倭人伝に登場する地名を九州から遠江までの地名と解釈した。この範囲を大和朝廷がすでに支配しており、その勢力で及んでいたとした。また卑弥呼は天照大神の社を大和から伊勢に移したという垂仁天皇の皇女倭姫命である、と考えた。
ほとんど同時に、東京帝大教授白鳥庫吉は『倭女王卑弥呼考』という論文を発表した。それによると、倭人伝の当時の九州は南北二大勢カに分かれており、北が女王国で南が狗奴国だった。卑弥呼はヒコミコト、狗奴国の男王卑弥弓呼はヒコミコトという尊称であり、固有名詞ではない。卑弥呼は狗奴国との戦争で死に、その国力は衰えた。そのうえ後ろだてになっていた魏の楽浪、帯方郡が滅びた。このため中国地方まで勢力を伸ばしていた大和朝廷が、一気に北九州を支配下におさめた。
東洋史学の二大権威が、まっ向から対立する形になった。以後、東大系の九州説と、京大系の大和説の論争が、現在まで続いている。今日的な読み方では、朝鮮半島南端に早くから倭の勢力が及んだとする内藤説は「帝国主義的」である。また、実際、朝鮮を植民地化した「日韓併合ニ関スル条約」は、内藤論文発表の直後の明治四十三年八月に調印された。しかし、白鳥の学問の「帝国主義的」性格も、内藤と甲乙をつけがたい。白鳥や、その説を支持した津田左右吉が、植民地経営の国策会社 南満州鉄道に協力して「南鮮歴史地理」の研究を進め、多大の業績を挙げたことは、かくれもない事実である。
帝国大学教授とは、そういう存在だった。そのことを、いま名指しで避難しても仕方がない。けれども、邪馬台国論争の根っ子に、このような性格がひそんでいることは、歴史の教訓として見落とすわけにはいかない。

以上です。この項は、まだまだ続きますが、図書館で読んで頂ければと思います。説明は要らないと思いますが、感想を少し。
① 二人の教授の論説の説明に、444字を費やしています。(説明など、正確にできるわけがありません)
② 残りに、371字です。
③ 「東洋史学の二大権威が、まっ向から対立する形になった」
  本当に、二人は東洋史学の二大権威なのでしょうか? まっ向から対立する形になったのは事実でしょうか?
④ 東大系の九州説と、京大系の大和説の論争が、現在まで続いているというのは、新聞記者の考え方でしょうか? お世話になった方の意見でしょうか? 参考にした本に書いてあったのでしょうか? このような新聞社らしい学説(?)を元にして、以後の論法が成り立っています。

このような意地悪い視点で新聞を読むと、新聞記事は、半分しか取り込んだらいけないことになると自分に言い聞かせています。(そのくせ、この本を買ってしまった。帯に、「学界の最先端をゆく諸成果を総合した邪馬台国論の決定版」とあったからです)

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2005.03.25

神の世界の貧富

20・21日の連休に、京都府加悦町・野田川町・岩滝を訪れ、宮津市にて一泊。丹後歴史資料館・国分寺跡にて、暫し強い春風に吹かれながら、阿蘇海を遠望し、2000年前のことをいろいろ想像し、一時を過ごしました。
加悦町・野田川町の訪問の一番の目的は、両町にある古墳の実態を調べるためです。お隣の綾部市、福知山市には、発掘された古墳が多いように思うからです。ただ多いだけではなく、桁違いに多いと思います。それがどうしたのだと言われそうですが、多いということは、普通に亡くなられたのではなく、戦争が頻繁に行われたと考えました。
加悦町は、高台に立つと見渡せるほどの広さに、250個の墳墓があります。野田川町は、よく分かりませんが、看板を目当てに郷土資料館を探しもとめましたら、入ったところに倭文神社の祭礼の案内の大きなパンフレットが貼ってあり、ああ、この町は、昔は絹で栄えたのだなと嬉しくなりました。資料館におられた二人の方とお喋りをしていましたが、養蚕の話は、全くご存知ありませんでした。しかし、資料館に展示されているものは、絹を織る道具が大半で、京都西陣の織物を引き受けていたことを証明していました。町民である年配の男性の方は、元気の無くなった織物の町を嘆き、1200年祭を迎える倭文神社も、ええ加減なことで、勝手にだれかが言っているだけだろうなどと、少々やけっぱちに話しておられましたが、「そんなことありませんよ。1200年どころか、間違いなく、2000年前でも、この地は絹の産地、又は集積所だったのですよ」と言いましたら、「そんな話、始めて聞いたな」と、何度も繰り返されて明るい顔をされました。
資料館の直ぐ近くの大きな森が、倭文神社ですので、寄ってみました。加悦町と野田川町は、今はでこそ、別の町ですが、1200年前は、一つの村だったと思います。豊かであった証拠に、大きな蛭子山古墳と白米山古墳問いう前方後円墳があります。
倭文神社は、落ち着きのあるどっしりとした神社でしたが、一人もいないためばかりではなく、何故か、ここには神様がおられましたが、住民が離れていくような感じを受けました。
翌日、天橋立の付け根に当たるところにある籠神社(コノジンジャ)を訪れました。こちらの立派さには驚かされました。金ぴかの神社です。こちらは元伊勢と呼ばれ、伊勢神宮が、現在の伊勢の地に作られる前に、天照大神を祭っていたと言われている式内社です。祭神は、彦火明命です。誰か知っている人は、少ないと思います。なのに、お参りされる人は多いらしく、駐車場の入り口には、三人の係りの方がおられて、600円を支払うことになりました。境内と同じぐらいかと思えるほどの駐車場は、それだけの参拝者があるから作ってあるのでしょう。10分ほどで参拝は終わりましたが、600円は高いなと思ったのは、私だけでしょうか? 籠神社奥宮真名井神社にも足を伸ばしましたが、昨年の23号の台風の被害を受けた山のなかに、こちらも神の名前を書いた立派な標柱が立てられ、こちらは人の存在はなく、神の存在が、薄いように感じられました。
予定を変更して、丹後半島を周り、京都府京丹後市丹後町宮小字宮谷の竹野神社(タカノ)に行きました。驚いたことに、入り口の右に、「竹野神社」、左には、「斎宮神社」と表示がありました。竹野神社の祭神は、天照皇大神です。相殿の斎宮神社の祭神は、垂仁天皇に仕えた竹野媛てす。 こんなことを言ったら、村の人に叱られるかも知れませんが、この神社には、人も神もおられない感じがしました。
隣にある神明山古墳は、前方後円墳で蛭子山古墳より巨大なものです。この古墳の上から、日本海を眺めていますと、当時は、海が古墳の真下まで来て居り、潟を形成し、ここの住民は大陸と貿易をし、冨を蓄えていたのではと考えました。太陽の光はポカポカ暖かいのに、春の風は冷たく、早々に降りました。こちらが、本当の元伊勢ではないかと思いながら、何故か悲しい思いでいっぱいでした。
宗教法人に、税金を使うのはいけないらしいですが、悲しい思いでいっぱいになる神社はどんどん増えています。
間違いははやく正さないと取り返しの付かないことになります。公金で、神社を維持する必要があります。                      H17.03.25

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2005.02.21

イネのプラントオパール

岡山県灘崎町にある彦崎貝塚の縄文時代前期(約6000年前)の地層から、イネのプラントオパールが大量に見つかり18日、灘崎町教育委員会が発表しました。 この時期のプラントオパールが大量に見つかるのは全国初らしいです。この発表に対して、見つけたことに対しては、敬意を表明しながら、小林達雄国学院大教授は、「縄文時代の中期や前期に、断続的にイネが入ってきたとしても不思議ではない。重要なことはイネがあったかなかったではなく、あったとしても縄文経済や食生活に影響を与えなかった点だと」述べておられます。(共同通信記事より)このようなコメントでいいのでしょうか? 新聞記者の受け取り方に間違いが無いとすれば、暗に、稲作が行われていた証拠にはならないように述べておられます。
プラントオパールの数は土壌1グラム中2000-3000個と数が多かったことイネのほかにキビ、ヒエ、小麦など雑穀類のプラントオパールも検出されたということから、栽培されていたと考えるのが、普通でしょう。これまでに考えられていた縄文時代後期(約4000年前)を2000年もさかのぼると、稲は弥生時代からという考えは、大幅に修正しなくてはなりません。一生をかけて研究に打ち込んでこられた方にとっては、いまさら修正不可能なお話です。高天原は蒜山高原に、邪馬台国は、岡山県にあったのではないかと思っている私にとっては、自信を深めるニュースでした。
蒜山高原で、稲の栽培をしようとしたイザナギが蒜山高原に入植したのが、紀元前2世紀、その証拠に、古事記において、スサノオが大暴れをしたときに、田の畝を壊したことが書かれていますが、この事件は、神話ではなく、このときは、当然、畝を作っての稲の栽培が行われていたのだと心強くしています。科学が進歩するということは、良い事もあるものです。

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2005.02.05

恥ずかしくないのか 松下電気産業さん

松下電器産業が「アイコンの機能についての特許権を侵害された」とジャストシステムを相手に、裁判に持ち込んだ。
松下電器産業が発明した部分を侵害して、ジャストシステムがソフトを作ったというものです。
ジャストシステムは、「一太郎」で有名なワープロソフトを作ってきた会社です。四国の片田舎で作り続けて、今なお、挑戦しています。あまりにも短期間で、バージョンアップをされるため、お金が続かなくて使用をやめましたが、日本の国語辞書?(ワープロの)の草分けでしょう。
松下電器産業は、裁判をしなくても勝つことができます。発明であると言うのであれば、ジャストシステムに、あの部分の使用料を請求すれば良いのです。
松下電器産業は、コンピューターに出遅れました。従いまして、社員の多くが、ジャストシステムの一太郎の世話になって成長してきたと思います。

あんなものを発明というから、つまらない商品を売ることになります。

その1 お風呂の湯船の掃除は、腰を屈め手が冷たいものです。それを自動でしてくれる道具を発明(?)しました。新しい製品が出来ると買ってくださいと持ってくるお店の人がいます。いつも世話になっていますから、お付き合いで買いました。10000円でした。道具が自動でしてくれるのではありません。掃除機の先に、ブラシが付いていて回転します。器具を持っているとそのブラシが湯舟を洗ってくれるというシロモノです。家内は2回ぐらいつかったでしょうか? なぜ使わないか? 重すぎてありゃ しんどいわ。

その2 今度は商品名を書きます。
「携帯ハンドスキャナー」品番 KX-FS10N
筆箱ぐらいの大きさのもので、活字の文章の上を撫でますと、文章を読み取ってくれます。この商品の優れてところは、図書館で本を読んでいて、5行ほど、コピーしたいときに、スキャンしますと、無料でコピーできます。自宅に帰ってから、コンピューターに取り込ますと、OCRをしてくれて、いちいち打ち直さなくても、利用できる。
新聞の広告をみて、直ぐに買いました。いざ使ってみると静かな図書館で、エラーの警告音がなってばかりで、ろくろく使用できません。相当練習しますとスキヤンできるようになりましたが、OCRが未完成で使い物になりません。それでも、辛抱して使用していましたが、直ぐに電池が無くなり、コピーした方が安いことになりました。
 何分、5万円もしたのですから、辛抱して使っていましたが、コンピューターを買い換えたら動かなくなりました。WINDOWS-XPでは動きません。WINDOWS-XPには対応していません。

WINDOWS-XPでも動く修正のソフトを作るべきですのに、未だに作っていません。使い物にならないことを認めたようなものです。
この発明品は、詐欺のようなものです。今回のことが認められるのであれば、私は松下電器産業を訴えます。

それにしても、このような発明を認めた特許庁もおかしいですが、裁判所もおかしいです。
少なくとも、私は今後、松下電器産業の製品は購入しません。

恥ずかしくないのか ともう一度言いたいです。

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2005.01.16

人気者島田伸介

テレビ界の人気者であった島田伸介が暴行事件を起こして、一時テレビ出演を自粛していた。自粛ではなく、吉本興業によって出演停止させられていた(?)。何故このように思うかといいますと、この会社は社員がトラブルを起こしたときは、助けることが無いように思うからです。これまで、大勢の人がトラブルを起こしたでしょうが、あまりホローした話を聞かない。大物では、横山やすし、横山ノック。
横山ノックの場合、最近無くなった社長が一度、復帰もありうるようなコメントを発言し、新聞に報道されたが、新聞の勢いにまけて、その後擁護はしなかった。もっとも、擁護をしてもするほど上手くいかないようです。芸能界の人気者は、普通の人がよう言わないことを言うから、人気があります。言い方を変えますと、一般に常識といわれている事を言わないで、非常識なことを言うと、聞いている人は気がはれるのでしょうか? どんどん人気がでます。
普通の人が彼らと同じことを言うと、不愉快に感じることを彼らは、上手に表現します。
 島田伸介が駄目になったら、現在は細木数子が大人気です。占いから、どんどん発展して最近は、世の中の間違いをすべて正しくしています(?)。そのときに、間違っている人をくそみそに罵ることによって、自分の正しさをアピールしています。島田伸介と少し、パターンは違いますが、このように人気者になる人の共通するところは、クソミソに言っておいて、これ以上言ってはいけないところで止める技術(?)があることです。引き際の良さだとおもいます。もう一言付け加えると嫌らしく感じる手前で、止めるところだと思います。
「お宝なんでも鑑定団」という番組でしたか? 出演者は、数百万円すると思っているお宝を持ってきて、鑑定してもらいます。番組をみていますと、恰もその場で鑑定しているようですが、その前に調べて結果が判っています。それを知っていて番組を進行しているのか、知らないで司会を務めているのか判りませんが、伸介は出演者をクソミソに言います。、数百万円のものが、3000円ということもあります。テレビを見ている人は、楽しいですが、ご本人は楽しいわけがありません。馬鹿さ加減を全国に好評するようなものです。それでも、出演者が無くならなくても番組は続いています。これは、伸介の力が大部分だと思います。人の心を傷つけることを言いながら、相手が本気で怒る一歩手前で止めるタイミングを知っているからです。
今回のトラブルは、そのタイミングを間違ったということです。
頭を殴っただけではなかったのでしょう。それ以上に言葉による暴力を加えたのでしょう。
そうでなければ、被害者はあれほど立腹しなかったはずです。
神岡竜太郎も人の心を踏みにじるようなことを言いながら、人気があった芸人です。彼の場合は、一歩手前で止めるに加えて、言葉をオブラートで包むような表現をしていました。
彼は芸能界から一切手を引きました。口の悪いところが売り物ですから、悪くなくなったら、駄目だということを知っていたのでしょう。
島田伸介は復帰しましたが、もう面白くないでしょう。自分ほど、凄い者はいないのだと有頂天になっているところが面白いのに、ふにゃふにゃと謝ったのですから、もう面白くありません。引き際の良いのが売り物なのに、又出てきました。きっと、駄目でしょう。
横山やすしは、謝っても謝っても口先だけで、トラブルを繰り返しました。その代わり、世の中の重圧に耐え切れずに、死にました。
細木数子は大したものです。このようなことを知っているのか、しばらくすると引退(?)するようなことを発言していました。
人気者の宿命でしょうか?

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2005.01.08

スマトラ沖地震とインド

自然の驚異は、いろいろのところで見ることができます。災害を引き起こす点では、この度のスマトラ沖地震は最たるものの一つでしょう。被害の状況は、日によって数字が変わります。死者は、一日で数万人も増加します。ということは、前日の報道はでたらめであったことになります。なぜ、このようなことになるかといいますと、被害の範囲が広いことと、住民が、どこで何人生活していたか判っていなかったためだと思われます。
 その出鱈目の数字をもとに、各国は、援助の仕方を決定しています。
インドでは、現在何人の方が亡くなっておられるのか知りませんが、早い時期に、9000人の報道がありました。その時点で、インド政府は、各国からの援助を断っています。理由は、自分の国で処理できると思います。と書かれていました。インドという国は、一番素晴らしいと思いました。自分たちの死は、自分たちで処理できるということです。壊れた家を建て替えるとか、道路を修理するとかの話ではありません。大勢の人が死んだということは、悲しいことですが、人類はそのようなことを延々と繰り返して生きてきました。
 その悲しみをどのようにして乗り越えてきたかといいますと、何時死んでも悔いがないような生活を日ごろからしているということでしょう。幸い死ななくても、続いておこる災難に対しても、自分で処理できるということだと思います。

随分前ですが、ガンジス川のほとりで、死を迎える老人の姿をテレビで見ました。遠い自宅からガンジスまで、随分遠かったと記憶します。家族に支えながら到達した宿舎では、床に持参した毛布を敷いて、死の日を待っていました。莫大なお金を使って待つものの、なかなか死期が訪れません。お金もなくなってきたので、皆でまう一度帰宅することになりました。光景をうまく表現できませんが、このようなことであったと思います。死ぬことは、インドの人にとっては、それほど重要なことではないように思えました。間違っているかもしれませんが、人の命は、長く続くもので、死後は6億年もあるようなことが書いてあったような記憶があります。こうなると生きている時間は瞬間です。少々の難儀があっても、すべて自分で処理していくのが本当かも知れません。
インドの人は、他の国と違うやり方で、処理をしておられることと思います。 合掌

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2005.01.05

資源国・日本

お正月は、普段より少し時間がありましたので、日頃考えないことを考えてみました。私の考えは、間違っているかも知れませんが、「ゆとりある教育」は間違っていたのではないでしょうか? もう少し長い目で見なくてはいけないのかもしれませんが、新聞報道によれば、児童・学生の能力は、世界的にみるとどんどん低下し、英語の力は、最低に位置するらしいです。数学も然りです。
「ゆとりある教育」が、10年後には、学力は最低ではあるが、素晴らしい人間を作るかといいますと、怪しいように思えます。子供たちが、見て育つ大人が、次第におかしくなっているからです。
このままでは、経済的にも、韓国・中国に追い抜かれるのは、時間の問題のように思えます。経済と政治は大いに関係ありますが、あまり、経済に頭を突っ込みますと、この点に振り回されます。政治は個人では出来ないことを、しかも 長期間で物事を考えていくことが大切なのに、地震やスマトラ沖地震の処置に振り回されています。
 そこで、私が政府に代わって考えてみようという発想になりました。

この辺まで、書きますと後読んでいただけないような気がしないでもないですが、後は簡単で短いですから、続けて読んでください。
無い頭を使って考えますに、どれだけ技術が進歩しようが、経済が発展しようが、その基になるものは何かといいますと、資源です。
日本には、資源がないといわれ続けてきましたが、現在日本は、アメリカに次いでの消費国でしょう。言い換えますと、資源を使い続けています。この資源をすべて残しておきますと、その内に、日本は一番の消費国になります。
例えば、紙です。現在、紙は木から作っています。コンピューター化進みますと、紙は必要ないように言われましたが、きっと、増え続けていると思います。中国などはどんどん木を切ることになるでしょう。木をきると洪水が多くなります。洪水が運んだ土砂は、海に流れ込みます。海草は全滅になります。そこで棲んでいた魚はいなくなります。中国人は以前の日本人のように、世界に魚をとりに出かけるでしょう。日本沿岸の魚は、彼らによって取られてしまうことになります。日本は、魚の養殖の技術が上達してきました。養殖した鮭などは、公海を泳いでいるからと言って、横取りされては溜りません。日本から、放した鮭が、どのように回遊してくるのか、調べて、日本近海で魚をとらないような条約を結ぶべきでしょう。紙から離れてしまいましたが、紙の原料である木は、日本に有り余るほどありますが、このように考えると木を切るわけにはいきません。使った紙は再生するばかりではなく、保存し海外に輸出すべきです。鉄も同様です。使った資源は、すべて保存し輸出すべきです。ただ、鉄は酸化してなくなってしまいますから、保存の技術の確立が必要です。日本の周りは、すべて海です。海からエネルギーをとる技術は、何年経っても、お金が掛かろうが必要なことでしょう。重水素をつくりだす技術です。
以上、政府にしてほしい私の夢です。日本を資源国に。

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2004.12.23

老後は映画館の傍で住もう

一昨日 宮崎駿 監督の「ハウルの動く城」を見てきました。一言で言いますと、面白かった。映画つくりに使われた意気込みを感じさせられました。私は60歳を過ぎていますから、料金は1000円です。1000円であれだけ楽しませてくれたら安いものです。
最近、どんどん郊外に住む人が増えています。もっと、離れて田舎に老後の暮らしを求める人も増えました。映画の好きな人は、映画館の傍で、小さくても安い家があればいいなと考えました。私が行きました映画館は、最近流行のもので、映画館が9つもあるところです。毎週でも見ることが出来ます。もっと、年齢が進みますと車ではいけません。そばですと、暑い夏など、クーラーの利いた最終の映画を観て過ごすのもいいものでしょう。
このように考えますと、文楽の好きな人は、大阪南の劇場の前辺りに、安価な住まいが出来れば最高でしょう。

私は、図書館をよく利用します。先日、大阪市の中央図書館に行き、「鳥取県神社誌」のコピーを取りにいきました。私の住まいは郊外ですから、電車で乗り換えると、4回の乗り換えです。そこで、車にしました。始めての図書館で、止めてからコピーを取るまでに、1時間かかって、駐車料300円でした。150枚ほどコピーするつもりが、時間がなく、50枚ほどで帰ってきました。「鳥取県神社誌」は、大阪・兵庫県にもなく、国会図書館でコピーを依頼しようと思っていましたが、こちらは、コピーが手にはいるのに、時間がかかります。
中央図書館は、すばらしものでした。しかし、府立図書館ですと、蔵書数は一段と増えます。隣に家を持てば、自分の図書館のようなものです。図書館のまわりに、ワンルームマンションを建てれば、売れるのではないでしょうか? 
老後は、郊外もいいですが、都心も素晴らしい。そして、老後は映画館の傍で住もうとなります。

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2004.12.21

北朝鮮はミサイルを発射するか

発射する可能性は大いにあると思います。北朝鮮の問題は、一杯ありますが、どのように解決するのでしょうか? 間違いないのは、日本はなに一つようしないでしょう。中国やアメリカがいろいろの手を使って処理する。なにもしないで崩壊を待つ。どのように考えても金正日氏が死なないことには、解決しません。仮に、中国が必ず、命を助けるからと保障しても無理でしょう。独裁者が政権を明け渡して命が助かったことがありません。
 横田めぐみさんの遺骨だといって、他人の骨を渡すのであれば、まだ許されますが、5人の骨を混ぜたとなれば、人間のすることではありません。骨の変換を求めていますが、返して貰ってどうするのでしょうか? 日本は、鑑定を国際機関に依頼すべきです。一部は中国と韓国に依頼すべきでしょう。
しかし、このように追い詰めていくと、金正日氏の逃げ場がなくなります。北朝鮮の国民ですら、殺してきた人間です。どうせ死ぬなら、一番にくい日本にミサイルを落とすことが、北朝鮮のずっと、抱いていた念願です。このように考えても間違いではありません。横田めぐみさん一家が、立腹されるのは解りますが、拉致被害者の問題では無くなってきました。
「経済封鎖は宣戦布告とみなす」と脅されて、政府は、固まってしまいました。政府どころか、新聞社まで固まってしまいました。その証拠に、連日、金正日氏のことが掲載されていましたのに、全くありません。それどころか、昨日・今日はあるか無いか判らないような、「金正男暗殺未遂」というようなことを報道して、国民の目を反らそうとしています。

もっと、前向きに考えないといけないのではないでしょうか? もし、ミサイルを飛ばすとしたら、何処へ飛ばすでしょうか? 皇居・国会・首相官邸・自衛隊・米軍基地でしょう。
皇居以外は、いくらでも人間の代わりがいますから、大丈夫ですが、実際問題としたら、国会開催中で、全員死んだら困ります。10名ぐらいずつ、交替で出張させて、非常の際の準備をすべきでしょう。自衛隊も日本の自衛隊をすべて攻撃することは不可能ですが、準備はすべきでしょう。伊丹市に第三師団があります。行ってみました。いつもより少し自動車が少ないかなと思いましたが、歩哨を増やしたわけでなし、人の出入りが増えたわけで無しです。きっと、第三師団にはなにも命令がされなかったのだと思います。いや、命令されたが隠密に行動をしているのかもしれません。
小泉首相には悪いですが、攻撃されても、後に続く人は一杯います。問題は、皇居でしょう。代わりの人は居られません。ここは、暫く避難して頂くしかないと思いますが、要請されたのでしょうか? 
なにも準備をしていなくても、着々と戦争への準備をしていると報道して、北朝鮮にプレッシャをかけることぐらいはしないと、国民は安心できません。

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2004.12.17

ドンキホーテーといじめ

昨日、テレビをみていましたら、ドンキーホーテーの社員と名乗る人を、皆でつるし上げている場面が、放映されていました。ドンキーホーテーとは、小売業の会社の名前です。ここ連日、あちこちの店舗が放火され、とうとう従業員が三人焼死されたお店です。
 テレビはある消防署が記者会見をしたときの様子を放映しようとしているらしいのですが、消防署員が、はじめに、変なことを言っています。すごい緊張し様相で、「この中に、ドンキーホーテーの関係者はいませんか」という場面があって、その後、ドンキーホーテーの社員と見られる男性の顔をチラチラする部分を付けて、誰かわからない人が、厳しく詰問し、その社員が平謝りに謝っているシーンです。どうやら、1時間ほどして社員の正体が判ったようです。
 記者会見の場ですから、報道関係者以外の人は、シャットアウトしたのは、当然らしいです。報道できないことがあってはいけないからだそうです。世間に公表できないような、そんな重要なことを発表するのであれば、始めから発表しなければ良いと思いますが・・・。

今回の放火事件の報道はおかしいですね。
消防署は、全国のドンキーホーテーを調べたら、この会社は、159件(?)消防法(?)に違反しており、とんでもない会社であるような報道が連日されていました。例えば、階段に商品を積んでいたと言うものです。それ見ろ、そんな違反ばかりしているから、放火されて死亡者がでるのだというような雰囲気があります。こんな状態ですから、会社とすれば、記者会見は大いに感心があったと思われます。「この中に、ドンキーホーテーの関係者はいませんか」と断ったということは、はじめから、この会社をいじめるような発言をするつもりがあったのでしょう。
消防署は、火を消すのが仕事ですが、予防するのも仕事でしょう。これほど毎日のように放火されているのでしたら、予防策を考えるのが当然でしょう。本当はパトロールをしていないが、パトロールをすることに決まった。警察と会合をもったとか、犯人にプレッシャーをかけることをしたのかと言えば、放火事件で忙しいドンキーホーテーに査察だと言って、手間を取らせています。
こうすることによって、お客さんが、安全に避難できることは大切ですが、今回はお客さんは避難できています。死亡したのは、一度非難しながら、客が心配になって、もう一度調べに入った従業員が死亡されています。

私は嫌な放映を見てしまいました。 

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2004.12.15

地震と木造建築

今年は 近年で最大の地震が新潟県で起こりました。多くの木造の住宅が被災された様子をテレビで放映されました。それにも増してコンクリートで固めた道路や新幹線の施設が破壊されました。まだ、記憶に残っている京阪神の地震でも、これまた、コンクリートを積み重ねたビルが、沢山崩壊しました。
日本は、有史以来、この地震とともに過ごしてきたのだなと改めて思いました。是ではいくら頑丈な石で建物を作っても、100年も持たないことが判ります。紀元前から、中国や朝鮮からの渡来人が、石の文化を伝えたでしょうが、城山の礎石としてぐらいしか残っていません。
地震に対して、木の建物は強いのかと言えば、そのようなことは無いと思います。日本は地震だけではなく、台風の通り道にもありますから、木の建物は一層駄目と思われますが、現在残っているふ古い建物は、法隆寺があります。これはもう、1300年ぐらいになるでしょうか。 そりゃ、何度も作り変えているからだと思われるかも知れませんが、いくら作り変えても1300年も持たないと思います。日本では、江戸時代の建物でしたら、数え切れないほど残っています。中国でも朝鮮でも古い建物は、それほど残っていないと思います。良く似た環境の台湾でも、古い建物は旅行していても気が付きませんでした。
創建当時のままですと、奈良の薬師寺の東塔があります。養老2年(718)に現在地に移されたとありますから、1300年になります。五重塔で現存するのは、京都の東寺のものです。一番背が高く54.8mあります。残っていないものでは、奈良・東大寺の七重塔が約100メートルあり、奈良の香具山の近くにあった大官大寺は、九重塔で、100メートル以上あったと言われています。今までに、どれぐらいの塔が作られたか判りませんが、500は超えるらしいですが、地震で倒れたものは皆無だそうです。
ということは、600年代には、すでに、倒れない塔を立てる技術が完成していたことになります。
立てる技術だけではなく、それが1300年倒れないで残っていると言うことには、驚くばかりです。五重塔は、中は殆ど人が入れません。木組みばかりです。倒れない工夫は、木組みにあることは間違いありません。法隆寺のほうは、中に空間があり人が利用できます。使われている材木は、勿論組まれていますが、ある部分には釘が使われています。私が使っているスノコがあります。まだ、使い始めて40年にしかなりませんが、全部腐って、三度ぐらい打ち直しています。我が家の方は50年になりますが、いっぱい釘が使われています。見えないところの釘は、全部腐って要を成していないと思います。地震が来ればひとたまりもありません。法隆寺の釘は、使ったときと変わらなくて、錆びていないそうです。600年には、腐らない釘を作る技術があったのと、素晴らしい鉄があったという事がわかります。
我が家の家の柱ですが、もう桧のにおいはしませんが、立てられたときの同じだと思います。カンナをかければ、桧のにおいはすると思います。50年ではまったく変わらないことが判ります。
言い換えますと、木は生きているのです。薬師寺の東塔も生きています。
なぜ 生きているのでしょうか? 木は、普通は根から水分を吸収するのですが、建築に使われた柱は、表面から水分を吸収していることになります。晴れれば蒸発し、雨が降れば、水分を吸収して生き続けます。従いまして、表面にワックスをぬったり、ペンキを塗ると100年はもっても、1000年はもたないことになるのだと思います。
湿度の多い日本だから、木の文化が定着したのだと思いました。
木造建築は、木組みと腐らない釘と塗装を使わない建築で、地震にも強い、風化にも強いものとなるのではないでしょうか・

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2004.11.29

神社を残そう

11月21日 津山市の中山神社を訪れました。昔の美作国の一宮です。
着いたのが、殆ど、太陽が沈もうとしている時間でしたので、初めはあまり気がつきませんでしたが、境内にトラックが一台停まって居て、大きな材木が積まれていました。周りを良く見ますと、境内から切り出した木のようです。次第に、様子が判ってきました。境内の木という木がすべて倒れています。直径が30センチもあろうかと思える杉やケヤキの木です。折れている木もありますが、大半は、根元から掘り起こされて倒れていました。作業を終えようとされている人に声を掛けますと、台風23号による被害だそうです。
この神社に来る前に、奈義町の那岐山の登山口に行きますと、麓の檜が大きな範囲で倒れていました。こちらも、直径が20センチはあったと思います。
23号台風といえば、出石市・舞鶴市が被害に遭ったときです。その後、続けて中越地震がありましたから、こちらの被害は報道されませんでしたが、相当酷いものであったようです。神社の杜は、全滅でした。幸い神社の建物は、倒れた木で屋根の一部が壊れていましたが、暗い中のことで確かに判りませんでした。

この神社は中山神社、読み方は「なかやまじんじゃ」です。目的は、「ちゅうざんじんじゃ」と言われたことがあるのではないかを確かめに行きました。お参りに来ておられる35,6歳のご夫婦に確かめました。社務所の中には、すでに電灯がともっていましたので、尋ねようと思いましたが、止めにしました。神社の存続に関わるかもしれない状態なのに、聞くことは出来ませんでした。
何故 知りたいのかといいますと、この神社の祭神は、金山彦です。鉱山資源の加工技術やその製品の守護神として祭られていることが多いですが、元々は、鉱石を採取する技術を伝えた人を祭ったのではないかと考えています。この神社から北は、日本海まで、鉄の産地です。古事記に出てくるイザナギ命は、中国にあった中山王国が、趙に滅ぼされたのが、前296年です。この国の人たちが、日本に逃げてきて、製鉄や銅鐸を伝えたのではと考えています。中国の王国ですから、なかやま王国では困りますので、いつの時代までは、「チュウザン」「チュウセン」「チュウサン」ぐらいで呼ばれていたのではないかと思ったのです。こんな話を困っている神社の方にするわけにはいきません。
そのまま、帰宅したのですが、現在のように国が宗教法人にお金を出しはいけないといってますと、古事記にでてくるような神社は、すべて無くなってしまうように思いました。立派な神社ですが、社殿は古く、あのままでは氏子だけの力で、残すことは困難になると思います。(中山神社に少し失礼かな) 
イラクも大切かもしれませんが、どこかが狂っているように思いました。  平成16年11月29日

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