伊都国
華南弁(呉音)表記
華南弁表記が日本でどれ程行き渡っているのかを知っていただくために、まず都府県名を調べてみました。 最初の訓みが華南弁、続いて華北弁(漢音)を表します。
群 ぐん :くん 馬 ま :ば 京 きょう:けい 岐 ぎ :き
賀 が :か 都 つ :と 兵 ひょう:へい 和 わ :か
奈 な :だ
ここでは華南弁、華北弁とも同じ訓みの漢字は省略させていただきました。 福島、群馬、東京、神奈川、福井、岐阜、愛知、滋賀、京都、兵庫、奈良、和歌山、徳島、高知、福岡、佐賀、には華南弁、華北弁の訓みが含まれていますが、以上のうち京都の「都」だけが華北弁表記です。 ここには記されていない青森、大阪等の府県名と、上記都府県名に含まれる、島,神、川、井、良、山、岡、等の残りの漢字は全て訓読みで表記されています。
続いて他の重要と思われる漢字も拾ってみました。 以下でも、三,四、五、火、水等の華南弁、華北弁共通の訓みの漢字は省略させていただきました。
一 いち :いつ 二 に :じ 六 ろく :りく 七 しち :しつ
八 はち :はつ 九 く :きゅう 十 じゅう:しゅう 百 ひゃく:はく
万 まん :ばん 上 じょう:しょう 下 げ :か 右 う :ゆう
内 ない :だい 外 げ :がい 南 なん :だん 西 さい :せい
赤 しゃく:せき 黄 おう :こう 青 しょう:せい 緑 ろく :りょく
白 びゃく:はく 父 ぶ :ふ 母 も :ぼ 兄 きょう:けい
弟 だい :てい 妹 まい :ばい 日 にち :じつ 月 がち :げつ
木 もく :ぼく 金 こん :きん 土 ど :と 年 ねん :でん
時 じ :し 神 じん :しん 社 じゃ :しゃ 寺 じ :し
祭 さい :せい 仏 ぶつ :ふつ 教 きょう:こう 宗 しゅう:そう
手 しゅ :しゅう 足 そく :しょく 目 もく :ぼく 耳 に :じ
鼻 び :ひ 口 く :こう 頭 づ :とう 毛 もう :ぼう
米 まい :べい 豆 づ :とう 麻 ま :ば 田 でん :てん
まだまだ有りますが華南弁の発音で表記される漢字の方が、華北弁の発音で表記される漢字よりも、生活に密着して使用されているのをご確認ください。 元々日本列島に住んでいた人たちだけでは、これ程までに華南弁が行き渡るとは思われません。 いつの時代かに多くの華南弁を話し言葉とする人々が、日本列島に到来したと考えると説明は簡単です。
なお、朝鮮半島では 神社は(しんしゃ)、○○寺は(○○さ)、地図は(ちと)と発音されるように華北弁がより行き渡っていたのではないでしょうか。
参考までに平仮名あいうえおの漢字語源も記しておきます。
(安 あん:あん)(以 い:い)(宇 う:う)(衣 え:い)(於 お:よ)
(加 か:か)(幾 き:き)(久 く:きゅう)(計 け:けい)(己 こ:き)
(左 さ:さ)(之 し:し)(寸 すん:そん)(世 せ:せい)(曽 ぞう:そう)
(太 たい:たい)(知 ち:ち)(川 せん:せん)(天 てん:てん)(止 し:し)
(奈 な:だ)(仁 にん:じん)(奴 ぬ:ど)(祢 ねい:でい)(乃 ない:だい)
(波 は:は)(比 び:ひ)(不 ふ:ふ)(部 ぶ:ほ)(保 ほ:ほう)
(末 まつ:ばつ)(美 み:び)(武 む:ぶ)(女 にょ:じょ)(毛 もう:ぼう)
(也 や:や )(由 ゆ:ゆう)(与 よ:よ)(良 ろう:りょう)(利 り:り)
(留 る:りゅう)(礼 らい:れい)(呂 ろ:りょ)(和 わ:か)(遠 おん:えん)
如何でしたか。 ここで魏志倭人伝に記されている伊都国に移りたいと思います。 その前に前回に問題として取り上げた(やまと)の漢字表記としての、「日本」と「倭」について気が付いたことを記しておきます。 日本書紀、巻第一、第四段に初めて 廼生大日本 日本此云耶痲謄下皆效此 豊秋津洲 と振り仮名が出てきて、「日本」を(やまと)と云うように指示しています。 ということは、当時、「日本」は新しく導入しようとした国名であり、書物を読む人々にとっても、振り仮名を必要とする文字であったということです。 古事記には「日本」表記が無くて、日本書紀には200回以上見出される理由もはっきりします。 さらに男性の名前には日本が用いられ(例:神日本磐余彦天皇)、女性の名前には倭が用いられている(例:倭迹迹日百襲姫命)ように思います。 日本書紀もやまと書紀と呼ばれていたのではないでしょうか。 また、巻第三には 倭国磯城邑、曰虚空見日本国矣 と出てきますが、ここでも小さな領域の「倭」と、大きな領域の「日本」を使い分けているように思われます。
日本書紀、巻第一、第六段には 臂著稜威之高鞆 稜威此云伊都 と振り仮名があり、稜威を(伊都)と読むように指示しています。 さらに読み下し分では(伊都)を(いつ)と読んでいます。 日本書紀、巻第六では 意富加羅国到干穴門時其国有人名伊都々比古 と書かれており伊都々比古を(いづつひこ)と読み下されています。 日本書紀、巻第八に於いては、筑紫伊覩県主祖五十迹手 と出ており「都」の字は使われておりません。 即ち日本書紀においても「都」は(つ)と読まれているわけです。 伊都国を(いとこく)と読むのであれば、帯方郡の連絡者が命名した地名と考えるべきです。 しかも都の意味を持たせていると思います。 日本列島では○○国の訓みは、(○○のくに)となり、(生まれはどちらのくに?)という風にも使えるはずです。 邪馬台国を(やまたいのくに)とか(やまたいの生まれ)とか言えますか。 日本では多くの場合、国は郡を意味しているようです。 このような理由により、伊都国は(いつのくに)と読むべきです。 現在の地名で当てはまるのは出石とか舞鶴ではないでしょうか。 出石は伊都志と書かれる場合があります。 どちらでも魏志倭人伝の謎解きIに述べた末盧国の日向より東南に歩き始めて五百里余(約200Km)です。 もし伊都国という地名が帯方郡よりの報告者の命名であれば、大江山の近傍を当時は伊勢(現在は元伊勢)と呼ばれていたことでもあり適合します。


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