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<title>楽しい人生</title>
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<description>なんでも挑戦</description>
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<item rdf:about="http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/05/2-6d59.html">
<title>銅鐸について考えた事　　小銅鐸(2)</title>
<link>http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/05/2-6d59.html</link>
<description>前回、銅鐸の中には、〔小銅鐸〕と云うものがあり、現在の所、50程あるらしいですと...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;前回、銅鐸の中には、〔小銅鐸〕と云うものがあり、現在の所、50程あるらしいですと書きました。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
小銅鐸(1)は、&lt;a href=&quot;http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/05/1-db55.html&quot;&gt;http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/05/1-db55.html&lt;/a&gt;　に書きました。&lt;br /&gt;
　資料の保管場所は、【歴史の不思議】&lt;a href=&quot;http://www21.atpages.jp/skeikas/&quot;&gt;http://www21.atpages.jp/skeikas/&lt;/a&gt;　です。このコーナーは、私以外に見られる方はありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　【銅鐸のおはなし】&lt;a href=&quot;http://www21.atpages.jp/skeikas/page195.html&quot;&gt;http://www21.atpages.jp/skeikas/page195.html&lt;/a&gt;の小銅鐸をご覧ください。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　まだ、50件には到りませんが、３３件の資料が集りました。&lt;br /&gt;
　静岡、千葉、福岡が、断然多いです。この３つの県には、共通のものがあるはずです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　小銅鐸一覧のページから「戻る」をクリックして頂きますと、まだ、完成していませんが、大きな銅鐸の一覧表を掲載しています。　大きな銅鐸は、全部で500個近くあるそうです。現在、136個ですから、まだ、利用できませんが、静岡、千葉、福岡には一致しません。&lt;br /&gt;
　と云うことは、小銅鐸と普通の銅鐸は、別のものだと考える必要があるように思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　銅鐸は、豊作を願ってお祈りするときに使ったとされていますが、そうかもしれませんが、そのような絵が残っているわけでも無く、伝承すらありませんから、考え直す必要があるのではと思います。&lt;br /&gt;
　小銅鐸の方は、大きいのと小さい銅鐸があります。どのような所で発掘されたのか、複数個見付かったとか、どの様な場所で見つかったかなど、詳細に見ていく必要があります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;少なく共、静岡、千葉、福岡で多く見付かったということは、今後、ここで見付かるという予想を立てています。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>歴史資料</dc:subject>

<dc:creator>蛍 </dc:creator>
<dc:date>2012-05-16T06:03:33+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/05/175-bd18.html">
<title>第17話　古事記が解いた古代史　　先入主を捨てよ(5)</title>
<link>http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/05/175-bd18.html</link>
<description>古代の文化は全て朝鮮経由で渡来したと云われる。稲作までが朝鮮経由だとして、その先...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;古代の文化は全て朝鮮経由で渡来したと云われる。稲作までが朝鮮経由だとして、その先は知らんふりである。&lt;br /&gt;
　魏志倭人伝を論ずるなら、倭人伝の前に韓や高句麗等について詳細に書かれている。この中には倭人と共通のものは風習等何一つなかったのに、何故朝鮮経由を学者は固執するのだろうか。240年代の15万戸もあった従ってとうじとしては、全人口の大半? &lt;br /&gt;
を占める人は、中国系でも朝鮮系でもなくて、海南島系だったとの、倭人伝の記述だけは学者は全く取上げないで、地中極の属国扱いの歴史教育を国民に押付けるのか。&lt;br /&gt;
　文化は朝鮮から渡来し何れ東漸した証拠は何一つなかった。反対に古代には日本海側は隠岐、能登、津軽の全域が文化が高かったのである。これは新聞のニュースが何よりの証拠である。世界最古の土器があったし、５千年昔の88センチ以下の26本の柱が見付かったのも能登である。津軽の水田は１９００年昔だったし、静岡の登呂遺跡の水田は2300年昔に営まれていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
第17話　古事記が解いた古代史　13ページより転載&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>田村誠一氏に捧ぐ</dc:subject>

<dc:creator>蛍 </dc:creator>
<dc:date>2012-05-15T12:04:13+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/05/174-03f3.html">
<title>第17話　古事記が解いた古代史　　先入主を捨てよ(4)</title>
<link>http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/05/174-03f3.html</link>
<description>戦後教育を受けた人は静岡県の登呂遺跡で日本人が弥生後期すなはち、紀元後300年の...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;戦後教育を受けた人は静岡県の登呂遺跡で日本人が弥生後期すなはち、紀元後300年の生活を教えられた筈である。しかしこれはカーボン140の測定の結果、水田跡は紀元前350年だったのである。(斉藤　忠氏編　“日本考古学の視点、上”187頁)&lt;br /&gt;
　弥生時代と云われてきた年代は後で述べるが全くデタラメだったのである。これに続く古墳の年代も従ってまちがいなのに、未だに4~7世紀だと教え続けられている。&lt;br /&gt;
　少く共古代史の年代が現在から何年前と書かれたのではなくて、何世紀と書かれたものは間違っていると疑問を持って考えることだ。&lt;br /&gt;
　教科書に書かれた、土着民族が外来文化を吸収して現在に至った考え方は根本的に間違っている。アイヌを除いた全ての日本人の先祖は渡来したのである。&lt;br /&gt;
　北方系蒙古族と南方系蒙古族が、主体で漢民族に圧迫されて渡来した少数民族の集まりである。鎌足やこの先祖は漢民族に支援されたゲリラであって一握りの中国系占領軍だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
第17話　古事記が解いた古代史　12ページより転載&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
私よりの一言---&lt;br /&gt;
上記に、登呂遺跡は、〔カーボン140の測定の結果、水田跡は紀元前350年だったのである。〕とありますが、このデーターの外に、次の3つのデーターがあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;①静岡市登呂遺跡　&lt;br /&gt;
　A材料&lt;br /&gt;
場所場所　　　集落趾　&lt;br /&gt;
検査材料　　　矢板&lt;br /&gt;
測定資料番号　Gak・794&lt;br /&gt;
　測定結果　2060±90&lt;br /&gt;
　紀年　-110&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
B材料&lt;br /&gt;
場所場所　　　集落趾&lt;br /&gt;
検査材料　柄穴材&lt;br /&gt;
測定資料番号　Gak・793&lt;br /&gt;
測定結果　1960±80&lt;br /&gt;
　紀年　-10&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;C材料&lt;br /&gt;
場所場所　　　水田跡C地点&lt;br /&gt;
検査材料　杭&lt;br /&gt;
測定資料番号　Gak・796&lt;br /&gt;
測定結果　1720±90&lt;br /&gt;
　紀年　+230&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;以上　4つの資料から、カーボン140の測定の結果が正しいとしますと、&lt;br /&gt;
登呂遺跡は、紀元前350~紀元後230年に存在していたことになります。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>田村誠一氏に捧ぐ</dc:subject>

<dc:creator>蛍 </dc:creator>
<dc:date>2012-05-11T05:54:27+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/05/173-20c2.html">
<title>第17話　古事記が解いた古代史　　先入主を捨てよ(3)</title>
<link>http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/05/173-20c2.html</link>
<description>戦前の教育を受けた人は先づイザナギ命が天照大御神、スサノオ命と月読命を同時に生ん...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;戦前の教育を受けた人は先づイザナギ命が天照大御神、スサノオ命と月読命を同時に生んだと教えられて来た。この様な三つ子が生まれて、生れるとすぐそれぞれの任地をあてがわれたと教えられた。これこそ神話だが、古事記の原文にはこの様な神話は書いてなかったのである。三人の神々は渡来したのであって、生れたとは書かれてない。&lt;br /&gt;
　因幡の白莵の話は記にだけ書かれ、兎が人語をしゃべる筈もなかった。原文は兎ではなくて、莵で、玄莵人のことだし、「ワニ」は近江の和邇村に住んでいたイザナギ命と同一氏族だ。&lt;br /&gt;
　天照大御神の孫すなはち天孫が降った高千穂は、これは原文では何所にも日向国とは書いてなかった。日向国ではなくて、日向であって、これは文字通り日当りがよい所である。&lt;br /&gt;
　これからのことを調べるには日本古典文学大系が原文と読下し文が、同じ見開きにあって好都合である。&lt;br /&gt;
　高千穂は日向国だった先入主を捨てて欲しいのである。高千穂は伯耆の東伯郡で、地図にこの地名は現存している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
第17話　古事記が解いた古代史　11ページより転載&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>田村誠一氏に捧ぐ</dc:subject>

<dc:creator>蛍 </dc:creator>
<dc:date>2012-05-08T06:40:55+09:00</dc:date>
</item>
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<title>第17話　古事記が解いた古代史　　先入主を捨てよ(2)</title>
<link>http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/05/172-e849.html</link>
<description>日本にはレッキとした古代史について、古事記と日本書紀がある。これが発表されて以後...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;日本にはレッキとした古代史について、古事記と日本書紀がある。これが発表されて以後に書かれた資料は、今一度原点に戻って考えて見ることだ。戦後の学者はこのプロセスを全く行わないで、記も紀も抹殺してしまったのである。例えば出雲大社は厳然として存在している。しかしこのことに学者は何一つ検討を加えないで、黙殺して、研究しようとしないのが現状だ。出雲大社が建てられたことは古事記には書かれているが、日本書紀には書かれていない。先づ現存する神社が何故記には載せてあって紀では抹殺されたのかの謎を解くべきではないか。&lt;br /&gt;
　しかるに戦後の学者はこの問題の解決を計らない、大社があるのに、大社について全く書かれてない紀を取上げて、応神天皇以前の記と紀の記述は当てはまらないとした。学者の態度は許せるだろうか。&lt;br /&gt;
　仁徳天皇陵はこれも現存している。しかし仁徳天皇は虚構だと、仁徳天皇陵をせめて伝&lt;br /&gt;
仁徳天皇陵ともしないで、大仙陵と国民の同意も得ないで地名まで変えた学者がいる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
第17話　古事記が解いた古代史　10ページより転載&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>田村誠一氏に捧ぐ</dc:subject>

<dc:creator>蛍 </dc:creator>
<dc:date>2012-05-05T04:39:10+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/05/1-db55.html">
<title>銅鐸について考えた事　　小銅鐸(1)</title>
<link>http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/05/1-db55.html</link>
<description>別に珍しくもありませんが、銅鐸の資料を蓄えています。毎日、一つずつ、蓄えますと、...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;別に珍しくもありませんが、銅鐸の資料を蓄えています。毎日、一つずつ、蓄えますと、500日後には、日本で見つかっている銅鐸を集めることが出来るのではないかと思っています。&lt;br /&gt;
資料の保管場所は、【歴史の不思議】　&lt;a href=&quot;http://www21.atpages.jp/skeikas/&quot;&gt;http://www21.atpages.jp/skeikas/&lt;/a&gt;　です。&lt;br /&gt;
出来るだけ毎日、&lt;br /&gt;
調べたことを付け加える様にしています。最近は、銅鐸のことを蓄えています。発見したことを書いておきます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　銅鐸の中には、〔小銅鐸〕と云う物があり、現在の所、50程あるらしいです。判ったことは&lt;br /&gt;
①10㎝以下の小さい銅鐸であること。(12㎝のものもあり)&lt;br /&gt;
②舌と呼ばれる棒が付いている銅鐸があるということです。&lt;br /&gt;
　一例として、福岡県嘉麻市馬見の　原田遺跡　から見つかった銅鐸&lt;br /&gt;
③静岡県と福岡県に多い。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　今の所は、これだけですが、毎日、確認していますと、いろいろ考えさせてくれます。私以外の方には、読みづらいですが、辛抱して読んでください。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>歴史資料</dc:subject>

<dc:creator>蛍 </dc:creator>
<dc:date>2012-05-01T04:39:18+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/04/171-c69d.html">
<title>第17話　古事記が解いた古代史　　先入主を捨てよ(1)</title>
<link>http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/04/171-c69d.html</link>
<description>戦後の歴史教育は日教組の謀略におどらされた中国偏向の学者が古代の応神天皇以前の天...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;戦後の歴史教育は日教組の謀略におどらされた中国偏向の学者が古代の応神天皇以前の天皇を抹殺している。&lt;br /&gt;
　仁徳天皇陵をも抹殺して、歴史的遺産の地名まで大仙陵と改めさせたのが一例である。&lt;br /&gt;
　　雄略天皇は中国の南宋の皇帝に忠節を尽くしたと教えている。これが中国偏向であり、民族の誇りを失わせる歴史教育の実態だ。&lt;br /&gt;
　邪馬台国九州説はこれよりも240年代に卑弥呼が魏の皇帝から親任され「親魏倭王」になって、日本を治めたとする中国偏向の学説である。これは全て間違いだった。&lt;br /&gt;
　鎌足を偉人に仕立てたのは明治以来日本書紀を信奉して来た歴史学者グループの仕業だった。この鎌足は宋や唐から武器まで供給されていた。中国のゲリラグループのボスで、クーデターを起こして大化の改新をやった。&lt;br /&gt;
　鎌足の次男不比等が日本書紀なる欺書を編集して、貴族階級を中国偏向の洗脳を行った。&lt;br /&gt;
　藤原の占領行政は天皇をロボット化していたのである。本居宣長だけが古事記を&lt;br /&gt;
史書にせよと述べ、これが正しかったのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
第17話　古事記が解いた古代史　9ページより転載&lt;br /&gt;
　　３ページから9ページの間には、目次と地図があります。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>田村誠一氏に捧ぐ</dc:subject>

<dc:creator>蛍 </dc:creator>
<dc:date>2012-04-29T02:29:30+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/04/17-5128.html">
<title>第17話　古事記が解いた古代史　まえがき </title>
<link>http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/04/17-5128.html</link>
<description>前書きのまえがきを書きます。 第17話　古事記が解いた古代史は　17話とあります...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;前書きのまえがきを書きます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;第17話　古事記が解いた古代史は　17話とあります。この前に16冊出版されたことになります。　前回までは19話を掲載しました。&lt;br /&gt;
　11話、14話～18話もあるのですが、所持していません。　と云う次第で、今回の第17話が最終になります。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
第17話は、昭和５８年８月１５日　発行です。ページ数は、255ページです。&lt;br /&gt;
例によって、片手の指一本でしか、入力をようしませんので、一ページずつ掲載します。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;第12話～16話は、昭和57年度に発行されています。調べられた範囲は、広く、文章にされたものは、膨大なものです。考えながら、本の形にされ、現地に出かけて、考えられた様子が判ります。その為、途中で訂正されてある部分もあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;少し、以前の12話は次の所から始めています。読んでおられない方は、読んでいただければと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;第十二話を始める前に&lt;br /&gt;
&lt;a href=&quot;http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2009/03/post-d7cd.html&quot;&gt;http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2009/03/post-d7cd.html&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;以下、田村誠一氏の〔まえがき〕です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;strong&gt;三年前に生れて始めて古事記を手に入れ、難しいオトギ話の様な意訳文を読んだときには、これがまさか歴史の本とは思えなかった。&lt;br /&gt;
　しかし地図で古事記にでてくる地名を国土地理院の地図で探している内に意外なことに気付いたのである。これは５万分の1でないと役に立たない。大字とか小字は古代に誰が地名をつけたかが愉しみになる。&lt;br /&gt;
　かくして遂に古事記に登場する全地名が、従来の全く物理的に不自然な所ではなくて、矛盾を生じない地点に見付かった。&lt;br /&gt;
　次に昭和９年に出版された〝鳥取県神社誌〟を古本屋で入手して祭神毎の分布を調べ出した所、上記の地名の所にこれも全て、祀られるべき神が祭られていた。&lt;br /&gt;
　この調査を全国に拡げるべく〝式内社の研究〟を手に入れて、全く意外なことに今度は古事記にない神許り登場し、天皇一族を祀った神社が全く除外されて驚かされたのである。&lt;br /&gt;
　この結論が古事記は原文は正史で、故意か否か意訳文は全く歴史家等遊離していた。国民に是非この事実を知っていただきたいのだ。&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;第17話　古事記が解いた古代史　３ページより転載&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;私からの一言&lt;/strong&gt;---〝&lt;u&gt;鳥取県神社誌〟を古本屋で入手して祭神毎の分布を調べ出した　&lt;/u&gt;&lt;br /&gt;
これは、本当です。それを元にして本に書いておられるからです。&lt;br /&gt;
『鳥取県神社誌』は、読むだけでも大変です。何故かと云いますと、20程の神社を読めば分かりますが、私の場合は全部忘れてしまいます。&lt;br /&gt;
　神社毎のデータは、【おかしな世の中】&lt;a href=&quot;http://asilka.blog61.fc2.com/&quot;&gt;http://asilka.blog61.fc2.com/&lt;/a&gt;　に掲載しています。掲載を始めてからどれほどになるでしょう。まだまだ、残っています。せめて、〝鳥取県神社誌〟だけは、掲載するつもりですが、私の命の方が、あやしくなってきました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;u&gt;〝式内社の研究〟を手に入れて、全く意外なことに&lt;/u&gt;&lt;br /&gt;
　この部分も本当です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　【式内社と祭神】に掲載しています。&lt;br /&gt;
&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/o-mino/page257.html&quot;&gt;http://homepage1.nifty.com/o-mino/page257.html&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;式内社は、全部で3000少ししかありませんから、祭神ぐらいを並べた一覧表は直ぐに完成と思いましたが、現在中断しています。ここに現れた事実を無視して歴史は語ることは出来ません。&lt;br /&gt;
　ご自分で完成させて下さい。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>田村誠一氏に捧ぐ</dc:subject>

<dc:creator>蛍 </dc:creator>
<dc:date>2012-04-26T03:14:34+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/04/post-e730.html">
<title>「卑弥呼の宮殿」エリアの南端か　奈良・纒向遺跡　大型建物南側で溝出土</title>
<link>http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/04/post-e730.html</link>
<description>「卑弥呼の宮殿」エリアの南端か　奈良・纒向遺跡　大型建物南側で溝出土 このタイト...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;「卑弥呼の宮殿」エリアの南端か　奈良・纒向遺跡　大型建物南側で溝出土&lt;br /&gt;
このタイトルは、産経新聞が、２月１７日に掲載した記事のタイトルです。&lt;br /&gt;
&lt;a href=&quot;http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/546181/&quot;&gt;http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/546181/&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;歴史に興味のある方ですと、このようなニュースを見ますと、直ぐに行きたくなり、現地説明会には、長蛇の列が作られることになります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;記事を少し、転載して見ます。&lt;br /&gt;
　邪馬台国の最有力候補地とされる「纒向（まきむく）遺跡」（奈良県桜井市）で、「女王卑弥呼（ひみこ）の宮殿」との指摘もある大型建物跡（３世紀前半）の南側から溝が出土し、市教委が１６日、発表した。建物跡南側ではこれまで柵跡も確認されているが、今回見つかった溝はさらに南側にあり、宮殿エリア南端の境界線だった可能性もある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　(中略)&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;現地説明会は１８日午前１０時～午後３時。ＪＲ桜井線巻向駅の西約１００メートル。雨天時は１９日に延期。問い合わせは市立埋蔵文化財センター&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　この報道から、この報道を発表したのは、&lt;strong&gt;桜井市教育委員会&lt;/strong&gt;であることが判ります。&lt;br /&gt;
ただ、新聞掲載が、２月１７日で、現地説明会は１８日とは、新聞を読んでも、説明会に行くことは出来ない方は多かったと思います。特に、遠方の方は、無理だったと思います。&lt;br /&gt;
　ところが、主催者は&lt;strong&gt;市立埋蔵文化財センター&lt;/strong&gt;であることが判ります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　私は、読売新聞を読んでいますが、このニュースは知りませんでした。しかし、後日、行く機会があって、見てきました。ＪＲ桜井線巻向駅の西に在ります。この駅は、無人駅ですから、駅に入って、前に拡がる草の生えている空き地がそうです。&lt;br /&gt;
　この日は、「卑弥呼の宮殿」の周りの遺跡を一日掛けて回ってきました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;纒向矢塚古墳、東田大塚古墳、ホケノ山古墳、箸墓古墳、茅原狐塚古墳、慶運寺裏古墳などです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　この辺りには、邪馬台国があったような雰囲気はなかった様に思いました。しかし、私の様な考えは、間違っていたことが判りました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;2012年4月5日の読売新聞の夕刊に掲載されたものです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　【纒向研究拠点が開所】&lt;br /&gt;
　邪馬台国の有力候補地とされる纒向（まきむく）遺跡(奈良県桜井市)を調査・研究する「桜井市纒向学研究センター」が同市東田(ひがいだ)で開所し、５日、式典が行われた。&lt;br /&gt;
同センターを拠点に発掘調査を進め、遺物の展示、大型建物跡の復元などを行う。&lt;br /&gt;
　大和王権発祥地の地ともされる同遺跡は3～4世紀の都市とされ、2009年に宮殿とみられる大型建物跡(3世紀中頃)が出土。しかし調査を終えたのは東西2キロ、南北1.5キロのうちまだ5％で、同センターは、調査範囲の拡大にも取り組む。　　17行　　4月5日　夕刊&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;全部で、１７行の記事でした。&lt;br /&gt;
他の新聞社は、どの様に報道しているかと、調べて見ました。朝日新聞、産経新聞などです。&lt;br /&gt;
　一番、報道積極的なのが、産経新聞であることが判ります。写真を組み込んであるものは、報道したい意欲があることになります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こんなことを考えていますと、以前は、どの様に報道されていたのかを知りたくなり、ブログのトップの&lt;strong&gt;「卑弥呼の宮殿」エリアの南端か　奈良・纒向遺跡　大型建物南側で溝出土&lt;/strong&gt;の記事が見付かりました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２月１７日の報道は、この様に眺めてきますと、この時点で、【纒向研究拠点が開所】の計画が決まっていたことが判ります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　２月１７日の報道の次の日に、現地説明会が行われた意味が判るように思いました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;外に、見付かったものは&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;纏向遺跡は邪馬台国なのだろうか？／やまとの謎（２６）&lt;br /&gt;
&lt;a href=&quot;http://mugentoyugen.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-6a24.html&quot;&gt;http://mugentoyugen.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-6a24.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　この記事を読みますと、ＮＨＫも認めていることが判ります。&lt;br /&gt;
　どんどん、調べていきますと、「卑弥呼の宮殿」の事は、２００８年にも語られています。&lt;br /&gt;
　私は、卑弥呼は岡山県と京都市福知山の間を行き来していたと考えていましたから、あまり「卑弥呼の宮殿」には興味がありませんでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　でも、今回の報道を見ますと、「卑弥呼の宮殿」のことは、略、確定したことになり、桜井市の事業としてスタートしたことが判ります。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>新聞記事</dc:subject>

<dc:creator>蛍 </dc:creator>
<dc:date>2012-04-24T16:14:36+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/04/post-c4a6.html">
<title>伊都国</title>
<link>http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/04/post-c4a6.html</link>
<description>華南弁（呉音）表記　　　　 華南弁表記が日本でどれ程行き渡っているのかを知ってい...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;華南弁（呉音）表記　　　　&lt;br /&gt;
	&lt;br /&gt;
華南弁表記が日本でどれ程行き渡っているのかを知っていただくために、まず都府県名を調べてみました。　最初の訓みが華南弁、続いて華北弁（漢音）を表します。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;群　ぐん　：くん　　馬　ま　　：ば　　　京　きょう：けい　　岐　ぎ　　：き&lt;br /&gt;
賀　が　　：か　　　都　つ　　：と　　　兵　ひょう：へい　　和　わ　　：か&lt;br /&gt;
奈　な　　：だ　　　&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ここでは華南弁、華北弁とも同じ訓みの漢字は省略させていただきました。　福島、群馬、東京、神奈川、福井、岐阜、愛知、滋賀、京都、兵庫、奈良、和歌山、徳島、高知、福岡、佐賀、には華南弁、華北弁の訓みが含まれていますが、以上のうち京都の「都」だけが華北弁表記です。　ここには記されていない青森、大阪等の府県名と、上記都府県名に含まれる、島，神、川、井、良、山、岡、等の残りの漢字は全て訓読みで表記されています。　&lt;br /&gt;
続いて他の重要と思われる漢字も拾ってみました。　以下でも、三，四、五、火、水等の華南弁、華北弁共通の訓みの漢字は省略させていただきました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一　いち　：いつ　　 二　に　　：じ　　 　六　ろく　：りく　　   七　しち　：しつ　&lt;br /&gt;
八　はち　：はつ　 　九　く　　：きゅう　 十　じゅう：しゅう　 百　ひゃく：はく&lt;br /&gt;
万　まん　：ばん　　 上　じょう：しょう　 下　げ　　：か　　　 右　う　　：ゆう&lt;br /&gt;
内　ない　：だい　 　外　げ　　：がい　　南　なん　：だん　　西　さい　：せい　&lt;br /&gt;
赤　しゃく：せき　  　黄　おう　：こう　 　青　しょう：せい　　 緑　ろく　：りょく&lt;br /&gt;
白　びゃく：はく　　　父　ぶ　　：ふ　　　母　も　　：ぼ　　　　兄　きょう：けい&lt;br /&gt;
弟　だい　：てい　　　妹　まい　：ばい　　日　にち　：じつ　　月　がち　：げつ&lt;br /&gt;
木　もく　：ぼく　　　　金　こん　：きん　　土　ど　　：と　　　　年　ねん　：でん　&lt;br /&gt;
時　じ　　：し　　　　　神　じん　：しん　　社　じゃ　：しゃ　　　寺　じ　　：し　&lt;br /&gt;
祭　さい　：せい　　　仏　ぶつ　：ふつ　　教　きょう：こう　　　宗　しゅう：そう&lt;br /&gt;
手　しゅ　：しゅう　　足　そく　：しょく　　　目　もく　：ぼく　　　耳　に　　：じ　&lt;br /&gt;
鼻　び　　：ひ　　　　口　く　　：こう　　　　頭　づ　　：とう　　　毛　もう　：ぼう&lt;br /&gt;
米　まい　：べい　　豆　づ　　：とう　　　　麻　ま　　：ば　　　　田　でん　：てん&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
まだまだ有りますが華南弁の発音で表記される漢字の方が、華北弁の発音で表記される漢字よりも、生活に密着して使用されているのをご確認ください。　元々日本列島に住んでいた人たちだけでは、これ程までに華南弁が行き渡るとは思われません。　いつの時代かに多くの華南弁を話し言葉とする人々が、日本列島に到来したと考えると説明は簡単です。&lt;br /&gt;
　なお、朝鮮半島では　神社は（しんしゃ）、○○寺は（○○さ）、地図は（ちと）と発音されるように華北弁がより行き渡っていたのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;参考までに平仮名あいうえおの漢字語源も記しておきます。&lt;br /&gt;
（安　あん：あん）（以　い：い）（宇　う：う）（衣　え：い）（於　お：よ）&lt;br /&gt;
（加　か：か）（幾　き：き）（久　く：きゅう）（計　け：けい）（己　こ：き）&lt;br /&gt;
（左　さ：さ）（之　し：し）（寸　すん：そん）（世　せ：せい）（曽　ぞう：そう）&lt;br /&gt;
（太　たい：たい）（知　ち：ち）（川　せん：せん）（天　てん：てん）（止　し：し）&lt;br /&gt;
（奈　な：だ）（仁　にん：じん）（奴　ぬ：ど）（祢　ねい：でい）（乃　ない：だい）&lt;br /&gt;
（波　は：は）（比　び：ひ）（不　ふ：ふ）（部　ぶ：ほ）（保　ほ：ほう）&lt;br /&gt;
（末　まつ：ばつ）（美　み：び）（武　む：ぶ）（女　にょ：じょ）（毛　もう：ぼう）&lt;br /&gt;
（也　や：や　）（由　ゆ：ゆう）（与　よ：よ）（良　ろう：りょう）（利　り：り）&lt;br /&gt;
（留　る：りゅう）（礼　らい：れい）（呂　ろ：りょ）（和　わ：か）（遠　おん：えん）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
如何でしたか。　ここで魏志倭人伝に記されている伊都国に移りたいと思います。　その前に前回に問題として取り上げた（やまと）の漢字表記としての、「日本」と「倭」について気が付いたことを記しておきます。　日本書紀、巻第一、第四段に初めて　廼生大日本　日本此云耶痲謄下皆效此　豊秋津洲　と振り仮名が出てきて、「日本」を（やまと）と云うように指示しています。　ということは、当時、「日本」は新しく導入しようとした国名であり、書物を読む人々にとっても、振り仮名を必要とする文字であったということです。　古事記には「日本」表記が無くて、日本書紀には２００回以上見出される理由もはっきりします。　さらに男性の名前には日本が用いられ（例：神日本磐余彦天皇）、女性の名前には倭が用いられている（例：倭迹迹日百襲姫命）ように思います。　日本書紀もやまと書紀と呼ばれていたのではないでしょうか。　また、巻第三には　倭国磯城邑、曰虚空見日本国矣　と出てきますが、ここでも小さな領域の「倭」と、大きな領域の「日本」を使い分けているように思われます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日本書紀、巻第一、第六段には　臂著稜威之高鞆　稜威此云伊都　と振り仮名があり、稜威を（伊都）と読むように指示しています。　さらに読み下し分では（伊都）を（いつ）と読んでいます。　日本書紀、巻第六では　意富加羅国到干穴門時其国有人名伊都々比古　と書かれており伊都々比古を（いづつひこ）と読み下されています。　日本書紀、巻第八に於いては、筑紫伊覩県主祖五十迹手　と出ており「都」の字は使われておりません。　即ち日本書紀においても「都」は（つ）と読まれているわけです。　伊都国を（いとこく）と読むのであれば、帯方郡の連絡者が命名した地名と考えるべきです。　しかも都の意味を持たせていると思います。　日本列島では○○国の訓みは、（○○のくに）となり、（生まれはどちらのくに？）という風にも使えるはずです。　邪馬台国を（やまたいのくに）とか（やまたいの生まれ）とか言えますか。　日本では多くの場合、国は郡を意味しているようです。　このような理由により、伊都国は（いつのくに）と読むべきです。　現在の地名で当てはまるのは出石とか舞鶴ではないでしょうか。　出石は伊都志と書かれる場合があります。　どちらでも魏志倭人伝の謎解きＩに述べた末盧国の日向より東南に歩き始めて五百里余（約２００Ｋｍ）です。　もし伊都国という地名が帯方郡よりの報告者の命名であれば、大江山の近傍を当時は伊勢（現在は元伊勢）と呼ばれていたことでもあり適合します。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>田村邦夫の部屋</dc:subject>

<dc:creator>蛍 </dc:creator>
<dc:date>2012-04-23T05:34:14+09:00</dc:date>
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